松平綱隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平綱隆
Matsudaira Tsunataka.jpg
松平綱隆像(月照寺蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 寛永8年2月23日1631年3月25日
死没 延宝3年閏4月1日1675年5月25日
改名 久松丸(幼名)→綱隆
戒名 宝山院殿高誉元真道徹大居士
墓所 島根県松江市外中原町の月照寺
官位 従四位下信濃守出羽守侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
出雲松江藩
氏族 越前松平家支流松江松平家
父母 父:松平直政、母:松平忠良娘・久姫
兄弟 綱隆近栄隆政直丘、駒姫、鶴姫、竹姫、万姫、亀姫、喜耶姫、松姫
正室:松平忠昌娘・亀姫
側室:養法院、三木氏
大学、弁丸、小次郎、綱近吉透
津与、豊姫、清

松平 綱隆(まつだいら つなたか)は、江戸時代前期の大名出雲国松江藩2代藩主。官位従四位下信濃守出羽守侍従。直政系越前松平家宗家2代。

生涯[編集]

初代藩主・松平直政の長男として誕生。

慶安4年12月26日(1652年)、元服する。4代将軍・徳川家綱より偏諱を授かって綱隆と名乗り、従四位下・信濃守に叙任する。寛文6年(1666年)2月、父が死去したため、同年4月10日に家督を継いだ。その時に次弟・近栄に3万石(広瀬藩)、三弟・隆政に1万石(母里藩)を分与している。同年12月28日、侍従に遷任する。信濃守を止め、出羽守を兼任する。

直政の治世末期から既に始まっていた社会不安や士風の弛緩、さらには財政悪化の兆しなどから、藩内で混乱が始まる。その始まりが重臣香西隆清(こうざい たかきよ)の追放事件、次いで大水害による大被害である。これらにより、藩内では混乱と財政悪化が隠し切れないものとなり、綱隆は米・雑穀の移出禁止、酒造の禁止、藩札を発行することなどでこれを切り抜けようとしたが、逆に財政が悪化した。しかも延宝元年(1673年)には、綱隆が小野隆俊(おの たかとし)の美貌の妻に横恋慕するあまり、彼に無実の罪を着せて流罪とするという事件も起こった。後に隆俊は死んだため、松平家はその怨霊を恐れて推恵社に彼を祀ったが、綱隆は延宝3年(1675年)閏4月1日に突如として急死した。享年45。跡を四男の綱周(綱近)が継いだ。

あまりに突然の死であったため、隆俊の亡霊に殺されたと噂されたと言われている。

系譜[編集]

偏諱を受けた人物[編集]

  • 松平(実弟、母里藩松平氏初代)
  • 小野俊(家臣)
  • 香西清(家臣)