東京学芸大学附属高等学校

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東京学芸大学附属高等学校
Tokyo Gakugei University Senior High School 2017-01-03.jpg
過去の名称 東京学芸大学教育学部附属高等学校
国公私立の別 国立学校
設置者 国立大学法人東京学芸大学
設立年月日 1954年
共学・別学 男女共学(男女ほぼ同数)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(各学年8学級)
学期 3学期制
高校コード 13006A
所在地 154-0002

北緯35度38分5.4秒 東経139度40分42.8秒 / 北緯35.634833度 東経139.678556度 / 35.634833; 139.678556座標: 北緯35度38分5.4秒 東経139度40分42.8秒 / 北緯35.634833度 東経139.678556度 / 35.634833; 139.678556
外部リンク 公式ウェブサイト
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東京学芸大学附属高等学校(とうきょうがくげいだいがくふぞくこうとうがっこう、Tokyo Gakugei University Senior High School)は、東京都世田谷区下馬四丁目にある国立高等学校。通称「学附(がくふ)」、「附高(ふこう)」。設置者は国立大学法人東京学芸大学

概要[編集]

1954年昭和29年)に「東京学芸大学教育学部附属高等学校」として開校。2014年平成26年)に創立60周年を迎えた。学年の約2/3は(世田谷竹早小金井)3校からの「附属中学校枠」で入学する。また、1975年タイ王国からの留学生の受け入れを、翌1976年帰国子女の受け入れを開始した。

2012年度より文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受けている。2014年度よりSGHアソシエイトに選定されている。SSHおよびSGHAの活動として、日中ティーンエイジアンバサダーやチュラポーン高校(タイ王国)との交流事業、生徒主体の校内団体であるIn-cafeやglobal-cafe、ICT等を利用した授業や隔週で出されるレポートなど先進的かつ積極的に取り組んでいる。

所在地・交通アクセス[編集]

〒154-0002 東京都世田谷区下馬4-1-5

沿革[編集]

  • 1954年(昭和29年)
    • 4月 - 東京学芸大学附属高等学校が開校。(生徒数 208名(男女ほぼ同数))
    • 5月29日 - 開校式を挙行。
      • 本部を世田谷区下馬に置き、校舎は竹早校舎(文京区竹早)と世田谷校舎(世田谷区深沢)の2校舎制とする。各校舎2学級とする。
  • 1955年(昭和30年)- 制服・制帽を制定。
  • 1958年(昭和33年)- 校旗・校歌を制定。
  • 1960年(昭和35年)- 東京学芸大学の建物を利用し、下馬校舎を設置。
  • 1961年(昭和36年)- 大学の移転に伴い、竹早校舎と世田谷校舎を廃止し、下馬校舎に統合。1学年6学級とする。
  • 1967年(昭和42年)- プールが完成。学級数が現在の1学年8学級になる。
  • 1969年(昭和44年)- 10月13日に一部生徒が試験制度の廃止を求めて校舎をバリケード封鎖[1]。男子の制帽自由化。
  • 1975年(昭和50年)- タイ国留学生の受け入れを開始。(以降、毎年、数人が共に日本語で学習)
  • 1976年(昭和51年)- 海外在学経験者(定員15名)を特別枠で受け入れ開始。
  • 1978年(昭和53年)- 大体育館が完成。
  • 1979年(昭和54年)- 図書館が開館。
  • 1981年(昭和56年)- 別館が完成。
  • 1985年(昭和60年)- 西館が完成。
  • 1995年(平成7年) - マルチメディア学校教育利用実験開始
  • 2004年(平成16年)4月 - 組織改編。大学が国立大学法人化される。校名から教育学部が除かれ、「東京学芸大学附属高等学校」(現校名)に改称。
  • 2012年(平成24年)- スーパーサイエンスハイスクールに認定される。それに伴い、校内の合併教室を改修し、In-cafe を設置。
  • 2015年(平成27年)-スーパーグローバルハイスクールアソシエイト校に認定される。それをきっかけに有志の生徒と有志の教員の二人三脚により、インカフェ内にグローバルカフェが設立される。また、平和構築等の取り組みにより、さまざまな視点から世界を見つめるバランス感覚を持ち、自分の頭で考え行動できる人の育成を目指す取り組みが初めて作られた。

教育[編集]

入学試験[編集]

附属中学生

世田谷竹早小金井の附属中学3校からは附属中学校枠で入学する。附属中学生の入試は2016年平成28年)入学生まで一般中学生が受ける入試と共通の入試日と共通問題であったが、翌2017年(平成29年)入学生から一般中学生より早い時期に異なる問題で青田買い的に行われるようになった。

