李英和

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李英和
各種表記
ハングル 리영화
漢字 李英和
発音: リ ヨンファ[1]
日本語読み: り えいか
ローマ字 Lee Yonghwa[2]
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李 英和(リ・ヨンファ、朝鮮語: 리 영화1954年(昭和29年)[2] - )は、在日朝鮮人北朝鮮研究者。2005年(平成17年)4月1日から関西大学経済学部教授[3]。専攻は北朝鮮社会経済論。

人物・経歴[編集]

在日朝鮮人三世として大阪府堺市に生まれる[4]大阪府立堺工業高等学校卒業後、溶接工を勤めながら関西大学夜間部入学[1]。関西大学大学院博士課程修了[4](経済学専攻[2])。

北朝鮮関連[編集]

1991年(平成3年)4月から12月まで、開発経済学者として朝鮮社会科学院へ短期留学をするが、同国の極端な個人崇拝と監視社会の実態や経済破綻を知り失望する。そして、危険を冒して集会を行う反体制知識人とも接触したと発言している[4]

帰国後の1993年(平成5年)、北朝鮮民主化を目指す「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)を結成し、代表を務める[2]。RENKは脱北者の支援や北朝鮮内部の資料、映像を世界へ公開する活動をしている。

1997年(平成9年)、北朝鮮の最高人民会議代議員選挙に金正日に対抗して立候補届を在日本朝鮮人総聯合会に郵送したが、受け取りを拒否された[要出典]

2003年(平成15年)から2004年(平成16年)にかけて、韓国で発売禁止となった李友情著『マンガ金正日入門』シリーズの日本語訳・監修を担当した。

外国人参政権運動[編集]

外国人参政権運動にも熱心で、関西大学専任講師時代の1992年(平成4年)6月に政治団体「在日外国人参政権'92」(略称:在日党)を設立し代表に就任。同団体から同年7月の第16回参議院議員通常選挙に立候補しようとしたが、届出を受理されなかった。1993年2月、李は不受理を不服として大阪地裁へ提訴をおこなったが、1994年12月に棄却された(李は大阪高裁へ控訴)[5]。以降、国政選挙で何度か「在日党」公認候補として立候補の届出をしようとし、受理されないという事が繰り返されている。手続き不受理となった後、外国人参政権の必要性を訴える街頭演説を行うのが定番となっている。

著書[編集]

単著[編集]

共著[編集]

  • 「元留学生・李英和の「行った、見た、聞いた」」『北朝鮮世紀末読本 金正日権力世襲の裏で何が始まってるか!』 Sapio責任編集、小学館、1994年9月。ISBN 978-4-09-103131-0。
  • 金英達ほか共著 『救え!北朝鮮難民とこどもたち no.2』 Renk東京〈Renk東京パンフレット no.2〉、1998年7月。
  • 山田寛、中島隆晴・大原晋・水上洋一郎・ヴー・ティ・キム・スアン・柳瀬房子・川上郁雄・渡邉彰悟・李英和 『日本の難民受け入れ過去・現在・未来』 東京財団〈虎ノ門dojoブックス〉、2007年3月。ISBN 978-4-89514-288-5。

編著[編集]

  • 『北朝鮮・日本人妻たちへの鎮魂歌』 李英和責任編集、ザ・マサダ、1997年12月。ISBN 4-915977-52-8。

日本語訳・監修[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b 『ACT―市民の政治―』135号(2000年12月11日) 小寺山康雄
  2. ^ a b c d 李 英和 ニッポンドットコム
  3. ^ 国際経済専修 - 教員紹介|関西大学 経済学部”. 関西大学. 2012年1月4日閲覧。
  4. ^ a b c 『朝鮮総連と収容所共和国』 小学館〈小学館文庫〉、1999年9月。ISBN 4-09-403431-5。
  5. ^ 「共生社会」 をめざした地方参政権 - 桃山学院大学 (PDF)李1993 p.64, pp.83-93)