東急バス目黒営業所

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目黒営業所

東急バス目黒営業所(とうきゅうバスめぐろえいぎょうしょ)は、東京都内の目黒通り山手通り周辺を運行する路線を所管する東急バスの営業所である。所在地は、東京都目黒区目黒本町一丁目14-18。最寄り停留所はかつての町名「清水」を名乗る。1940年9月に下目黒営業所の移転によって開設され、以後、周辺営業所との路線調整を繰り返しつつも、目黒通りを主軸とする目黒区周辺の路線を変わらず担当し続けている。営業所の略号は「M」。

沿革[編集]

目黒通りのバスの始まり[編集]

目黒通りの公共交通の歴史は古く、明治初年に碑衾村(ひぶすまむら)の人々によって始められた、権之助坂と玉川野毛の渡し場を結ぶ乗合馬車に始まる。その後、下目黒の人々が乗合自動車の運行を開始するにあたり、この馬車路線の権利を譲り受けることとなった。これが1919年大正8年)のことであり、バスとしての歴史も大変古いものになる。この路線は目黒乗合自動車によって運行され、目黒駅前 - 玉川等々力間を結ぶものであったが、1923年(大正12年)4月に目黒自動車運輸に買収された。

この目黒自動車運輸は、1920年(大正9年)に設立され、当初は主に貨物や貸切自動車の営業を営んでいた会社である。目黒乗合路線を買収した直後の1923年9月に関東大震災が発生し、郊外への転居者が激増したため、図らずも沿線人口が増加し、同社の業績もそれに応じて向上していった。

その後、目黒自動車運輸は玉川電気鉄道の傍系会社となった後、同系の芝浦乗合自動車とともに1937年(昭和12年)に目黒蒲田電鉄に合併している。

この際、権之助坂にあった本社は目黒蒲田電鉄の下目黒営業所として引き継がれた。目黒蒲田電鉄は、もともと目黒区では南部の洗足大岡山自由ヶ丘などにおいて運行していたが、この合併によって概ね祐天寺以南の山手通り上を除く範囲が同社のエリアとなった。さらに、1939年に東京横浜電鉄を合併し、区のほぼ全域に東横(目蒲が社名を変更)のバスが走るようになった。

この時点で、目黒区内の営業所は、前記の下目黒営業所のほか、旧・東京横浜電鉄より引き継いだ中目黒営業所があり、それぞれ合併前と同じように路線を所管していた。また、旧・目蒲路線も以前のまま神明営業所が担当しており、営業エリアと車庫が大きく離れていた。そこで、目黒区内の路線に効率的な配車を行えるよう、1940年(昭和15年)9月29日に下目黒営業所を目黒区のほぼ中央にあたる清水に移転、目黒営業所と改称し、新たな営業拠点として周辺路線を集約したのである。

その後、1942年(昭和17年)2月に陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により、以下の路線区間を東京市電気局(現・東京都交通局)に譲渡した。

結果、所管路線は下表の通りとなった(東京急行電鉄五十年史より抜粋、加筆)。

管轄営業区間 キロ程 旧所属事業者 備考
目黒駅前 - 自由ヶ丘 5.33km 目黒自動車運輸 自由ヶ丘=八雲三丁目
目黒営業所前 - 小山 2.04km 目黒自動車運輸 現在の平和通り経由
元競馬場前 - 祐天寺駅 1.64km 目黒自動車運輸
清水 - 五本木宮前 0.81km 目黒自動車運輸 五本木宮前=守屋図書館の西
祐天寺駅前 - 碑文谷 1.40km 旧・東横 碑文谷=学芸大学駅
田切 - 獣医学校裏 1.35km 旧・東横 獣医学校は現在の日大前
武蔵小山駅前 - 宮前町 3.76km 目蒲
洗足通 - 円融寺 0.61km 目蒲 洗足通=原町交番
自由ヶ丘駅 - 駒沢ゴルフコース 2.12km 目蒲 駒沢ゴルフコースは現在の駒沢公園。

戦後の目黒営業所[編集]

戦後は、休止線の復旧を行うとともに、新規区間の開通が徐々に進められた。ちなみに昭和20年代には、東急バスの世田谷区内の営業所が淡島営業所1カ所しかなく、目黒営業所は東京都内の広い範囲にわたって路線を担当した。

目黒通りを走る自由ヶ丘線は、1948年より都営バスとの相互乗り入れを開始し、都心への直通運転を行うようになった。1950年(昭和25年)には等々力から深沢駒沢渋谷を経由して東京駅に向かう等々力線も開通する。また、祐天寺方面の路線は目黒駅 - 三軒茶屋間を結ぶ三軒茶屋線に、自由ヶ丘駅 - 駒沢ゴルフコース間の路線は渋谷駅直通のグランド線へと発展した。

目黒区の南部では、東急目蒲線武蔵小山駅周辺へと東西に結ぶ戦前の路線が廃止され、戦後新たに碑文谷線、洗足線、渋谷線のような各々の地域から国鉄のターミナルに連絡する路線が開通した。また、洗足線や不動線のように、目黒区内から渋谷駅へと連絡する路線ができたことも、戦後の変化の一つである。

