東和子・西〆子

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東和子・西〆子(あずまかずこ・にししめこ)は、昭和期に活躍した女流漫才師コンビ。

1949年(昭和24年)コンビ結成、落語協会や漫才研究会に加入し寄席に出演し人気を呼んだ。しかし、1964年(昭和39年)東和子が都上英二と結婚、2代目東喜美江を名乗りコンビ解消。その後1983年(昭和58年)3月からコンビ再結成し、復活が喜ばれたが1985年東和子の死去で解散。

メンバー[編集]

東和子1928年(昭和3年)1月25日 - 1985年(昭和60年)8月23日

北海道函館市出身。初代東喜美江の弟子、本名は股村和子。ギター担当。看護師をしていたが、戦後上京。1964年都上英二と結婚、2代目東喜美江と名乗り夫婦漫才コンビを組む。都上英二没後は元・さえずり姉妹の相原ひとみ(後に東笑子、東京二の妻)とコンビを組んだ(1980年 - 1982年)が、1983年3月からは再度西〆子と組んだ。1985年卵巣がんで死去。

西〆子1932年(昭和7年)1月24日 - 1986年(昭和61年)10月6日

名古屋市出身。夫婦漫才コンビ松鶴家千代若・千代菊の長女。本名は安藤〆子。三味線担当。両親が巡業先の名古屋で出生。名前の〆子は顔・容姿はあまりにも不細工だったので父・千代若が「シメタ!!、この顔・容姿、芸人にさせよ」とぼやいて決まったのだという。1939年より東京に暮らした。東和子とコンビ解消後は、1965年よりさえずり姉妹として活動後、ピンで活動ののち引退。「笑点」の前身番組「金曜夜席」の大喜利コーナーでの座布団運び担当など。1983年に復帰。東和子の死去後、程なく体調を崩し1986年死去。

参考資料[編集]

https://tokyomanzai0408.com/archives/2594

関連項目[編集]