一般中学生

2016年まで、都立・県立の公立高校合格発表を待ってから入学手続きを行うことができた。しかし翌2017年からは、入学辞退者対策に合格者の“囲い込み”"青田買い"を始め、都立高校入試前に入学手続きを〆切り、追加合格者発表も都立高校入試日と都立・神奈川県立高校合格発表日にぶつけることになった。しかし2019年(平成31年)には、正規合格者数を大幅に絞ったため、想定以上の入学辞退者が出た。それにより、大量の繰り上げ合格を定員が充足するまで追加した。そのため、今度は都立日比谷高校がその煽りを受け二次募集を発表した[2]

授業[編集]

文理の教科選択は3年生からであり、2年生までは文理を問わず地歴公民科や理科を幅広く履修する。なお、3年生では「理系学科志望の生徒が文系教科目を履修する」等、文系理系の枠にとらわれない教科目選択を行うこともできる。

授業の内容は学習指導要領に沿ってはいるが、多くの教科では教科書の水準を質量共に上回る発展的な授業を展開する。

国内の高校としては2003年の「情報」科目が一律に導入される前の1995年よりコンピュータ教育を取り入れており[3]Appleの HP では、その授業風景が特集されていたことがある。
SSHやSGHを授業内に取り入れており、希望する生徒の探究心をサポートする体制となっている。
国際化への取り組みは、タイ・チュラポーン高校との交流やグローバルカフェのイベントを通して実施されている。自らと異文化の視点を持つ人たちとの交流を通じて、生徒たちに新たな学びの場を提供している。

また、年に3回・計8週間、東京学芸大学教育実習を受け入れている。

大学進学状況[編集]

毎年、(国公立)東京大学一橋大学東京工業大学や(私立)慶應義塾大学早稲田大学といった首都圏の国公立・私立の難関大学に数多くの合格者を輩出している。

各年度の大学合格者数(浪人含む) 東京大学 国公立大学医学部医学科(防衛医科大学校を含まず) 慶應義塾大学 早稲田大学
2016年度 57名(57名進学) 40名(40名進学) 148名(54名進学) 177名(46名進学)
2017年度 46名(46名進学) 28名(28名進学) 103名(30名進学) 140名(25名進学)
2018年度 49名(49名進学) 30名(30名進学) 114名(40名進学) 155名(35名進学)
2019年度 45名(45名進学) 20名(20名進学) 119名(48名進学) 136名(31名進学)
2020年度 28名(28名進学) 24名(24名進学) 102名(42名進学) 123名(42名進学)

設備[編集]

1936年(昭和11年)、東急電鉄総帥・五島慶太の誘致によって赤坂区青山北町(当時)から移転した東京府青山師範学校として建設され、1961年(昭和36年)以降は、大学の小金井移転に伴って空いた、敷地の一部[4]と建物をそのまま用いている。このため校内は非常に広く、大きなグラウンドが2つ(大グラウンド・芝グラウンド※現在は芝はない)と体育館が3つ(大体育館・小体育館・第一体育館)、柔道場、さらにはそれらとは別に講堂、西館、別館がある。L字型の校舎は、青山師範学校の歴史的な建造物で、テレビドラマや映画の撮影に使用されたこともある。正門から昇降口までは見事な銀杏並木が並んでいる。季節を通して美しい並木の様子から「ロマンス街道」と生徒の間で呼ばれている[5]

妙高教育研究所[編集]

949-2235 新潟県妙高市大字関山6392-5

約110名が宿泊できる施設であり、体育館弓道場などを併設している。かつては、坪岳スキー場の運営をしていた。

1年次の林間学校、スキー教室、部活動の合宿などで利用されている。また、保護者、在校生、卒業生のほか一般の個人利用もできる。

学校生活[編集]

通学路

最寄り駅は、東急東横線学芸大学駅。道順は複雑ではあるものの、駅前の交番には同校までの地図が常備されている。田園都市線三軒茶屋駅からも歩けるが、渋谷駅での乗り換えの便などから田園都市線沿線在住の生徒以外は殆どが学芸大学駅から通学している。なお、渋谷駅南口から学芸大学附属高校の前まで東急バス(野沢龍雲寺循環)が出ている。また、三軒茶屋駅北口からも学芸大学附属高校付近(徒歩1分未満)まで東急バス(目黒駅行)が出ている。