一方で、江ノ島線や長野線といった長距離路線を担当し、貸切車も配備されるなど、東急バスのエース格の拠点として社内での地位を固めていった。

1956年(昭和31年)、瀬田営業所の発足に合わせて等々力線とグランド線が移管。同時に観光営業所が新設され、貸切専用車はそちらに移った。

1986年(昭和61年)、碑文谷線と清水線に都市新バスシステムが導入される(次節で詳述する)。

トランセ委託の時代[編集]

2000年代には、東急トランセへの管理委託に伴う路線の異動が相次ぐ。2002年(平成14年)、旧目黒自動車運輸以来の伝統を誇った三軒茶屋線と小山線が管理委託になり、下馬弦巻へ移管。2007年(平成19年)には、洗足線が委託化され下馬に移った。また、弦巻のトランセ委託化の際に直営で残すため移管されてきた深沢線も同年、管理委託の上弦巻に戻された。2016年(平成28年)3月1日には、トランセ委託化で下馬に移管されてきた洗足線が、委託解除の上目黒に戻された。

2007年6月27日には、目黒営業所所管路線にPASMOが導入されている。

2010年(平成24年)4月、荏原営業所の担当だった荏原町線、しながわ水族館線、TOCシャトル線が移管される。これは荏原営業所の建て替え工事により車庫敷地が手狭になるためであったが、路線エリアの地域が営業所から遠く、営業運転での出入庫運行ができなくなり荏原営業所から清水までの長距離回送をしなければならないという不便を伴っていた。建て替え工事終了後の2012年(平成24年)10月1日、3路線すべてが荏原営業所に戻された。

目黒通り新交通システム[編集]

目黒通り専用車「109車」 M875

目黒通りでは、1986年(昭和61年)から「東急バス新交通システム」と呼ばれる都市新バスシステムが導入された。

導入地域に目黒通りが選ばれたのは、渋谷駅など他のターミナルを発着する路線と比較して、路線形態や管轄営業所が複雑でなかったためである。管内の対象路線は、碑文谷線、清水線、三軒茶屋線で、特に碑文谷線と清水線にはグレードの高い新型車両(109車)が導入された。また、一部の停留所には接近案内表示も設けられ、弦巻営業所の学校線も案内表示にのみ対応した。

メイン路線である清水線の運行の確保を重視、これが乱れた時に、本数を多く設定してある碑文谷線から車両を充ててメイン路線を確保する、という総合的な運行管理が大きな特徴であった。その全てをコンピュータ制御することにより、決定した1往復分のダイヤが運転席のディスプレイに表示されるようになった。また、同時に停留所に自動変更された予定時刻が表示され、該当車の方向幕が自動的に変更されていた。当時としては最高レベルのシステムであり、利用者の増加に貢献した。

なお、このシステムは老朽化により1998年(平成10年)に廃止され、現在は無線による接近表示システムに切り替わっている。同様の無線システムは、池上営業所管内、青葉台営業所管内でも導入されているほか、「東急バスナビ」として、携帯電話等に運行状況を随時表示するサービスも全路線で提供されている。

現行路線[編集]

碑文谷線[編集]

  • 黒01:目黒駅 → 大鳥神社前 → 清水 → サレジオ教会 → 大岡山小学校前 → 碑文谷八幡前 → サレジオ教会 → 清水 → 大鳥神社前 → 目黒駅
  • 黒01:目黒駅 - 大鳥神社前 - 清水
  • 黒01:目黒郵便局 → サレジオ教会 → 大岡山小学校前 → 碑文谷八幡前 → サレジオ教会 → 清水 → 大鳥神社前 → 目黒駅

碑文谷線・黒01系統は、目黒営業所の主力路線であり、1日あたりの運行回数が東急バス全路線の中で最も多くなっている。このため、清水線とともに新交通システム対応「109車」への一斉リニューアルや、同車を置きかえるべく実施された都内民営事業者としては初となるノンステップバスの大量投入など、数多くの先進的な試みが行われてきた。

碑文谷線が開通したのは1956年(昭和31年)5月16日のことで、当初は恵比寿駅を起点とし、目黒駅 - 田向 - サレジオ教会 - 区立七中 - 目黒駅というルートで循環運行していた。1957年2月11日に目黒駅発着に短縮され、大岡山小学校前を廻るようになったのは、同年12月6日のことである。また、かつては大岡山小学校 - 碑文谷八幡間に「宮ヶ丘」という停留所が設けられるなど、付近の停留所の位置関係も若干違っていた。

沿線には日出学園(旧・日出女子学園)、多摩大目黒中高(旧・目黒学園女子高校)、トキワ松学園目黒星美学園小学校といった私立学校が多く、それらへの通学輸送の役割が非常に大きい。

