東京第二陸軍造兵廠

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加賀西公園にある圧磨機圧輪記念碑

東京第二陸軍造兵廠(とうきょうだいにりくぐんぞうへいしょう)は、大日本帝国陸軍陸軍兵器廠のひとつ。略称二造。主に東京都板橋区の板橋製造所を指す。

概要[編集]

1940年に組織改編によって陸軍兵器廠の板橋の火薬工場が東京第二陸軍造兵廠となった。赤羽線をはさんで東の十条側は東京第一陸軍造兵廠となっている。板橋製造所のほかに深谷製造所(埼玉県深谷市)、曽根製造所(福岡県北九州市、当時は小倉市)宇治製造所(京都府宇治市)、岩鼻製造所、忠海製造所(広島県)、香里製造所(大阪府枚方市)荒尾製造所(熊本県荒尾市)があった。

歴代廠長[編集]

  • 大島駿 少将:1940年4月1日 - 1943年12月3日[1]
  • 信氏良吉 少将:1943年12月3日 - 終戦[1]

板橋製造所[編集]

1876年加賀藩江戸下屋敷の広大な跡地に石神井川の水力を利用した火薬工場(砲兵本廠板橋属廠)が発足した。明治政府が初めて設置した火薬製造所である。陸軍造兵廠の火工廠となり、1940年陸軍兵器廠東京第二陸軍造兵廠に改編された。東京第一や板橋製造所王子工場(現在は国立印刷局王子工場)、堀船倉庫とを結ぶ鉄道も敷設されていた。野口研究所、東京家政大学、愛歯技工専門学校などに当時の建物が現存する。2008年には「旧東京第二陸軍造兵廠建物群(東京家政大学構内)」が板橋区登録有形文化財となった。

2014年に旧野口研究所の敷地に旭化成不動産レジデンスによるマンション開発計画が持ちあがると、板橋区は旧東京第二陸軍造兵廠内火薬研究所等近代化遺産群調査団を結成し研究報告書を作成、2016年には旭化成から加賀公園側の土地の譲渡を受け公有化し、同時に史跡指定を目指した[2]2017年(平成27年)10月13日に「陸軍板橋火薬製造所跡」として国指定史跡に指定され[3]、また2018年(平成30年)3月29日付で板橋区登録記念物(史跡)に登録された[4]

史跡公園として整備され、2024年にオープンする予定である。マンション予定地にある建造物も曳家により史跡公園予定地内に移される。

深谷製造所[編集]

戦局悪化に伴い、板橋工場の疎開先として1年で用地買収を済ませ、1944年10月に開所した。10ヶ月後に終戦。現深谷第一高等学校の場所に本部が置かれ、深谷工場、明戸工場、櫛引工場が存在した。従業員は2375人。[5]深谷製造所給水塔は2003年に国の登録有形文化財に登録された。

岩鼻製造所[編集]

東京砲兵工廠岩鼻火薬製造所」と称した黒色火薬の製造所が1882年11月より設置されていた。その後、1923年4月に「陸軍造兵廠火工廠岩鼻火薬製造所」へ、1940年4月に「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」へとそれぞれ改称し、1945年の終戦を迎えるまで、黒色火薬やダイナマイト、軍用火薬、民間用の産業火薬の生産・供給を行なっていた。[6]敷地内には岩鼻軽便鉄道が引き込まれていた。現在、都市公園群馬の森および、量子科学技術研究開発機構高崎量子応用研究所および、日本化薬高崎工場となっている。

忠海製造所[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。

関連項目[編集]