また学区制限がないこと[6]帰国子女を受け入れていることから、近隣で一人暮らしをしている生徒も存在する。

制服

同校では、制服着用義務が生徒に課せられている。

冬服は、制定されてから半世紀間、ほとんど不変の伝統あるデザインとなっている。男子の上着はスクールカラーである紺色の学生服に銀色のボタン、詰襟の左襟には泰山木の花をかたどった大きい銀の校章バッジを付け、白いプラスチック製カラーを入れる。女子の上着は身頃・襟とも紺のセーラー服に紺色の3本ラインとなっており、襟には男子と同じデザインの校章バッジと胸当て(制服制定当初にはなかったが、後に装着を規定)を付ける。スカートは、24本ヒダのプリーツスカートである。胸には青いスカーフを結ぶか、最近指定された青い成型済みリボンを付ける。附高結びのスカーフが正装とされているが、普段の学校生活では指定リボンを付ける生徒が多数である。ズボンとスカートは、共布の紺色である。なお、両端にプリーツを折ってから結ぶ、スカーフの「附高結び」(蛾結び)[7]は、1960年代に女子生徒たちが自主的に開発した着こなしで、今では附高の伝統として認知されている。

6月~9月は夏服期間である。男子の上は、胸に校章を表示した白ワイシャツ、ズボンは1964年から霜降りに変更された。また女子は、校章バッジを付けた紺の襟に白い身頃、紺の3本ラインのセーラー服であるが、胸当てはない。スカートは冬と同じ紺色。5月および10月は移行期間であり、夏冬どちらの制服を着用してもよいことになっている。

創立当初は制帽(黒色学生帽)着用も義務であったが、1969年度から制帽は自由化された。その後、生徒は引き続き制服自由化を要求したものの、激しい高校紛争とその直後に新聞部を中心に提唱された制服廃止要求にもかかわらず、学校側は、制服の同一性が「共に学び共に語る友情の絆、高校集団としての意識の形成」に資するとして積極的意義を唱え、制服そのものは廃止されなかった。

その後、1990年代半ばに「制撤会」が制服自由化運動を展開したことがあったが、全校生徒の間に廃止の機運は盛り上がらず、立ち消えとなった。

クラス編成

1クラス概ね40人程度の編成で、A組からH組までの8クラス×3学年の24クラスで推移している。

1クラスには前述した3つの附属中学校からの内部進学者と外部進学者、さらには帰国子女(一学年に15人程度)とタイからの留学生(一学年に2人程度)が混ざって構成される(2021年現在は0人)。学区による通学区域の制限は無く、全国から入学者を受け入れている。

行事

月別行事表[8]

1年時に参加必須の林間学校(妙高山登山)、冬のスキー教室(希望制)は妙高寮にて行われる。また実習や劇鑑賞のほとんどにレポートが課されている。

辛夷祭

全校的な盛り上がりを見せる文化祭。クラスごとに出し物を決めて参加するが、毎年1年生は娯楽、2年生は食品販売・模擬店(運動部も食品関係の模擬店を出店)、3年生は演劇となっている。特に3年生各クラスの演劇はキャストだけでなく、戯曲準備、演出、衣裳、小道具、大道具から、予算管理や著作権処理等の制作などのスタッフワークを全て生徒が行なう本格的なもので、辛夷祭の目玉となっており、3年生の演劇に憧れて本校を目差す受験生もいるほどである。その他にも音楽部や演劇部、合唱部、ダンス部、中庭ステージ(通称「中ステ」)でのライブなど出し物も行われる。
また、辛夷祭で発行された文藝部の部誌の掲載作品の一部は『凱風電子版』というサイトで読むことができる。タイ王国留学生によって毎年出店されるタイ風喫茶店は、タイ料理も提供される本格的なものとなっていた(近年は飲み物の販売を行っている)。

一部保護者より、3年次の夏休みを辛夷祭のクラス演劇に費やすことが大学受験の障害になるのではないかという指摘がなされ、辛夷祭そのものが7月に開催されたこともあったが、現在では9月初旬~中旬の開催に戻っている。

クラブ活動[編集]

  • オーケストラ
  • 美術
  • 軽音楽
  • 演劇
  • モダンジャス研究
  • ESS
  • 囲碁
  • 家庭科
  • 書道
  • かるた
  • 合唱
  • 天文
  • 文藝
  • 数理研究同好会
  • パソコン同好会
  • 落語研究同好会
  • クイズ研究同好会
  • 生物同好会
  • 理工学研究同好会
  • ソフトテニス
  • 卓球
  • ホッケー
  • 野球
  • 水泳
  • サッカー
  • ハンドボール
  • 男子バスケット
  • 女子バスケット
  • 男子バレー
  • 女子バレー
  • 陸上競技
  • 男子硬式テニス
  • 女子硬式テニス
  • 柔道
  • 剣道
  • 弓道
  • 山岳
  • バドミントン
  • ダンス

