東宝レコード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東宝レコード株式会社(とうほうレコード、TOHO Records Co., Ltd.)は、かつて存在した日本レコード会社である。

沿革[編集]

映画製作・配給会社の東宝1970年(昭和45年)に音楽事業を手掛ける子会社として東宝芸音(とうほうげいおん)を設立したのが東宝レコードの始まりである。本社と録音スタジオは日比谷の東宝ツインタワービル7階に置かれた[1]。設立当初から「東宝レコード」のレーベル名を使用していたが、企業名も後に東宝音楽工業(とうほうおんがくこうぎょう)を経て東宝レコードに統一している。レコードの販売はビクター音楽産業(現JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が受託で行っていた。

宝塚歌劇団のオフィシャル・マガジン『歌劇』1970年10月号には「新発足の東宝レコード、10月新譜発売」として加茂さくら「夢は今も」他2曲のレコードを発売する旨の広告が掲載されている。この時点では宝塚歌劇団関連のレコード(主題歌のシングル盤、公演を録音したLP盤)は日本コロムビアから発売されており、コロムビアとの契約が満了した1971年(昭和46年)から東宝レコードが宝塚関連のレコードを「宝塚レコード」のレーベル名で発売するようになった。同年4月1日にはデビュー第1号歌手として研ナオコ大都会のやさぐれ女」が発売されている。

宝塚関連以外では東宝が製作・配給した映画の主題歌やサウンドトラック、東宝および東宝芸能所属歌手のレコードが主力のラインナップであった[1]。いわゆる五社協定を構成していた映画会社では東宝の他に松竹ポリドール(現ユニバーサルミュージック)と提携して「松竹キネマ蒲田レコード」レーベルを戦前に持っていた他、大映(現KADOKAWA映画事業部)が大映レコードを設立していたが、専属俳優を系列のレコード会社から歌手としてデビューさせる発想は東宝が唯一であったとされる[1]1970年代後半にはそれらのラインナップから外れた企画盤やカルト歌謡も数多く発売されており、現在でもこの時代のイメージから「謎のレーベル」「幻のカルト・レーベル」と呼ばれることがある[2]

東宝は1970年初頭から事実上の製作撤退を行って外部作品配給中心に切り替えており、子会社の東宝映画などが年数本の製作を行っていたものの、提供できる音源は少数なうえに先細りの傾向にあった。たとえば大ヒット作「犬神家の一族」は、東宝が製作も配給も受託しているが、角川春樹事務所の全額出資作品であるためサントラ盤はビクターに委ねられた。ホリ企画作品で、制作受託も日活であった「伊豆の踊子」(CBSソニー)はなおのことである。

業績不振より1980年(昭和55年)に事業の停止が決定し、宝塚歌劇団関連のレコードはCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)が引き継ぐことになった。『歌劇』1980年7月号には同月中にレコードを廃盤、店頭在庫限りとする旨の広告が掲載されている。他の新譜に関しても翌1981年(昭和56年)には全ての発売を停止し、東宝レコードは親会社の東宝に吸収合併されて消滅した。東宝レコードの本社とスタジオが置かれていたツインタワービル7階は改装され、現在は東宝ダンスホールとなっている[1]

その後、2012年平成24年)に東宝の社内部署として新設されたアニメ事業室(TOHO animation)が翌2013年(平成25年)より「TOHO animation RECORDS」のレーベル名でCDの発売を行っている。ただし、発売タイトルはTOHO animationが製作に関わっているアニメソングに限定されており、旧東宝レコードと直接の関係は無い。

所属していたアーティスト[編集]

関連項目[編集]

  • 東宝ミュージック - 音楽出版部門。東宝音楽工業時代に「東宝音楽出版」として分社され、現在も存続している。

参考文献、注釈[編集]

[ヘルプ]
  • 『映画論叢』33(国書刊行会2013年)、4-8ページ「東宝プログラムピクチャーの世界(8) 専属俳優を起用してレコードを出すという発想は東宝だけでしたね。 俳優・梅田智子インタビュー」 ISBN 978-4-336-05751-8

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 映画論叢33、6-7ページ。
  2. ^ “カルト・レーベル“東宝レコード”のお宝音源集が2タイトル同時リリース!”. CDJournal.com (音楽出版社). (2009年5月28日). http://www.cdjournal.com/main/news/naito-yoko/24245 2013年10月27日閲覧。