この線のサレジオ教会より西側は反時計回り・一方通行の循環区間であり、方向幕上の終点・大岡山小学校前は環七通り上ということもあって中間停留所のような扱いとなっている(方向幕はサレジオ教会 - 碑文谷三丁目までの間に「目黒駅」ゆきになっている)。実質的に終点の役割を担っているのは、その次の碑文谷八幡前であり、ここに時間調整のための待避スペースがある(循環区間から乗車した場合でサレジオ教会以東より目黒駅方面へ向かう場合、碑文谷八幡前で先行のバスが停車している場合は乗換可能(運転手からの乗換可能の案内もある)で、運賃の徴収は先行バスの運転手に告げれば行われない(運転手もミラーで後方確認している)。なお、碑文谷八幡で時間調整中は、バス車内で「あと○○分で発車します」という案内が流れる)。

1987年11月2日から深夜バスも運行している。目黒駅 - 清水の出入庫便も何本か運転される(清水止まりは系統番号なしの場合もある)。現在は全便ノンステップ車で運行。

清水線[編集]

  • 黒02:目黒駅 - 大鳥神社前 - 清水 - 都立大学駅北口 - 等々力七丁目 - 上野毛駅 - 二子玉川駅
  • 黒02:目黒駅 - 大鳥神社前 - 清水 - 都立大学駅北口 - 等々力七丁目
  • 黒02:清水 ← 都立大学駅北口 ← 等々力七丁目 ← 上野毛駅 ← 二子玉川駅
  • 黒02:目黒郵便局 → 都立大学駅北口 → 等々力七丁目 → 上野毛駅 → 二子玉川駅

清水線・黒02系統は、目黒駅から目黒通りを等々力七丁目まで走り、上野毛駅を経由し二子玉川駅までを結ぶ。沿線には碑文谷線も並行する日出学園、トキワ松学園の他、産業能率大学本部・自由が丘キャンパス、多摩美術大学本部・上野毛キャンパス、都立桜修館(旧・都立大付属高校)、八雲学園東京都市大学等々力中高(旧・東横学園)など教育機関が多く、それらへの通学輸送の役割が極めて大きい。また、駅から離れているイオンスタイル(旧・ダイエー)碑文谷店や沿線から二子玉川ライズなどレジャーの足にも欠かせず、比較的使いやすい路線である。

碑文谷線とともに、1986年にバス新交通システムが開始され、1997年にはノンステップバスが大量導入された路線である現在は基本的に全便ノンステップ車で運行される。

終戦直後は、目黒駅 - 清水として運行していた。この区間には、現在も出入庫便が少数営業運行しているが、この頃は一般路線として非常に多くの便数があった。その後、1960年代に入り今のように二子玉川園前(現・二子玉川駅)まで延長された。

1964年(昭和39年)から1969年までは、不動前営業所に一時移管されていた。この時の絡みで不動前が大橋に移転した時も、大橋営業所に引き継がれた。大橋営業所は、東急玉川線廃止後の代替バスを主に受け持つべく開設された営業所であるが、これが縁となり玉電廃止の翌日、1969年5月11日より二子玉川園前を越えて砧本村に至る便が運行されるようになった。後の黒03系統の誕生である。

1970年(昭和45年)9月1日、清水線は大橋から目黒に戻される。この時に、黒03系統の運用の都合で玉06の一部便も受け持つようになる。

黒03は1988年(昭和63年)2月15日限りで廃止され、目黒駅 - 二子玉川園前間の運行に統一された。同時に砧線の目黒担当便は高津営業所に移管された。

2004年9月16日から目黒駅 - 等々力七丁目間で深夜バスの運行を開始したが、2018年10月31日付で深夜バスの運行は終了となった。

多摩川花火大会開催時には、上野毛駅 - 二子玉川駅間が通行止めとなるため、運行は上野毛駅発着となり、車両は環八通り上の瀬田営業所を利用して折り返すという、風変わりな運用が見られたのだが、現在は環八通りの混雑による遅延を避けるため、等々力操車所で折り返しを行っている。

自由が丘線[編集]

東京駅を出発する東98系統(M7715)
  • 東98:東京駅南口 - 東京タワー - 慶應義塾大学前 - 目黒駅 - 大鳥神社前 - 清水 - 都立大学駅北口 - 等々力七丁目 - 等々力 - 等々力操車所(2013年3月31日まで都営バス目黒営業所→品川営業所港南支所と共同運行)
  • 東98:東京駅南口 - 東京タワー - 慶應義塾大学前 - 目黒駅 - 大鳥神社前 - 清水
  • 東98:清水 ← 都立大学駅北口 ← 等々力七丁目 ← 等々力 ← 等々力操車所
  • 東98:目黒郵便局 → 都立大学駅北口 → 等々力七丁目 → 等々力 → 等々力操車所

東京駅南口 - 目黒駅間は、東急バスでは港区内を縦断して千代田区内に乗り入れている唯一の路線[1]であり、2013年3月31日までは都営バスとの共同運行を行っていた。東急と都営との共同運行としては最後まで残った路線である。

