松平定房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平定房
時代 江戸時代前期
生誕 慶長9年8月12日1604年9月5日
死没 延宝4年6月28日1676年8月7日
改名 定房→安心軒(法号)
戒名 実相院殿憲誉安心大居士
墓所 愛媛県今治市国分山の松平家墓地
官位 従五位下美作守従四位下侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光家綱
伊予今治藩
氏族 久松松平家
父母 父:松平定勝、母:奥平信昌養女・たつ
兄弟 定吉定行定綱、松尾、阿姫定実定房定政中川久盛正室、菊姫、
正寿院、玉子
正室:内藤政長
定経定時

松平 定房(まつだいら さだふさ)は、江戸時代前期の大名伊予国今治藩初代藩主。定房系久松松平家初代。官位従四位下侍従

生涯[編集]

遠江国掛川藩主・松平定勝の五男として誕生。慶長16年(1611年)、初めて伯父の徳川家康に拝謁する。

元和7年(1621年)、従五位下・美作守に叙任される。寛永2年(1625年)、伊勢長島7000石を賜う。同12年(1635年)、伊予今治城3万石を賜う。正保4年(1647年)、南蛮船の長崎入港に際し、兄で長崎探題・松平定行に従い長崎へ出向する。寛文5年(1665年)、江戸城代役(大留守居)を命ぜられ、武蔵国下総国常陸国のうち1万石を加増される。さらに従四位下に昇進する。寛文9年(1669年)、鷹司房子入内に際し、4代将軍徳川家綱の名代として参内し、侍従に昇進する。

延宝2年(1674年)、江戸城代役を辞職し隠居、薙髪し安心軒と号す。延宝4年(1676年)6月28日、今治で卒去する。享年73。松源院で葬儀が行われ、実相院殿憲誉安心大居士と贈られる。今治国分山へ葬られる。

正室・内藤氏は元禄2年(1689年)、江戸で卒去した。長栄院殿相誉安貞清憲大法尼と贈られ、江戸深川霊巌寺に葬られる。