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松平 直基(まつだいら なおもと)は、江戸時代前期の大名。越前国勝山藩主、越前大野藩主、出羽国山形藩主、播磨国姫路藩主。官位は従四位下・侍従、大和守。直基系越前松平家初代。
生涯[編集]
慶長9年(1604年)3月25日、徳川家康の次男である結城秀康の五男として誕生。養祖父・結城晴朝に養育される。
慶長12年(1607年)に結城家の家督を相続した。慶長19年(1614年)に晴朝が死去したため、その隠居料である5千石を相続する。寛永3年(1626年)からは松平姓を称したが、これは親藩・譜代としての扱い(結城氏の場合は外様扱いとなる)を受けるべくの対応で、名字こそ松平になったものの、家紋は結城家の結城巴、太閤桐から変えず、結城家の祭祀を継承した。実兄の越前国主・忠直より偏諱を受け直基を名乗る。
寛永元年(1624年)6月8日に越前勝山藩3万石、寛永12年(1635年)8月1日に越前大野藩5万石に加増・移封され、正保元年(1644年)には山形藩15万石と漸次加増を受け、慶安元年(1648年)6月14日に姫路藩に国替えを命じられたが、その僅か2か月後、封地に赴く途上で死去した。享年45。
官歴[編集]
系譜[編集]
墓所[編集]
書写山圓教寺[編集]
書写山圓教寺に直基の墓所がある。圓教寺の案内図などにある松平家廟所というのはこの墓所を指していると思われる。
関連項目[編集]
下総結城氏第19代当主(1604年 - 1626年)/直基系越前松平家初代当主(1626年 - 1648年) |
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結城家/越前松平家越前勝山藩藩主 (1624年 - 1635年) |
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越前松平家(直基系) | |
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越前松平家(直良系) | |
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小笠原家 | |
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越前松平家大野藩藩主 (1635年 - 1644年) |
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越前松平家(直政系) | |
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越前松平家(直基系) | |
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越前松平家(直良系) | |
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土井家 | |
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越前松平家姫路藩初代藩主 (1648年) |
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池田家 | |
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本多家 | |
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奥平松平家 | |
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越前松平家 | |
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榊原家 | |
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越前松平家 | |
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本多家 | |
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榊原家 | |
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越前松平家 | |
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酒井家 | |
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