東北アジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東北アジア(とうほくアジア)とは、アジアの地域区分の一つ。トルコからウラル山脈以東の広大な地域における「東北」ないし「東」と「北」に位置する地域。

北東アジアとともに、使用している機関・個人によって必ずしもその地域概念についての共通理解が定着しているとは言いがたいが、1990年代以降広く使われ、特に日本を含む、あるいは日本に近接する地域を指す地域概念として重要視されている。

アジア全体の地域区分については、松田寿男のアジアの地域区分論(『アジア史概説』河出書房 1956年。最近のものは『アジアの歴史―東西交渉からみた前近代の世界像―』岩波書店 岩波現代文庫 2006年)が先駆的であり、アジア全域を対象としている。パミールを中心として天山アルタイヒマラヤヒンズークシの各山脈などの自然地形に従い、アフリカ北部・アラビア半島から東に、モンゴル高原中国東北部に延びる広大な乾燥の帯を加味して、東西南北の4つのアジアを設定する。北アジアは乾燥した酷寒・寒冷の北極圏を含むシベリア等でタイガと南部にステップが広がり、東アジア寒帯から亜熱帯の幅をもつ中華人民共和国(中国)・朝鮮半島・日本等として位置づけられる。

この東アジア北アジアをあわせた概念が、アジアの東北という意味での「東北アジア」であり、最も広義では、ロシア(ロシア連邦)のシベリア・極東バイカル湖以東の地域)、モンゴル、中国、朝鮮半島、日本を含む。

地域概念は歴史的に伸縮するものであり、たとえば「日本」地域は特にこの150年間伸縮が著しかった。しかし、この自然地理的区域分けを考慮に入れた東北アジア地域においては、中央アジア東南アジアとの区域分けを除いて、それほど大きく変動しない。ただ、この地域内の現在的相互関係と将来的関係については変動がありえ、特に、現在、東南アジアをも含む形で構想されている「東アジア」の範囲とは大きく重なる。

この「東北アジア」とほぼ同義にも使われる言葉として「北東アジア」がある。これは1980年代以降、国際政治学・開発経済論において、また日本海側道府県等で環日本海経済交流圏構想を掲げて以来、かなり使われるようになった。特に、1990年代に、環日本海経済交流圏の国の一つである韓国が「日本海」という呼称の使用を否定したため、「環日本海」に代わる言葉として「北東アジア」が使われるようになった。ただし、経済活動の視野が21世紀に入ってシベリアに拡大されるとともに、「東北アジア」とその地域範囲がほぼ重なる場合も多くなっている。

なお、「東北アジア」と「北東アジア」は、ともに英文表記では「Northeast Asia」であるが、漢字文化圏やモンゴル等では、「東北亜」などのように伝統的表記によって「東北」としている。これらの地域の方位表記にあっては、このように「東北」が一般的であるが、気象学・地理学等での「北東」の使用例も多い。

次にやや狭いのが、「東北アジア」を朝鮮半島・中国東北部・モンゴル東部、ロシアの極東を指す用語として使う場合であり、日本では歴史学・考古学分野の一部でこの用法が見られる。

なお、日本における学術分野での使用例では、歴史学においては東北アジアが多く使われ、文化人類学・地理学では「北東アジア」が、やや多く使われてきたという傾向は認められる。

そして最も狭い範囲をさす用語が、日本の外務省の課名にある「北東アジア」である。1958年、第一課は「北東アジア課」、第二課は「中国課」、第三課が「南東アジア課」、第四課が「南西アジア課」となって以来のもので、この「北東アジア課」は朝鮮半島を担当する。現在、広く使われ一般化している「東南アジア」を担当しているのが「南東アジア課」であり、これらの地域名は英文の直訳体となっている。このような外務省的区分では「東北アジア」は極めて狭い地域範囲となる。

他方、日本の経済産業省の北東アジア課は中国、朝鮮(南北)及びモンゴルとの通商に関する協定又は取決めの実施を担当しており、ロシアを担当していないことを除けば巷間言われている「東北アジア」の地理的範囲に近い。

自然地理的地域区分としての東北アジアに加えて、民族・国家・社会・経済も含めて考える場合、歴史的な地域の伸縮と相互関係の中で措定される「東北アジア」という地域区分が、歴史的・現在的・将来的に重要となる。

17世紀にモンゴル人を取り込んで領域を拡大した満洲族が、根拠地の満洲(中国東北部)から、モンゴル・中国・新疆チベット等の広大な地域を支配した。今日の中国の領域につながる広大な地域が、満洲族の王朝の領域となったのである。さらに、18世紀以降特に活発化したロシアの東方進出・拡大が、清とロシアの国境問題をもたらした。そして南からはイギリスフランスの進出によって、南アジア東南アジアとの複雑な関係が生じ、さらに19世紀後半以降の日本のこの地域への進出・侵略が関わった。こうしてこの地域において、近代的な国家領域が確定されていく。

第二次世界大戦後も、この東北アジア地域は、冷戦構造の下、朝鮮半島の南北分断と朝鮮戦争、また台湾海峡の緊張、アメリカの軍事プレゼンスと経済的影響等、複雑な歴史的背景をもった。また政治体制面でも、20世紀にはソ連に始まる共産主義国家地域でもあり、中国・北朝鮮及び東南アジアベトナムで、共産党政権が現在も存続している。だが、1980年代の中国の「改革開放」による市場経済化、1990年代のソ連の解体以降、経済関係、環境・資源問題での相互関係が密接となっており、多様な交流が拡大している。

東北アジアは、このような複雑な歴史的背景をもち、かつ相互関係が密接で、将来的にますますそれが強まる地域として地域設定されており、特にその中に含まれる日本にとって重要な地域であり、その平和・共生・安定が大きな課題となっている。

また民族的に見ても、極めて多様であり、中国で公式に認められた民族数は56、ロシアのシベリア極東では100以上にのぼる。モンゴル人の場合は、モンゴルのみならず、ロシアバイカル湖南岸のブリヤートボルガ川流域のカルムイク、中国内の内モンゴル及び青海省等に分布し、また朝鮮民族朝鮮半島以外にロシアや中央アジア高麗人、中国東北部(吉林省など)の朝鮮族、日本国内の「在日韓国・朝鮮人」等が存在するように、各国への広がりをもつ民族・エスニシティもあり、また世界的広がりをもつユダヤ人の居住地域もある。このように、東北アジアの民族問題は、極めて複雑であり、各国の民族政策にも複雑な歴史的背景による多様性が見られる。

なお、気候的には北極圏から亜熱帯までの幅があり、乾燥地域では広大な砂漠が広がり、現在も拡大している。8000m級の山岳が続くヒマラヤ・チベットなどの高山・高原から、新疆のトゥルファン盆地の海抜マイナス155mまでの高低差がある。また北のオビ川エニセイ川レナ川の各河川や、アムール川黄河長江(揚子江)・珠江などの大河もあり、海洋面でも北はベーリング海から、南の南シナ海太平洋までの複雑さがあり、極めて複雑で多様な自然環境が見られる地域である。  

参考文献

  • 中見立夫「"北東アジア"はどのように、とらえられてきたか」(『北東アジア研究』第7号 2004年3月31日 島根県立大学北東アジア地域研究センター)

今日は何の日(5月16日

もっと見る

「東北アジア」のQ&A