東宝特撮

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東宝特撮(とうほうとくさつ)とは、東宝が製作した特撮映画である。

沿革[編集]

前史[編集]

東宝特撮の歴史は1937年の日独合作映画『新しき土』のスクリーン・プロセスまで遡れる。1940年の『エノケンの孫悟空』はテレビジョンが出てくるなどSF映画の源流ともいえる作品である。そして1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』は特撮シーンを前面に押し出した記念碑的作品である。ただし、この時代の特撮はあくまでも撮影技法の一部に過ぎず(当時は「トリック撮影」と呼ばれていた)、さらに終戦後、戦争映画の製作で国威発揚に加担したとして円谷が公職追放されたため、一時途絶える。

特撮映画の勃興期[編集]

1954年、インドネシアとの共同合作映画『栄光の陰に』が製作中止になり、東宝のプロデューサーであった田中友幸は急遽空路で帰国した。その機中で田中は「海から現れる巨大な怪獣」というアイデアを思いつき、公職追放後、自宅で特撮研究所を開いていた円谷に相談。円谷が考えていたアイデアも含められ、1954年に『ゴジラ』によって添え物ではない特撮映画が誕生する。同年、特撮技術を応用した『透明人間』を製作。1956年、初のカラー作品である『空の大怪獣ラドン』が上映。また変身人間シリーズ、『地球防衛軍』に始まる怪獣作品以外のSF、『白夫人の妖恋』などの怪獣以外のジャンルの特撮作品も製作されるようになった。

ゴジラシリーズと戦争映画[編集]

1960年代になると日本映画自体の斜陽化が始まり、東宝特撮も大きな岐路に立たされる。1962年の『キングコング対ゴジラ』は大ヒットになったが、海外の映画会社との共同制作となった1969年の『緯度0大作戦』は相手側制作費を肩代わりしたにもかかわらず興業に失敗。さらに、元々制作費のかさむ特撮映画作品は減少の一途を辿ることになる。

一方で、円谷が手がけ、1966年に放送が始まったテレビ特撮作品『ウルトラマン』は高視聴率となり、その影響を受けてゴジラシリーズも大人向けの描写(『怪獣大戦争』におけるグレンと波川のキスシーン等)を残しつつ、徐々に怪獣同士の戦いをメインに据えるようになっていき、また第一作で恐怖の象徴であったゴジラも「子供のヒーロー」としての脚色がされるようになる。結果として、ドル箱作品であるゴジラシリーズと空戦や海戦のシーンで特撮が用いられていた戦争映画だけが東宝特撮作品として残ることになった。

ゴジラシリーズの終了とパニック映画の台頭[編集]

1970年代になると第二次特撮ブームに乗ってゴジラシリーズの人気は続いたが、オイルショックによる物価高騰と不況は、制作費の高騰と興行成績の悪化を招いた。戦争映画は全く製作されなくなり、またゴジラシリーズも特殊撮影課から分離された東宝映像による製作にシフトされたが、徐々にゴジラシリーズの興業も悪化。制作費やスケジュールは圧縮、特撮シーンや造芸は旧作からの流用が目立ち始め徐々に作品の粗雑化が進み始める。そしてゴジラシリーズは1975年の『メカゴジラの逆襲』でシリーズ最低興業を迎え、ついに打ち切りの憂き目に会った。しかし、東宝映像はテレビ特撮も手がけることになり、ゴジラシリーズ同様巨大怪獣が登場する『流星人間ゾーン』や等身大ヒーローである『愛の戦士レインボーマン』などの作品を生んだが、これらも第二次特撮ブームの終了によって短期間の製作に終わった。

一方で、1973年に公開された『日本沈没』は、世相を反映して空前の大ヒットとなった。以降、円谷の弟子である中野昭慶による派手な爆発シーンを売りとしたパニック作品が一時期続くことになる。

海外SFの影響とリバイバルブーム[編集]

