松前安広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松前安広
時代 江戸時代前期
生誕 慶長11年(1606年
死没 寛文8年7月8日1668年9月25日
改名 石丸(幼名)→安広
別名 右兵衛、勘五郎、市正、自休
戒名 大信院殿恕然
墓所 宮城県白石市の傑山寺
主君 伊達政宗忠宗綱宗綱村
松前藩陸奥仙台藩
氏族 松前氏
父母 松前慶広、斎藤実繁娘
兄弟 盛広、喜庭直信室、忠広利広由広
次広、景広安広、満広、下国広季室
片倉重長長女・喜佐
片倉景長広国、長、夏、鶴、六、
片倉吉長、古内義憲、為広
テンプレートを表示

松前 安広(まつまえ やすひろ)は、江戸時代前期の仙台松前氏仙台藩準一家・松川松前氏)初代当主。伊達吉村の外曾祖父。

生涯[編集]

慶長11年(1606年)、松前藩初代藩主・松前慶広の七男として誕生。幼名は石丸

元和9年(1623年)、仙台藩主・伊達政宗に請われて仙台藩に仕え、栗原郡清水沢と江刺郡小田代にて計1,000石を拝領し、のちに準一家の家格を与えられた(仙台松前家)。

寛永6年(1629年)4月、政宗の勧めにより白石城主・片倉重長の娘・喜佐を妻に迎える。これ以後、松前氏は天和2年(1682年)まで、自身の所領内ではなく、岳父・重長の所領である刈田郡長袋に居館を置いた。

明暦2年(1656年)3月、家督を二男・広国に譲って隠居する。安広が仙台藩に出仕する以前に松前藩から与えられていた知行地は、その後も引き続き安広の持分となっていたが、隠居を機に松前藩に返還している。

寛文8年(1668年)7月8日死去。享年63。

系譜[編集]

  • 父:松前慶広(1548-1616)
  • 母:斎藤実繁の娘
  • 正室:喜佐 - 片倉重長の長女
  • 生母不明の子女
    • 長女:長 - 古内義如
    • 次女:夏 - 片平清重室
    • 三女:鶴 - 氏家清継室
    • 四女:六 - 伊東重定室
    • 三男:片倉吉長 - 片倉重長の養子
    • 四男:古内義憲 - 古内義如の養子
    • 五男:松前為広 - 松前広国の養子

参考文献[編集]

  • 『角田市史』2 通史編下(宮城県角田市、1986年)
  • 平成『古川市史』第七巻 資料Ⅱ(宮城県古川市、2001年)