東前豊

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東前豊

東 前豊(ひがし まえとよ、1893年明治26年)8月6日 - 1974年昭和49年)5月6日)は、日本政治家。元岐阜市長

戦後地方自治法による公選で選ばれた、最初の岐阜市長である。

略歴[編集]

鹿児島県大島郡知名村(現在の知名町)出身[1]1918年大正7年)、広島高等師範学校地歴科を卒業し、岐阜県師範学校教諭・訓導となった[1]。さらに京都帝国大学経済学部選科で学んだ後、高知県師範学校教諭、熊本県立人吉高等女学校教諭を歴任した[1]1930年(昭和5年)に岐阜市視学・学務兵事課長に就任した[1]

1932年(昭和7年)から1946年(昭和21年)1月まで岐阜市助役を務めた後、辞職。同年4月、第22回衆議院議員総選挙に岐阜選挙区より日本自由党から立候補するが落選した。

長年岐阜市の助役を務めていた実績から松尾国松から後継者に指名され、1947年(昭和22年)戦後最初の公選で岐阜市長に立候補し当選。以後2期8年市長を務めた。また、同年6月から11月には全国市長会会長となっている。

岐阜市長としての実績は、岐阜空襲などの戦災で大きな被害を受けた市の復興に尽くした他、 新制岐阜薬科大学岐阜短期大学の開校。岐阜競輪場の開設などがある。また、市町村合併として、在任中に岩野田村黒野村方県村茜部村鶉村市橋村七郷村西郷村岩村との合併を行い、鏡島村厚見村との合併を決定している。

1971年(昭和46年)に岐阜市名誉市民となった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『濃飛人物大鑑』藍南社出版部、1935年、p.21


先代:
松尾国松
岐阜市長
1947年4月5日 - 1955年1月24日
次代:
松尾吾策