松平忠興

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松平忠興
Matsudaira Tadaoki.jpg
時代 江戸時代末期(幕末) - 明治時代
生誕 弘化5年1月18日1848年2月22日
死没 明治28年(1895年4月29日
改名 与七郎(幼名)→松平忠興→桜井忠興
別名 善之助(通称)
墓所 兵庫県尼崎市大物町の深正院
官位 従五位下、遠江守、兵庫頭、子爵
幕府 江戸幕府
摂津尼崎藩
氏族 桜井松平家→桜井家
父母 父:松平忠栄、母:洵子(松平宗発の娘)
兄弟 忠興万里小路通房
正室:茅子戸田光則の次女)
継室:きん小笠原忠幹の長女)
桜井忠胤

松平 忠興(まつだいら ただおき)は、幕末譜代大名摂津尼崎藩の第7代(最後の)藩主。尼崎藩桜井松平家10代。

生涯[編集]

弘化5年(1848年)1月18日、第6代藩主・松平忠栄の七男として生まれる。

文久元年(1861年8月6日、父の隠居により家督を譲られる。慶応4年(1868年)1月の戊辰戦争では新政府に恭順し、所領を安堵された。2月に徳川氏との訣別の証として姓を桜井と改称する。

明治2年(1869年)の版籍奉還で尼崎藩知事に任じられ、明治4年(1871年)の廃藩置県知藩事職を免職された。明治6年(1873年)1月、東京へ移住する。明治10年(1877年)、博愛社(後の日本赤十字社)の設立者のうちの1人となった。尼崎城址の一角に建立された桜井神社には博愛社の記念碑がある。明治17年(1884年)に子爵に叙せられた。

明治28年(1895年)4月29日に死去、享年48。

日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
尼崎桜井家初代
1884年 - 1895年
次代:
桜井忠胤