以前は、このような民営バスの東京駅乗り入れ路線が数多く存在したが、自動車交通の発展とともに生じた幹線道路の渋滞、地下鉄路線の相次ぐ開業等により、その多くが山手線駅等を境に分割されてきた。その中で、東98系統は分割されずに残っている。目黒通り沿線の都立大学駅以東は鉄道駅から比較的遠いためか、目黒駅を跨いで山手線内と目黒通り沿線間での利用客が比較的多く、これが分割されない大きな理由とされる。また、東急バスにとっては、東京駅までの定期路線免許は資産の一つであり、これを維持することで同駅に乗り入れる団体バスの運行手続きが大幅に簡素化できる(定期路線の臨時便扱いで自由に増発可能)というメリットがあると同時に、近距離利用客と長距離利用客のバランスが良く、実際に収益路線であることが挙げられる。

また目黒駅 - 等々力七丁目間は清水線、加えて目黒駅 - 都立大学駅北口間は深沢線と重複しており、目黒通りを走行する路線として補完関係にあり、両路線をあわせるとラッシュアワーでは1時間当たり15本以上の運行本数となる。

この路線は、1946年2月に目黒駅 - 柿の木坂(現・碑文谷警察署付近)を復旧したのが戦後の始まりで、同年6月14日に都立高校へ、9月に自由ヶ丘(現・八雲三丁目)へと延長されていった。1948年(昭和23年)11月1日より、都営バスとの相互乗り入れにより東京駅まで運行するようになったが、その後も自由ヶ丘発着の時代が長く続き、線名の由来となっている。等々力へ伸びたのは、相互乗り入れ開始から10年以上もあとの1959年3月20日のことである。1968年(昭和43年)6月13日からは、通勤時間帯に限って目黒出入口 - 霞が関出入口間で首都高速道路を経由する便が登場し、1987年(昭和62年)5月15日まで運行されていた。首都高速道路経由便は、車体前面にヘッドマークを掲出していた。

沿線は変化に富んでいる。東京駅を出たバスは、東京国際フォーラム皇居端、経済産業省前や西新橋のオフィス街を行く。東京タワー下、済生会中央病院、庭園美術館の脇を通り目黒駅を抜けると、目黒・世田谷の住宅地に入って行く。終点の等々力操車所周辺は閑静な住宅地であり、数分で東京23区内唯一の渓谷、等々力渓谷に出ることができる。

運賃は東京駅 - 目黒駅が200円、目黒駅以西・以南のみ、または目黒駅をまたいで乗車する場合は210円であった[2]。2013年3月31日まで共同運行していた都営バス港南支所の場合運賃は全線200円だった。

現在は大型車で運行している。以前共同運行していた都営バスは基本的に中型ロング車を使用していた。東急バス単独運行になってからは中型ロング車と大型車に加えてワンロマ車が運用に入ることもあった。2018年現在、中型ロング車は全車転属し、通常の大型車と2015年以降に導入された自由が丘線向け大型ロング車(標準尺)が使用されている。

2013年4月1日より、当系統は東急バス単独運行となり、都営バスは撤退した[3]。先述の通り目黒駅を境に分かれていた運賃制度は東急単独化後もそのままであったが、2014年12月1日より全線が220円(ICカード216円)均一となった。同時に、東京駅 - 目黒駅間のみで利用できた区間定期券が廃止される代わりに清水方向のみ使えた目黒駅近距離定期券が目黒駅 - 白金高輪駅間でも使えるようになった[4]

品川線[編集]

  • 渋41:渋谷駅 - 大橋 - 中目黒駅 - 大鳥神社前 - 大崎駅 - 大井町駅
  • 渋41:渋谷駅 - 大橋 - 中目黒駅 - 大鳥神社前 - 大崎駅西口
  • 渋41:渋谷駅 - 大橋 - 中目黒駅 - 大鳥神社前 - 清水
  • 渋41:渋谷駅 - 大橋 - 中目黒駅 - 大鳥神社前
  • 渋41:清水 - 大鳥神社前 - 大崎駅 - 大井町駅
  • 渋41:清水 - 大鳥神社前 - 大崎駅西口

品川線は、渋谷駅から大橋を経て山手通りを南下し、第一京浜(国道15号)を経て大井町駅に至る路線である。大井町発のバスは大井町駅東口を出るとすぐに左折してゼームス坂を通行するため、南馬場までは別ルートとなっている。路線全般にわたって幹線道路である山手通りを通行しており、接続する鉄道駅[5]も多いため、かなりの利用者がある。しかし、山手通りは渋滞も激しくしばしば遅延が発生しており、定時運行の難しい路線でもある。基本的に大型車での運行であるが、最近では品川線でも大型車に混じって中型ロング車が運行されることがある。

この路線は、1929年(昭和4年)11月21日に東横乗合が運行を開始した大橋 - 大鳥神社前の路線がベースとなっている。東横乗合の東横電鉄本体への吸収により東横乗合中目黒営業所の流れを汲む不動前営業所が担当となった。

