村上孝太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動

村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年大正5年)6月29日[1] - 1971年昭和46年)9月8日[2])は、日本の大蔵官僚政治家参議院議員(1期)。位階は従三位、勲等は勲二等

略歴[編集]

本籍愛媛県[2]越智郡宮窪村(宮窪町を経て現今治市[3]東京で村上常太郎の長男として生まれる[4]。広島高師附属中学校(現・広島大附属中)、第一高等学校を経て、1939年(昭和14年)東京帝国大学法学部政治学科卒業[2]。東京帝大在学中の1938年(昭和13年)10月、高等試験行政科試験に合格[4]。卒業後は大蔵省に入省[5]。配属先は専売局長官官房書記兼大臣官房文書課[6][7]神戸税関総務部長[7]、神戸税関業務部長兼税関長官房主事[7]主計局法規課長[8]、主計局総務課長、経済企画庁長官官房長[9]などを経て、1965年(昭和40年)4月23日大蔵省官房長。在任中に証券不況が発生、戦後初めて赤字国債を発行したことの将来への危惧感から、複数年度予算を認めて財政に弾力性をつける方針を省内でまとめる。しかし、この方針は内閣法制局高辻正己長官)から「憲法86条の会計年度独立の原則に反する」と判断されて頓挫する。そこで次善策として、徹底した歳出削減を求める"財政硬直化打破キャンペーン"を打ち出し、国会議員に説いて回った[10][11][12]

1967年(昭和42年)1月10日谷村裕事務次官のもとで、主計局長[2]を務める。

1968年(昭和43年)大蔵事務次官[2]就任。1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙全国区自由民主党の公認で初当選したが、わずか3か月後の同年9月8日に、参議院議員在任のまま肝硬変のため死去[5]。なお、選挙に当たっては全農、九州酒造杜氏組合、キリンビール名古屋支店などから支援を受けたが、支援者の中から法定外文書違反、買収で22人の逮捕者を出している[13]

親族[編集]

著作[編集]

  • 『補助金等適正化法の解説』大蔵財務協会、1955年。
  • 『日本の世紀との対話』大村書店、1970年。
  • 村上倫太郎編『村上孝太郎一巻集:一行政官の思想と行動』村上倫太郎、1977年。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』612頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』422頁。
  3. ^ 『愛媛県百科大事典』下、566頁。
  4. ^ a b 『日本近現代人物履歴事典』516頁。
  5. ^ a b 参議院会議録情報 第067回国会 本会議 第1号
  6. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、330頁
  7. ^ a b c 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年1月発行、174頁
  8. ^ 参議院会議録情報 第022回国会 大蔵委員会 第2号
  9. ^ 参議院会議録情報 第046回国会 内閣委員会 第42号
  10. ^ 倉山, pp. 165-173.
  11. ^ 財政硬直化 - 国立社会保障・人口問題研究所 (PDF)
  12. ^ 幻の財政硬直化打破キャンペーン - 村上誠一郎公式サイト
  13. ^ 「元官僚派の違反目立つ」『中國新聞』昭和46年7月8日、7面。

参考文献[編集]

  • 『愛媛県百科大事典』下、愛媛新聞社、1985年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 倉山満『検証 財務省の近現代史』光文社新書、2012年3月20日。ISBN 978-4-334-03674-4。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
官職
先代:
谷村裕
日本の旗 大蔵事務次官
1968年 - 1969年
次代:
澄田智
先代:
谷村裕
日本の旗 大蔵省主計局長
1967年 - 1968年
次代:
鳩山威一郎
先代:
谷村裕
日本の旗 大蔵省大臣官房長
1965年 - 1967年
次代:
亀徳正之
先代:
吉岡英一
日本の旗 経済企画庁長官官房長
1963年 - 1965年
次代:
澄田智