1970年代後半、『スター・ウォーズ・シリーズ』や『未知との遭遇』などのSF映画が世界的な大ヒットとなる中、東宝でも『惑星大戦争』や『ブルークリスマス』などの特撮技術や『火の鳥』などのアニメーション技術と特撮技術の合成を用いた作品が製作されたが、いずれも単発で終わった。

1980年代になると、かつて第二次特撮ブームの最中に育った世代が成人を迎える中で東宝特撮にもリバイバルブームが起きた。1984年には『ゴジラ』が公開され、同年の邦画興行成績第2位を獲得するなど成功し、続編のプロット募集などの準備が直後から始められたものの、実製作に至るまで長い期間を要した。

平成ゴジラシリーズとCG技術の登場[編集]

再び冬眠の時代を迎えた東宝特撮であったが、ゴジラシリーズは1989年に公開された『ゴジラvsビオランテ』の成功で本格的に製作が再開された。『vsビオランテ』こそ大人向けであったが、その客層の多くは子供であり、それ以後の平成ゴジラシリーズやモスラシリーズもまた、子供向けとなったが、かつての東宝特撮同様のメッセージ性(平成ゴジラシリーズでは人類の科学観、モスラシリーズでは環境問題)が物語の骨子であるという共通点がある。

この時期には、ゴジラ以外の新機軸の作品を模索しており、『vsビオランテ』と平行してモスラを主役に据える企画や『ガンヘッド』が進行し、『ヤマトタケル』のシリーズ化も企画されたが、結局平成ゴジラシリーズ終了後に、『モスラ』がシリーズ化されるにとどまり、結局90年代の東宝特撮もまたゴジラシリーズのみといった観が強く、しかも1990年代なかばになると、それまでのミニチュアや着ぐるみといった撮影法に代わり、CGを用いたSF映画が主流になり始めた。実際、1998年に米国のトライスター・ピクチャーズ製作で公開された『GODZILLA』に登場するゴジラは大半がCGによって描かれたものであった。同年、東宝特撮のほぼ全てを手がけた田中が死去。東宝特撮の製作は富山省吾に継がれた。

21世紀〜現在[編集]

1999年、『ゴジラ2000ミレニアム』の公開によりゴジラシリーズは三度目の製作再開を迎えた。ミレニアムゴジラシリーズでは、メッセージ性と同時にエンターテイメント性も求められ、主人公に女性を据える、かなり考察が練られた世界観、昭和の怪獣特撮との系列性、『とっとこハム太郎』との同時上映などが行なわれた。しかし、慢性的な不況は映画業界にも及び、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』でシリーズ興行成績ワースト3位を迎えたゴジラシリーズは、翌年の『ゴジラ FINAL WARS』で終焉。その後は『ローレライ』『日本沈没』など特撮セットが製作された作品があるが、いずれも製作委員会方式による映画であり東宝主導の映画である『シン・ゴジラ』まで、現在の東宝特撮は非常に低調であったと言える。

特徴[編集]

東宝特撮の最大の特徴は、(特に怪獣映画で如実だが)世界で初めて着ぐるみを多用した撮影を採用したことである。現在では当然のように思われているが、『ゴジラ』以前の特撮作品は、『キングコング』『アルゴ探検隊の大冒険』などで見られるストップモーション・アニメーション(いわゆる「コマ撮り」)が主流であり、本格的に着ぐるみを用いた作品は皆無であった。この着ぐるみによる撮影法は動きがスムーズであり、セットの破壊や爆発とリンクしやすいということもあり、特撮シーン全体が派手になる傾向が高くなった。その後の日本の特撮作品がストップモーションではなく、着ぐるみによる撮影が主流になるが、その先鞭をつけたのは東宝特撮だといえる。

