李霊キ

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本来の表記は「李霊夔」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

李 霊夔(り れいき、生年不詳 - 688年)は、中国の高祖李淵の十九男。母は宇文昭儀。

学問を好み、草書隷書をよくし、音律に通じて、若くして名声があった。同母兄の韓王李元嘉と特に親しかった。631年、魏王に封ぜられた。636年、燕王に改封され、実封八百戸を受け、幽州都督に任じられた。640年、魯王に徙封され、兗州都督に転じた。649年、実封は千戸まで加増された。655年隆州刺史に転じた。のちに絳州滑州定州の刺史や太子太師を歴任した。685年邢州刺史に転じた。688年、越王李貞らとともに起兵を謀り、事が洩れて捕らえられた。振州に流され、自殺した。

子に李詵・李藹がいた。李詵は、清河王となったが、早逝した。李藹は范陽王となり、越王李貞の乱が失敗することを察知し、その陰謀を告発する側にまわって、死を免れた。右散騎常侍などをつとめたが、酷吏によって殺害された。神龍初年、李霊夔の父子は爵位を生前にさかのぼって回復され、李藹の子の李道堅が後を継いだ。

伝記資料[編集]

  • 旧唐書』巻64 列伝第14「魯王霊夔伝」
  • 新唐書』巻79 列伝第4「魯王霊夔伝」