終戦直後は、渋谷駅 - 品川区役所(旧庁舎。新馬場駅付近)を結んでおり、当時の線名は品川区役所線といった。区役所が広町の現庁舎に移転したときにも、区役所構内を発着する便が新設され、長年品川区の北部と区役所を結ぶ連絡線の役割を果たしてきた。1956年(昭和31年)9月21日、路線の大半にあたる渋谷駅 - 大崎広小路間に都営トロリーバス102系統(池袋駅 - 渋谷駅 - 五反田駅 - 品川駅)が開通して競合となるが、都電第1次撤去と同時の1967年(昭和42年)12月9日限りで廃止されると、都営バスは渋谷と五反田の間に代替バスを設けず、トロリーバスの事実上の後継路線という意味合いが生まれた。

玉川線廃止直前の1969年(昭和44年)5月6日限りで不動前営業所が活動を終了し、玉川通り沿いの大橋に移転して大橋営業所に生まれ変わると、廃止の直前まで一貫して大橋が担当した。

しかし、1971年(昭和46年)6月1日からは全便が大井町駅までの運行となり、線名からも「区役所」の文字が消えて「品川線」となった。品川駅を通らないのに「品川線」の線名となっているのはそのためである(なお、品川駅には池上営業所担当の大田品川線が乗り入れている)。1991年(平成3年)3月18日から渋谷駅 - 大橋 - 大鳥神社前 - 目黒駅というルートで深夜バスが運行されていたが、短命に終わっている。

また、1994年(平成6年)6月末日まで、道玄坂上停留所付近から渋谷駅構内まで東急バス専用道があり、その終端となる東急百貨店東横店西館2階には、ターンテーブルを備えた渋谷東急バスターミナルがあった。この場所は東急玉川線(路面電車)の渋谷駅跡地で、玉川線廃止後、専用軌道をバス専用道路に作り替え、停車場跡地にターンテーブルが設置され、1970年(昭和45年)5月17日から使用されていたものである。現在の渋谷マークシティ内、京王井の頭線東京メトロ銀座線の線路に挟まれた場所に当たり、品川線はそこを起点としていた。専用道と停留所が使用できたため駅付近の渋滞に影響されにくく、なおかつ駅に直結していて便利であった。その後、渋谷マークシティの建設に伴いターンテーブルは撤去され、路線バスの停留所はなくなったが、バス専用道入口は引き続き高速バスターミナル(マークシティ5階)の専用道として残っている。

2002年(平成14年)7月16日付で大橋営業所から目黒営業所へ移管され、これと同時に大井町駅 - 大橋間の出入庫系統が廃止され、清水 - 渋谷駅・清水 - 大井町駅の出入庫系統が新設された。2003年3月19日には、渋谷駅 - 大崎警察署の折り返し便を居木橋(いるきばし)まで延長した(渋谷駅方向は大崎駅発)。2015年(平成27年)12月8日に大崎駅西口のバスターミナルが開設され、同ターミナルに乗り入れを開始。これに伴い、従来の居木橋着・大崎駅始発便は廃止された。

運行途中での乗務員(サービスクルー)の交代は大鳥神社前で行われる。乗務員は、目黒営業所がある清水から大鳥神社前までを、目黒通りを経由して徒歩または目黒通りを走行するバスに乗車して移動する。

洗足線[編集]

  • 渋71:渋谷駅東口 - 代官山駅入口 - 祐天寺 - 中央町 - 清水庚申 - 洗足駅
  • 渋71:渋谷駅東口 - 代官山駅入口 - 祐天寺 - 中央町 - 清水(出入庫)
  • 渋71:洗足駅 → 清水庚申 → 清水(入庫)
  • 渋71:清水庚申 → 洗足駅(出庫)

1952年(昭和27年)6月25日東急百貨店(渋谷駅東口)- 清水が開通し、1954年(昭和29年)7月25日に洗足まで延長、1957年(昭和32年)7月13日からは大岡山経由で洗足池に至る便も運行されていたが、1970年代に現行経路となった。なお円融寺前 - 洗足駅間は、戦前に目黒蒲田電鉄が運行した路線と重複する。

祐天寺二丁目交差点以降の目黒中央中学校 - 洗足駅は、清水(清水庚申)付近で目黒通りを横断する以外は専ら住宅街を通行する。沿線には実相山正覚寺・明顕山祐天寺・経王山円融寺といった著名な寺院・仏閣があり、目黒区役所(総合庁舎)への足としての重要な役割を担う路線でもある。

水道局目黒営業所前 - 清水庚申は交通規制(一方通行)により、洗足方面と渋谷方面で通行経路が異なる。そのため中央町二丁目は洗足方面のみ、清水は渋谷方面のみ停車となり、中央町はそれぞれの停留所が約200m離れている。この区間は狭隘路のため当路線は中型車限定運用となっている。開通当初、この付近では五本木から目黒通りへと直進するルートで往復とも運行されていた。出入庫時には両方向から清水発着(洗足駅行き出庫便のみルートの都合上、清水庚申発)が運転される。

