村上国吉

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村上 国吉(村上 國吉、むらかみ くにきち、1876年明治9年)1月[1] - 1957年昭和32年)12月13日[1])は、日本の農業技術者、政治家衆議院議員。旧姓・大道[2]

経歴[編集]

京都府何鹿郡吉美村[3](現綾部市)で大道嘉右衛門の二男として生まれる[2]1898年大阪府立農学校を卒業[1]1899年、村上三郎兵衛の長女のへ の入夫となり村上に改姓した[2]

農事試験場技手、農事巡回教師兼農事試験場長、県立熊本農業学校教諭を経て、村上農園を設立しその経営を行った[1][4]。その他、何鹿郡農会長、京都府農会副会長、帝国農会評議員、農地開発営団評議員、何鹿郡畜産同業組合長、同郡米穀同業組合長、同郡養蚕業組合長、京都府養蚕業組合連合会議員を務めた[1]

政界では、何鹿郡会議員、同議長、綾部町会議員、京都府会議員、同参事会員を歴任[1]1924年5月、第15回衆議院議員総選挙で京都府第六区から出馬して当選[1]。以後、第16回第17回第19回第20回総選挙で当選[1]1942年4月の第21回総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選し、衆議院議員を通算六期務めた[1]。この間、阿部内閣・農林政務次官大政翼賛会京都府支部常務、翼賛政治会政調農林委員、同兼内務委員などを務めた[1][3]

戦後、公職追放となり[5]1951年に追放解除[6]。追放解除後は政界に復帰することはなかった。1957年に死去。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』638頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録』第14版 下、ム17頁。
  3. ^ a b 『翼賛議員銘鑑』409頁。
  4. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』612頁。
  5. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年382頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 『朝日新聞』1951年8月7日朝刊二面

参考文献[編集]

  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。