東洋劇場 (ソウル特別市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東洋劇場
동양극장
Dongyang Theatre
種類 事業場
市場情報 消滅
略称 東洋、東劇
本社所在地 大韓民国の旗 大韓民国
ソウル特別市中区忠正路1街62番地
設立 1935年11月1日
業種 サービス業
事業内容 映画の興行
関係する人物 洪淳彦
裵亀子
金田泰潤
車紅女朝鮮語版
特記事項:略歴
1935年11月1日 開館
1950年前後 映画館に業態変更
1976年2月 閉館
テンプレートを表示

東洋劇場(とうようげきじょう、朝鮮語: 동양극장、トンヤンクッチャン)は、かつて存在した大韓民国映画館劇場である[1][2][3][4]。1935年(昭和10年)11月1日、日本統治時代の朝鮮京城府竹添町(現在[いつ?]大韓民国ソウル特別市中区忠正路朝鮮語版)に新派劇専用の劇場として、洪淳彦裵亀子夫妻の手によって開館する[1]。1940年(昭和15年)前後は常設映画館に業態を変え[3][4]第二次世界大戦後は、芝居小屋として使用されたが、大韓民国成立後に映画館として使用された。1976年(昭和51年)には閉館、建物も1990年(平成2年)には解体された[5]KBS第2テレビジョンテレビドラマ東洋劇場朝鮮語版』(2001年)で知られ、韓国演劇史上、重要な劇場とされる[6][7]

沿革[編集]

  • 1935年11月1日 - 芝居小屋として開館[1]
  • 1940年前後 - 常設映画館に業態変更[3]、その後は芝居小屋に戻る[4]
  • 1950年前後 - 映画館に業態変更[1]
  • 1976年2月 - 閉館[1]

データ[編集]

1930年代後半の同館。青春座が公演している。

概要[編集]

車紅女の急死を報じる記事(1940年12月24日付)。

日本統治の時代[編集]

1935年(昭和10年)10月、日本が統治する朝鮮の京城府竹添町1丁目62番地(現在[いつ?]の大韓民国ソウル特別市中区忠正路1街62番地)に洪淳彦(1905年 - 1937年)・裵亀子(1905年 - 2003年)夫妻の手により竣工、同年11月1日に開館した[1]。裵亀子は舞踏家であり、洪淳彦は平壌府(現在[いつ?]朝鮮民主主義人民共和国平壌市)出身の実業家である[1]。支配人には専属作家でもある崔獨鵑朝鮮語版(本名・崔象徳、1901年 - 1970年)が就任した。同館開館とともに、「青春座朝鮮語版」を設立している。

ただし1936年(昭和11年)に発行された『朝鮮及滿洲に活躍する岡山縣人』によれば、同館は京城劇場(のちのソウル劇場、本町3丁目94番地、現在[いつ?]忠武路3街94番地)とともに、分島周次郞が経営したと記されている[8]。同年10月25日には、同館支配人の崔獨鵑が脚本を執筆した『迷夢』(監督梁柱南、主演李錦龍朝鮮語版)を分島周次郞が経営する京城撮影所が製作し、同館および團成社で封切っている[9]。同作の上映用フィルムプリント等は、のちに2006年(平成18年)に中国で発見され、現存する最古のものとして、韓国の文化財庁第342号に登録された[9]

同館の劇場・劇団経営の画期的とされる点は、所属俳優に対して固定月給制を採用したことであり、この制度により俳優は生活を気にせず演劇に専念することが可能になった[1]。同館を拠点とした劇団に、「青春座」「豪華船」「東劇座」「喜劇座」があり、同館のみならず、地方巡業も行った。「青春座」、および1938年(昭和13年)創立の「豪華船」は二大劇団として知られた[2]。演劇本位の経営を行った洪淳彦は、1937年(昭和12年)1月19日、妻の日本公演に同行し、東京で客死している。洪の没後は、支配人であった崔獨鵑が代表に就任し、同館の経営を行った。

「青春座」の代表作は『愛にだまされ金に泣き朝鮮語版』(監督李明雨朝鮮語版)であり、同館は1939年(昭和14年)、高麗映画協会と提携してこれを映画化し、同年3月17日、京城府民館で公開し、10,000人を動員した記録が残っている[10]。同作に主演したのが、「青春座」のスター女優車紅女朝鮮語版(1919年 - 1940年)であった[10]。1940年(昭和15年)12月24日には、女優の車紅女が巡業中の舞台で倒れ、急死するという事件が起きている[11]。所属俳優たちは崔獨鵑の経営に反発、大挙して同館を脱退しており、車紅女もそのひとりであったが、この前後の時期に映画館に業態を変更している[3]

