東ソー

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東ソー株式会社
TOSOH CORPORATION
Tosoh Logo.svg
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
105-8623
東京都港区芝三丁目8番2号
本店所在地 746-8501
山口県周南市開成町4560番地
設立 1935年2月11日
業種 化学
法人番号 5250001010002 ウィキデータを編集
事業内容 基礎原料事業、石油化学事業、機能商品事業
代表者 代表取締役社長兼社長執行役員 山本寿宣
代表取締役兼専務執行役員 田代克志
資本金 552億円
売上高 連結:8,614億5,600万円
単体:5,998億7,500万円
(2019年3月期)
営業利益 連結:1,057億3,900万円
単体:755億2,100万円
(2019年3月期)
純利益 連結:781億3,300万円
単体:640億900万円
(2019年3月期)
総資産 連結:8,781億9,400万円
単体:6,047億3,500万円
(2019年3月期)
従業員数 連結:12,955名
単体:3,501名
(2019年3月31日現在)
決算期 3月末
会計監査人 有限責任あずさ監査法人
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.68%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 5.25%
みずほ銀行3.67%
三井住友海上火災保険2.75%
主要子会社 関連会社参照
関係する人物 岩瀬徳三郎(創業者)
山口敏明(元社長)
田代圓(元社長)
土屋隆(元社長)
宇田川憲一(元社長)
外部リンク https://www.tosoh.co.jp/
特記事項:各種経営指標は2015年3月期
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東ソー株式会社(とうソー、: TOSOH CORPORATION)は、日本の総合化学メーカー。本社は東京都港区にあるが、登記上本店は山口県周南市(旧・新南陽市)。旧社名は東洋曹達工業東京証券取引所一部上場。

同社の企業メッセージは「明日のしあわせを化学する」である。

概要[編集]

苛性ソーダ塩化ビニルモノマー(VCM)ポリウレタンといった「ビニル・イソシアネート・チェーン」事業に加え、石油化学事業(オレフィンポリエチレン、合成ゴム等)や機能商品事業(無機・有機ファイン製品、計測・診断製品、スパッタリングターゲット、電解二酸化マンガンジルコニアセラミックス石英ガラスなど)をコアとして事業展開を行っている。

南陽事業所は、単一工場としては日本最大規模となる敷地面積(300万m2)と自家発電設備(825,000kW)を有し、周南コンビナートの中核をなしている。

設立当初から日本興業銀行(現・みずほ銀行)と関わりが深く、4代目から7代目の社長は同行の出身者だった。

塩ビモノマーの生産能力は、後述の爆発事故以前の2011年時点で120万トン(日本国内の3割強)を占めていた[1]

沿革[編集]

事業所[編集]

支店・営業所[編集]

事業所・事務所[編集]

研究所・技術センター[編集]

  • 無機材料研究所・有機材料研究所・技術センター(山口県周南市)
  • ファンクショナルポリマー研究所・高分子材料研究所(三重県四日市市)
  • 東京研究センター・アドバンストマテリアル研究所・ライフサイエンス研究所(神奈川県綾瀬市
  • ウレタン研究所(神奈川県横浜市戸塚区

社長[編集]

歴代の東ソー社長(含・東洋曹達社長)
代数 氏名 在任期間 出身校 出身母体
初代 岩瀬徳三郎 1935 - 1944 九州帝国大学 日本曹達工業(創業者)
第2代 別府良三 1944 - 1944 海軍機関学校 海軍燃料廠
第3代 今井富之助 1944 - 1947 東京帝国大学 三井化学工業
第4代 貞永敬甫 1948 - 1952 東京帝国大学 日本興業銀行
第5代 二宮善基 1954 - 1968 東京帝国大学 日本興業銀行
第6代 青木周吉 1968 - 1979 東京帝国大学 日本興業銀行
第7代 森嶋東三 1979 - 1984 東京帝国大学 日本興業銀行
第8代 山口敏明 1984 - 1992 一橋大学 生え抜き
第9代 田代圓 1992 - 2001 東京大学 生え抜き
第10代 土屋隆 2001 - 2009 東京工業大学 生え抜き
第11代 宇田川憲一 2009 - 2016 東京工業大学 生え抜き
第12代 山本寿宣 2016 - 神戸大学

事故[編集]

平成23年11月13日午後3時24分頃、南陽事業所(山口県周南市関成町)第2塩ビモノマープラントで、塩ビモノマーなどを抜き出す作業中に爆発事故が発生した。火災により塩化水素ガスが漏れたため、周南市、下松市の住民には屋内待機が呼びかけられた[3][4]。爆発事故により、規制値の155倍にあたる二塩化エタンを含む排水が海に流出した[5][6]。また、この事故で男性社員1人が死亡した。事故で焼けた設備の再建には100億円単位が必要となる見通しが明らかにされている[7]。11月25日、事故調査対策委員会が東ソーにより設置された[8]

その後、東ソー南陽事業所内に爆発で吹き飛んだプラント設備の一部がモニュメントとして置かれている。

関係会社[編集]

2015年3月末時点の子会社及び関連会社数は121社である[9]

主な連結子会社[編集]

主な持分法適用関連会社[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ “東ソー爆発事故、塩ビ生産に影響”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月15日). オリジナルの2011年11月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111116082942/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111115/biz11111506550005-n1.htm 2011年12月4日閲覧。 
  2. ^ 東ソーが命名権取得 「シベールアリーナ」存続”. 日本経済新聞 (2020年4月3日). 2020年4月9日閲覧。
  3. ^ “山口の化学工場で爆発 1人不明 周辺住民屋内待機”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月13日). オリジナルの2011年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111113192553/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111113/dst11111323120015-n1.htm 2011年12月4日閲覧。 
  4. ^ “爆発事故の東ソー社長「大変申し訳ない」と謝罪会見”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月14日). オリジナルの2011年11月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111115024821/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111114/biz11111411060000-n1.htm 2011年12月4日閲覧。 
  5. ^ “規制超える排水徳山湾に流れる、東ソー工場爆発事故 : 最新ニュース特集 : 九州発”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年11月19日). オリジナルの2011年11月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111121093133/http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20111119-OYS1T00247.htm 
  6. ^ “東ソー工場爆発:社長が知事に謝罪「安全と信頼取り戻したい」”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年12月3日). http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20111203ddlk35040438000c.html 2011年12月4日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ “東ソー爆発事故 再建費は100億円単位 社長が会見”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年11月15日). オリジナルの2012年7月28日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20120728210143/http://www.asahi.com/business/update/1115/SEB201111150008.html 2011年12月4日閲覧。 
  8. ^ “東ソー、爆発火災事故で調査対策委を設置”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年11月25日). オリジナルの2011年11月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111126054332/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111125/biz11112514340009-n1.htm 2011年12月4日閲覧。 
  9. ^ 『第116期有価証券報告書』,東ソー株式会社

関連項目[編集]

  • 高杉良 - 小説『バンダルの塔』では、東洋曹達工業(当時)からイラン・ジャパン石油化学会社(IJPC)に出向する社員が登場する。
  • イラン・ジャパン石油化学会社 - 1970年代に三井物産・東洋曹達工業などが出資してイランに巨大な石油化学コンビナートの建設工事が進められたが、1979年イラン革命1980年イラン・イラク戦争により計画は頓挫し、東洋曹達工業の経営悪化を招いた。