東急目黒線洗足駅のホームは地下にあり、ホーム直上に駅舎と東急ストアが建てられている。バスのりばは駅舎と東急ストアの間にあり、駅改札の裏側にあたる。

2007年(平成19年)3月16日、東急トランセ管理委託の上下馬へ移管されるが、2016年(平成28年)3月1日付で管理委託を解除の上全便再移管。9年ぶりに元の目黒営業所に復帰し現在に至る。

不動線[編集]

縁日開催時の不動線(M352)
渋谷駅からのバスはここ「林試の森入口」で折り返す
  • 渋72:渋谷駅東口 - 恵比寿駅 - 茶屋坂 - 大鳥神社前 - 林試の森[6]入口 - 目黒不動尊 - 桐が谷 - 五反田駅
  • 渋72:渋谷駅東口 - 恵比寿駅 - 茶屋坂 - 大鳥神社前 - 清水
  • 渋72:清水 - 目黒不動尊 - 桐が谷 - 五反田駅
  • 渋72:渋谷駅東口 - 恵比寿駅 - 茶屋坂 - 大鳥神社前 - 林試の森入口(縁日)
  • 渋72:不動尊門前 - 桐が谷 - 五反田駅(縁日)

1959年(昭和34年)12月18日に開通した。中型車両で運行される路線であり、多くの区間で狭隘な道路を走行し、下目黒五丁目 - 不動尊門前間では、反対方向のバスとは決まった場所ですれ違いを行っている。不動尊の入口付近は特に狭いため、誘導員が配置されており、境内にはバスのみ乗り入れが認められている。また、2007年3月16日の洗足線の移管により、不動線は全車ノンステップバスでの運行となった。

本路線は目黒不動尊の境内を通行しているが、毎月28日は縁日が開催されるため境内の通行ができなくなる。そのため毎月28日は「渋谷駅東口 - 林試の森入口」「不動尊門前 - 五反田駅」の分離運転となり、林試の森入口 - 不動尊門前の間は徒歩連絡となる。この間を徒歩連絡で利用する乗客には、林試の森入口または不動尊門前にて降車する際に乗継券が配布される。また、曜日にかかわらず特別ダイヤで運行される。なお、折り返し地点となる「林試の森入り口」・「不動尊門前」で折返す際は、T字路でバックする形で折返す。そのため、縁日ダイヤの際は両停留所の周辺に誘導員が配置される。

東京都市大学キャンパス間シャトルバス(特定輸送)[編集]

東京都市大学のキャンパス間を結ぶ路線。運賃は無料だが、乗車時に学内で配布されているシャトルバス利用券または学生証の提示が必要。2014年度までは東山田営業所と共管しており、世田谷キャンパス出発時に後退が必要となるため、バックアイを搭載している大型車(M8702・8704・8705・8708・8796号車)が運行していた。2015年度からは新たに特定登録された中型車(M519、M541)が充当する。先述の二車両廃車に伴い、2018年度からは、新たに特定登録されたM873、M874が充当する。なお検査時はバックアイ付き中型車が代走し、学位授与式などの催事日は前述の大型車が運行したり、東山田営業所の車両が担当する。 なお、特定登録車両は、運賃箱と車内電光掲示板が取り外されている。

廃止路線[編集]

※路線の分割等に伴うものを除く

公園線[編集]

  • 黒04:目黒駅→大鳥神社前→清水→都立大学駅(現・都立大学駅北口)→真中(駒沢大学駅前)→駒沢公園→目黒駅

駒沢営業所の環七線の前身だったが、1967年(昭和42年)の環七線の新宿駅延長に伴い、都立大学駅前から先を清水線のルートに付け替える形で新設された。目黒通りを中根町まで進み、中根町交番前交差点を右折、自由通りを国道246号「真中」交差点まで進み左折、駒沢交差点で左折、駒沢通りを左折し駒沢公園に至り、駒沢公園の先で自由通りに入り目黒駅に向かう、終点部分で循環する路線であった。駒沢営業所を通過するが、行き先は「駒沢公園」となっていた。

弦巻営業所の学校線、駒沢営業所のコーチ自由が丘線との重複整理を大義名分として、駒沢営業所の閉鎖に伴う路線再編成に先立って、1984年(昭和59年)1月31日限りで廃止。

野沢線(学芸大学駅経由)[編集]

松濤線[編集]

洗足線と中目黒駅で分かれて山手通りを北上し、初台を経由して新宿駅西口まで行く路線。東大前と初台の間は淡島営業所の初台線(現・京王バス中野営業所の渋谷初台線)と同じ、新宿車庫前(初台交差点)と新宿駅西口の間は当時存在した都営バスの橋78系統(現・宿75出入系統)と同一だった。

1965年(昭和40年)にそれまで京王帝都電鉄単独だった駒場線のルートを付け替え、駒場駅(現・駒場東大前駅)と中目黒駅の間を延長し、洗足線につなげる形で東急が新規参入。新宿駅から目黒区東山にあった東急修学旅行会館へのアクセスを確保すると共に、東海大学本部・代々木キャンパス、東海大望星高校への通学輸送を担っていたが、1971年(昭和46年)に京王が撤退して東急単独となり、それも1974年(昭和49年)1月15日限りで廃止。京王帝都電鉄は目黒区から撤退した。