また、東宝特撮の特徴の一つに、その時代のトピックを反映し、かつ何らかのメッセージ性を帯びた作品が多いという点が挙げられる。これは、「特撮映画は娯楽である」という田中の信念が如実に表れているためである。例えば、第一作『ゴジラ』は当時第五福竜丸事件で高まりつつあった核兵器への懸念を「核によって生み出された怪獣」によって具現化し、『世界大戦争』では前年のキューバ危機によって勃発直前まで至った第三次世界大戦をテーマにすることで、反核のメッセージを痛烈に描いている。また、『ゴジラ対ヘドラ』では公害によって誕生した怪獣を登場させ、『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』では公害によって母星が壊滅したゴキブリ型の宇宙人を登場させることで、公害への懸念と行き過ぎた開発への警鐘を主張している。『ゴジラvsビオランテ』では倫理を欠いた遺伝子研究を批判しており、1990年代に製作された『ゴジラvsモスラ』や平成モスラシリーズでは、開発による環境荒廃や家族の登場によって、一貫して「環境問題」と「家族」が大きなテーマとして据えられている。

その一方で、作品によってはその時代の流行を取り入れることも積極的に行なわれている。『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』や『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』などは、当時のハワイブームに乗って舞台を南の島にしているほか、『ゴジラ対メカゴジラ』は前年に返還されたばかりの沖縄を舞台にしている。

主なスタッフ[編集]

プロデューサー[編集]

原作[編集]

両名とも冒険小説で著名である。初期の東宝特撮の原作を執筆し、後の東宝特撮のメッセージ性などに先鞭をつけた。

監督[編集]

  • 本多猪四郎 - 初期の東宝特撮作品の監督をてがけた。元々記録映画志向があり、黒澤明と同門、助監督として協力していたこともある。その端正でリアリティーのある描写が評価されている。
  • 福田純


特技監督[編集]

  • 円谷英二 - 戦前から東宝特撮作品の特殊技術を手がけた。
  • 有川貞昌 - 第一作『ゴジラ』の撮影から東宝特撮にたずさわり、複数の特撮作品を手がけた。
  • 中野昭慶 - 円谷の弟子として、円谷の死後70年代の東宝特撮にたずさわった。パニック映画に見られる派手な爆発シーンを得意とする。
  • 川北紘一 -『地球防衛軍』を見て東宝入社を決意した。『流星人間ゾーン』に始まり、1980年代から1990年代の東宝特撮にたずさわった。その後は東宝から独立、『超星神シリーズ』の特技監督も担当している。

脚本[編集]

音楽[編集]

その他[編集]

  • 小松崎茂 - 戦前から活躍していた絵物語作家でイラストレイター。轟天号などの東宝特撮作品に登場するメカニックのデザインを手がけ、日本で最初にメカニックデザインを手がけたといえる。

関係の深い俳優[編集]

  • 宝田明 - 『ゴジラ』が初主演作。ゴジラシリーズをはじめ、他の怪獣映画にも多数出演。
  • 佐原健二 - 『空の大怪獣ラドン』が初主演作。ゴジラシリーズ最多出演俳優であり、他の東宝特撮や円谷作品にも多数出演。
  • 志村喬 - 黒澤作品で世界的にも有名な俳優。東宝特撮では『ゴジラ』の山根博士をはじめ、落ち着いた科学者の役を多く演じた。
  • 藤田進 - 戦前から軍人役で知られた俳優。その演技は東宝特撮でも司令官役で遺憾なく発揮されている。
  • 平田昭彦 - 第一作『ゴジラ』以降、ゴジラシリーズや円谷作品、『愛の戦士レインボーマン』でも個性的な役を多く演じた。
  • 土屋嘉男 - 東宝の俳優陣では唯一、黒澤組と本多組を多く行き来してきた。東宝特撮にも欠かせない俳優で『地球防衛軍』では日本人俳優として初めて宇宙人を演じた。
  • 小高恵美 - 平成ゴジラシリーズで一貫して超能力者「三枝未希」を演じた。同役でのゴジラシリーズ最多出演女優。
  • 中島春雄 - ゴジラをはじめ、数多くの怪獣を演じた。日本初の専属スーツアクターである。
  • 薩摩剣八郎 - ヘドラ以降スーツアクターとなり、平成ゴジラシリーズでゴジラを演じた。