1941年(昭和16年)3月に発行された『演劇特輯號』誌によれば、同館内に「青春座」「豪華船」の両劇団の事務所を置いており、団員数はいずれも23名、代表者はいずれも金泰潤が務めている[2]。1942年(昭和17年)に発行された『映画年鑑 昭和十七年版』によれば、同館の経営者は金田泰潤(金泰潤)、支配人も金田が兼務、観客定員数については記されていない[3]。第二次世界大戦が始まり、戦時統制が敷かれ、日本におけるすべての映画が同年2月1日に設立された社団法人映画配給社の配給になり、映画館の経営母体にかかわらずすべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同資料には同館の興行系統については記述されていない[3]。同年9月20日には、同館の「革新開館3週年紀念公演」と銘打ち、「青春座」が『傳説春香傳』(脚色金健朝鮮語版、演出朴珍朝鮮語版)を上演している[12][13]。当時は「青春座」のほか「劇団星群」も同館に事務所を置いていた[13]。1943年(昭和18年)に発行された『映画年鑑 昭和十八年版』には、同館が常設映画館として掲載されていない[4]

解放後の時代[編集]

趙健の戯曲を金春光朝鮮語版が演出し、上演している(1948年12月26日)。

1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年(昭和23年)8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。終戦直後の時点での同館の館主は金田泰潤であった。大韓民国が成立した年の12月26日から、同館で趙健の戯曲を金春光朝鮮語版が演出した『恋しい人が通る道』(朝鮮語: 임오시는길)を上演した新聞広告が残っている(右写真)。

1950年(昭和25年)前後の時期に、映画館に業態変更している[1]。同館では韓国映画を中心に上映しており、1969年(昭和44年)11月8日には、『黒山島娘』(朝鮮語: 흑산도 아가씨、監督權赫進、主演尹静姫朝鮮語版)をオスカー劇場(大邱広域市)、韓一劇場朝鮮語版(同)、南大門劇場(ソウル特別市)、永寶劇場(同)と同時に、同館でも封切り上映を行っている[14]。1976年(昭和51年)2月に閉館した[1]現代グループが同館を買収したが、1990年(平成2年)にこれを解体、演劇人の間に抗議の声が起こった[15]

跡地については、1991年(平成3年)3月25日、文化日報が同地の建築許可を得て再開発を開始、1994年(平成6年)9月20日、同社が新ビルディングに入居し現在に至る[5]。同地には「東洋劇場址」の石碑が2003年(平成15年)に建てられた[1][16]。2001年(平成13年)6月9日 - 9月9日には、KBS第2テレビジョンが1930年代の同館を舞台にしたテレビドラマ『東洋劇場』を製作・放映、同作の日本語版は2010年(平成22年)9月26日からKBSワールドが放映した[6][7]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 동양극장 터 (朝鮮語)韓国コンテンツ振興院、2013年12月9日閲覧。
  2. ^ a b c 『연극특집호』발간에 제하여 - 조선연극협회의 약진을 기대하노라 (朝鮮語)東國大學校、2013年12月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 年鑑[1942], p.10-109.
  4. ^ a b c d 年鑑[1943], p.504.
  5. ^ a b c 회사연혁 (朝鮮語)文化日報、2013年12月9日閲覧。
  6. ^ a b 동양극장 (朝鮮語)韓国放送公社、2013年12月9日閲覧。
  7. ^ a b 東洋劇場KBSワールド、2013年12月9日閲覧。
  8. ^ 笠原[1936], p.109.
  9. ^ a b 미몽 (朝鮮語)韓国映画データベース、2013年12月10日閲覧。
  10. ^ a b 사랑에 속고 돈에 울고 (朝鮮語)、韓国映画データベース、2013年12月9日閲覧。
  11. ^ 劇藝術殉職 (朝鮮語)、1940年12月24日付、2013年12月9日閲覧。
  12. ^ 革新開館3週年紀念公演 傳説春香傳、東洋劇場、1942年9月20日付、2013年12月10日閲覧。
  13. ^ a b 劇団星群 山風、東洋劇場、1942年9月18日付、2013年12月10日閲覧。
  14. ^ 흑산도 아가씨 (朝鮮語)、韓国映画データベース、2013年12月10日閲覧。
  15. ^ [1991], p.186.
  16. ^ 東洋劇場址、2011年撮影、2013年12月9日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『朝鮮及滿洲に活躍する岡山縣人』、笠原敏二、朝鮮及滿洲に活躍する岡山縣人發行所, 1936年発行
  • 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
  • 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
  • 『이 어령 문화주의』、박기현삼인행、1991年発行

関連項目[編集]

画像外部リンク
東洋劇場
1970年代撮影
旧東洋劇場
1990年前後撮影
東洋劇場址
2011年撮影