江ノ島線[編集]

1954年(昭和29年)、東急電鉄が打ち上げた有料道路構想「東急ターンパイク」の先駆けとして開設された。

当初は全区間一般道路経由で、渋谷駅から上馬まで玉川通り、上馬から馬込まで環七通り、馬込から横浜まで第二京浜国道を走り、横浜駅からは江ノ電バスの大船・鎌倉経由江ノ島線と同じ鎌倉街道に沿って走った。

その後東急ターンパイクは国直轄事業に取り上げられ、1965年(昭和40年)第三京浜道路として開通。江ノ島線は瀬田から保土ヶ谷まで第三京浜、保土ヶ谷から戸塚まで横浜新道経由の途中ノンストップに変更された。しかし渋滞の悪化と、東急ターンパイク構想の頓挫による事業環境の変化を受け、1974年(昭和49年)6月30日限りで廃止された。江ノ電バス横浜・鎌倉営業所#廃止路線江ノ電バス藤沢・湘南営業所#廃止路線も参照。

長野線[編集]

東急における都市間長距離バスのはしりとして、 1961年(昭和36年)7月1日に運行開始。五島慶太の故郷・長野県と東京を直結する路線だった。1971年(昭和46年)6月30日限りで廃止。なお、午前出発便には「信濃路号」として、午後出発便には「善光寺号」として、それぞれ運行されていた。現在は、関越自動車道上信越自動車道を経由する高速バスとしてバスタ新宿発着で京王電鉄バスアルピコ交通(旧・川中島バス)、池袋駅発着で西武バス長電バスが運行している。

    • 江ノ島線・長野線共、「定期観光バス」として運行されていた。[7]

移管路線[編集]

小山線[編集]

  • 反11:五反田駅 - 武蔵小山 - 目黒郵便局 - 学芸大学駅 - 野沢龍雲寺 - 上馬 - 駒留 - 世田谷区民会館(世田谷区役所)

2002年(平成14年)5月16日付で東急トランセ管理委託の上、弦巻営業所に移管。

三軒茶屋線[編集]

旧目黒自動車運輸の品川駅 - 祐天寺駅線以来、70年以上に渡り一貫して担当したが、2002年(平成14年)7月16日付で東急トランセ管理委託の上、下馬営業所へ移管。さらに2014年(平成26年)9月1日付で、弦巻営業所に再移管され現在に至る。

深沢線[編集]

1999年9月1日、弦巻営業所から移管[8]。2007年3月16日付で東急トランセ管理委託の上弦巻営業所に戻される。

荏原町線[編集]

  • 森02:大森操車所 - 大森駅 - 大田文化の森 - 万福寺前 - 馬込橋 - 三本松 - 荏原町駅入口
  • 蒲15:蒲田駅 - 蓮沼駅 - 矢口東小学校 - 池上駅 - 池上営業所 - 大田文化の森 - 万福寺前 - 馬込橋 - 三本松 - 荏原町駅入口(平日日中のみ)
  • 森02:大森操車所 - 大森駅 - 大田文化の森 - 万福寺前 - 馬込橋 - 荏原営業所(出入庫運用)
  • 森02:荏原営業所 - 馬込橋 - 荏原町駅入口(出入庫運用)

荏原営業所が建て替えにより手狭になるとの理由で、2010年(平成22年)4月1日付で移管。その後、工事終了後の2012年(平成24年)10月1日付で荏原へ復帰した。

荏原への再移管前日の2012年9月30日には、森02系統の全便を日野・ブルーリボンシティハイブリッドで運行され話題となった。

しながわ水族館送迎バス[編集]

しながわ水族館送迎バス(初代専用車)E6802 しながわ水族館送迎バス(2代目専用車)E763
しながわ水族館送迎バス(初代専用車)E6802
しながわ水族館送迎バス(2代目専用車)E763

荏原営業所の建て替えに伴い、2010年(平成22年)4月1日付で移管。工事終了により、2012年(平成24年)10月1日付で復帰した。

TOCシャトルバス[編集]

TOCシャトルバス
  • 五反田駅 - TOCビル

荏原町線・しながわ水族館間送迎バスと共に、2010年(平成22年)4月1日付で荏原営業所から移管されたが、荏原営業所の建て替え工事終了後の2012年(平成24年)10月1日付で荏原営業所へ復帰した。

荏原病院シャトルバス[編集]

荏原営業所の建て替え工事に伴い、荏原町線やしながわ水族館間送迎バス、TOCシャトルバスと共に2010年(平成22年)4月1日付で荏原営業所から移管されたが、建て替え工事終了後の2012年(平成24年)10月1日付で荏原営業所へ復帰した。

車両[編集]