備考[編集]

いじめ問題の発覚

2015年の5月から9月にかけて、生徒1人が同じ学年の複数の生徒からいじめを受け、体育祭の練習時に倒されて手首を骨折したり、肩の高さから投げ出されて脳震盪を起こしたり、せみ幼虫をなめさせられるなどしたとされる[9]

隠蔽

高校側はいじめが発覚していた2015年6月時点で、教員らが事故原因を記すことになっている事故報告書を誰も作成していなかった。2015年9月に保護者からの申し出を受けて一部の関係者から聞き取りを行った調査は内容が不十分で、その時点で生徒の心身に危険が及ぶ「重大事態」であり、いじめ防止対策推進法により教育委員会文部科学省への報告義務があるにもかかわらず、報告をしたのは翌年の2016年3月のことであった。東京学芸大学は2016年11月29日に記者会見の席で、出口利定学長がいじめ事件を認め、対応が不適切だったとして、2016年11月28日付で当時の校長や学芸大の附属高担当副学長ら4人を戒告懲戒処分にし、既に退職した1人を戒告相当にした。記者会見の時点では、いじめ被害者とされる生徒は学校に復帰できていなかったという[10]

事件化

警視庁世田谷警察署は2016年5月17日付で加害者の生徒2人を傷害容疑で書類送検した。送検時、加害者の生徒はいずれも容疑を認めた[11]

事件後の対処

2017年4月、新任の学校長が着任し、学校長を長とする『いじめ防止対策委員会』を週1回開催するほか、問題の予兆を捉える手段として、生徒がスマートフォン等で匿名で通報できるシステムを導入。また、心理相談の専門家であるスクールカウンセラーが週3日来校し、生徒や教師との面談、保護者訪問などを実施するなどの取り組みを始めたと取材で述べている[12]

著名な出身者[編集]

学問

政治

行政

法曹

産業

医学

芸術

文学

マスコミ

芸能

その他

関連校[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 「高校紛争全国に広がる 2ヵ月間で49校も」『朝日新聞』昭和44年(1969年)10月28日朝刊、12版、15面
  2. ^ 日比谷高校「異例の二次募集」の深層 東京受験戦争の裏側を解き明かす J-CASTニュース、2019年03月08日
    日比谷高校“まさかの”2次募集 なぜか学芸大附属校長が「不適切表現で反省」のワケ「公立高校は辞退できない」という不文律はアリなのか おおたとしまさ文春オンライン、2019年3月14日
  3. ^ 情報教育”. 東京学芸大学附属高等学校. 2011年5月29日閲覧。
  4. ^ 敷地の南西側は東京学芸大学附属世田谷小学校 (1936-1957) → 図書館短期大学 (1964-1981) → 放送大学東京世田谷学習センター (1985-2012) → 建物解体、世田谷区立下馬中央公園
  5. ^ 東京学芸大学附属高等学校同窓会創立50周年”. 日本郵趣協会. 2011年5月29日閲覧。
  6. ^ H29年度入試公示(一般・帰国生)について (PDF)
  7. ^ 高山佳奈子のブログ「附高結びの方法」[1]
  8. ^ 表は平成28年(2016年)度の予定。
  9. ^ 学芸大附属高でいじめ 不適切対応で当時の校長ら懲戒処分【NHK NEWS WEB 2016.11.29.】
  10. ^ 報告書なし、面談不十分…学芸大付属高いじめで問題次々:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年2月23日閲覧。
  11. ^ INC, SANKEI DIGITAL. “東京学芸大付属高でいじめに関わった生徒2人を書類送検 傷害容疑、被害者に手首骨折や脳震盪”. 産経ニュース. 2020年2月23日閲覧。
  12. ^ 日本経済新聞社・日経BP社. “再び選ばれる学校に 学芸大付属高、常勤校長の挑戦|出世ナビ|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2020年2月23日閲覧。
  13. ^ 『週刊ダイヤモンド』2018年6月9日号、46頁
  14. ^ 東京学芸大学附属高等学校同窓会会報『泰山木』32号 (PDF) p.18
  15. ^ 彦根建築設計事務所 - PROFILE

関連項目[編集]