松平正温

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
松平正温
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保10年2月19日1725年4月2日
死没 天明2年11月2日1782年12月6日
改名 祝盈→正温
別名 巳之助→金弥(通称)
戒名 円理院殿頓誉寿齢大居士
墓所 東京都文京区向丘の蓮光寺
官位 従五位下、信濃守、備前守、弾正忠
幕府 江戸幕府
上総大多喜藩
氏族 大河内松平家
父母 父:松平信祝 母:左近(永井氏)
養父:松平正貞
兄弟 信復中川久貞正温安藤直之
正室:松平久瑞の娘(松平正貞の養女)
正升本庄道信資承、信譲、
正恒、娘(近藤用和正室)、
娘(松平乗森継室)、娘(水野範明正室)、
娘(松平尚庸室のち松平正喬継室):9男8女

松平 正温(まつだいら まさはる)は、江戸時代中期から後期の大名上総大多喜藩の第3代藩主。大河内松平宗家5代。

生涯[編集]

享保10年(1725年)、三河吉田藩主・松平信祝の三男として吉田で生まれる。寛延元年(1748年)10月に第2代大多喜藩主・松平正貞の世子(実子)久瑞が死去したため、11月16日に正貞の養子となり、12月に叙任する。そして寛延2年(1749年)に正貞も死去したため、その跡を継いだ。宝暦8年(1758年)に大坂加番となっている。明和4年(1767年)9月25日、長男の正升に家督を譲って隠居し、天明2年(1782年)11月2日に死去した。享年58。