2013年4月現在は全4メーカーの車両が在籍しており、大型短尺車と中型車・ナロー車(別名:中型ロング車)、ワンロマ車が所属。ワンロマ車を除きいずれもノンステップバスで、大型短尺車は日野・ブルーリボンシティハイブリッド(2005年度から納車、現在10台配置)とブルーリボンII、三菱ふそう・エアロスター/エアロスター-SUDトラックスOEM車)、UD・スペースランナーRAいすゞ・エルガが、洗足線・不動線専用の中型車は日野・レインボーII三菱ふそう・エアロミディMKおよびUD・スペースランナーRM、自由が丘線と品川線で主に使用されるナロー車は三菱ふそう・エアロミディMKが所属している。所属台数は81台。

目黒営業所は三菱ふそう(三菱日本重工→三菱重工三菱自動車三菱ふそうトラック・バス)と日野、UD(民生デイゼル→日産ディーゼル→UDトラックス)から納車を受けてきた。このうち、UDの大型車は1986年度に先代109車に置き換えられて一旦消滅し、配属のない時代が長らく続いたが、2000年度に深沢線黒07系統を受け入れた際に弦巻からU-UA440HSNの1991年度車5台が転入していたが、のちに深沢線とともに弦巻へ復帰となった。さらに2007年からUD・スペースランナーRAが配属され、再三にわたり配置されることになった。それに加えて富士重工業SUBARU)新7EボディをもつUA452が弦巻、下馬や池上、新羽などから転属し、三菱ふそう・エアロスターノンステップに代わって同営業所の一大勢力となっていた。

また、荏原営業所からの路線移管もありいすゞ車も旧M581以来14年ぶりに当営業所に配属されるようになった。荏原営業所からはこのほかUD・スペースランナーJPやしながわ水族館・TOCシャトルバス専用のいすゞ・エルガミオ東京都保健医療公社荏原病院シャトルバス専用の三菱ふそう・ローザも転入していたが、2012年10月1日の再移管で荏原営業所に出戻っており、貸切登録されたUA452(新羽営業所から転属)の2台も荏原営業所に転属している。

この他、ワンロマ車が都内の営業所で唯一配置されていたが、2018年に新羽営業所に転属したため現在は配置はなくなっている

また、初期三菱ふそうノンステップ車は109車の塗装を受け継ぎ上中下のライン共に赤であり、他の営業所のような青いラインが入っていない(2012年9月に2001年度導入の2台が廃車されたことで消滅)。2004年度の三菱ふそう車からは、他営業所と同じく青いラインが入るようになった。

M1175は東急バス創立20周年を記念し、下馬営業所のSI1126と同様の観光バス初代塗装となっている。

車内のLED表示器は2009年ごろまでは他の営業所と同じ1段式の物を使用していたが、2010年ごろから2段式への交換が行われた。表示方法が1段や他営業所の2段式の物とは異なり、「次は○○(停留所名)Next○○(停留所名のローマ字)」を何ループかスクロール表示(他の営業所では「次は」は左端に固定表示)し、その後日本語表示が固定表示される(ただし文字数制限で「次は」を含めた8文字以上の物はスクロールされる)。2段目は広告の表示にのみ使用される。停車中はその停留所の日本語表示が固定表示される(こちらも文字数制限で8文字以上の物はスクロールされる)。発車時、1段式や他営業所の2段式は放送装置のスイッチを押さないと次の停留所が表示されないが、目黒所属の2段式は扉が閉まると勝手に次の停留所名の表示が始まる仕組みになっている(放送装置のボタンを押すと放送が流れるのみ)。この動作は目黒所属の車両のみで見られる。

2016年に配属されたM1662号車(三菱ふそう・エアロスター)は、車内の停留所名表示器がLEDではなくクラリオン製の液晶表示器となっている(その後目黒営業所に在籍している在来車にも設置が進んでおり、2018年から他の営業所の車両にも液晶表示器の設置が進められている)。

脚注[編集]

  1. ^ 港区内に乗り入れる路線は当路線以外には品川駅を発着する池上営業所の大田品川線(品94系統)のみである。
  2. ^ 2014年4月1日以降、消費税率変更によりそれぞれ210円(ICカード206円) / 220円(ICカード216円)に値上げ。
  3. ^ 東98系統の共同運行について 2013年3月1日
  4. ^ 東 98 系統「目黒駅前~東京駅南口」間の運賃改定について - 東急バス2014年11月21日
  5. ^ 接続駅は、渋谷駅中目黒駅不動前駅大崎広小路駅大崎駅新馬場駅青物横丁駅(大井町駅行きのみ)・大井町駅である。
  6. ^ なおかつては、同じ試験場として開かれた「蚕糸(サンシ)の森」の前を通るバス路線があったが、1984年に撤退。
  7. ^ 出典:日本交通公社発行小型時刻表1961年10月号476ページの「定期観光バス案内③」より。
  8. ^ バス路線の所管の変更 (PDF) 」 、『HOT ほっと TOKYU』第210号、東京急行電鉄、1999年9月1日、2017年1月20日閲覧。