松平親長 (岩津家)

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松平親長
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
氏族 岩津松平家
父母 父:松平親忠
兄弟 親長乗元長親、親房、存牛張忠、親光、長家、乗清
松平忠勝、松平忠定室、松平重吉

松平 親長(まつだいら ちかなが)は、戦国時代武将松平親忠の子。

略歴[編集]

松平信光が岩津城を攻略後に松平氏は本拠地を松平郷から岩津城に移した。その岩津城を継承したのが親長である。本拠地を継承したことから、本来の惣領・宗家であった可能性が高いが、のちに彼の家(岩津松平家)は16世紀初頭に今川氏に攻略され没落したらしく[1]、安城松平家の隆盛に伴い次第に分家扱いになった[2]

松平泰親・信光期の松平氏は、京都における活発な活動が研究者によって指摘されている[3]。親長についても、諸史料により、寛正3年(1462年)から永正17年(1520年)に及ぶ京都での活動が、主に室町幕府の政所執事代であった蜷川氏関係の史料中にその名が散見されることにより解る。[4]

京都における親長の職務は室町幕府政所での被官としての職務(「直垂着通衆」・「使い」・「御物奉行」)と政所執事・伊勢氏の被官としての奏者番・使い・迎え・供・風呂番・普請奉行・進上の職務を兼務していた。 また、親長は文明13年には京都西院小泉庄京都市右京区)で同庄の職掌とその給田をめぐる係争の訴訟当事者にその名が挙がっており、勝訴している。この事は蜷川親元の「親元日記別録(下)」に収録の「政所賦銘引付」に記されている[5]

岩津松平家は滅亡・没落したため親長以降の子孫の正確な記録はない。ただし『三河物語』では、1506年頃に今川方の伊勢新九郎(北条早雲)軍が岩津城を攻めた際、「岩津殿」が迎え撃ったとする。この「岩津殿」は親長かその子孫かは不明である。

また、三河小栗氏を親長の系譜的末裔とする説がある。

生没年について[編集]

寛永諸家系図伝をはじめとした系図類は、親長を松平親忠の子としている。 ただし、寛正3年(1462年)以前には在京し、伊勢氏被官としての活動が確認できる。 また、『三河物語』には、松平信光は岩津の城を惣領に渡したとある。この惣領を親長とし松平信光の長男[6][7]。 親長の死没時期については、延徳元年(1489年)正月死去[8]ともいうが異論があり不明[9]。である。 平野明夫によれば、永正元年(1504年)10月16日付けの観修寺雑掌宛の松平親長の訴状が存在するため延徳元年死去説は誤りとしている[10]。 また、新行紀一は永正17年(1520年)までに親長が死去していたとする。すなわち、「三條宰相中将雑掌宛室町幕府奉行人連署奉書写」において、三条西公条が借用した松平親長(当時、和泉守)への債務を破棄することを承認した内容から、債権者であった親長がこの時既に死亡していた為であると推定している。あるいは弟の松平親忠文亀元年(1501年)に63歳で死去している事で、兄親長が永正17年には相当の高齢になることも根拠としている。しかし、平野は債務破棄の承認の原因が債権者の死去とは限らないとし、また80代まで長命する例は当時もあったとして永正17年死去説も否定している[11]

脚注[編集]

  1. ^ 平野によれば今橋合戦の時に滅亡かとされる。
  2. ^ 14世紀末ごろ松平長親に惣領の座が移ったとされる(『国史大辞典』)。
  3. ^ 田中克行・新行紀一・所理喜夫など(参考文献の1、58頁)。
  4. ^ 平野明夫によれば、親長の活動が散見する蜷川氏関係史料としては「親元日記」・「結番日記」・「政所賦銘引付」などを挙げ、寛正3年(1462年)の「政所内評定記録」を初見として、永正17年(1520年)3月9日付けの「三條宰相中将雑掌宛室町幕府奉行人連署奉書写」を終見とする(→参考文献の1、104-105頁)。
  5. ^ 「松平修理亮親長、合奉行松豊(松田豊前守頼親)、西院小泉庄沙汰人職并給田之事……」→参考文献の4、1024頁。
  6. ^ 信光が長男に本拠地岩津を継承させるのが自然であり、岩津の親長が三男親忠の子とするのは不自然だとする。
  7. ^ 平野明夫『三河松平一族』ほか
  8. ^ 『朝野旧聞裒藁』
  9. ^ 中田憲信「徳川家譜」によると享年79
  10. ^ 永正元年十月十六日付「観修寺雑掌宛室町幕府奉行人連署奉書写」(『頭人御加判引付』)に「松平和泉守親長申」と見えるとの平野の指摘(参考文献の1、106頁。)。
  11. ^ 参考文献の1、105-106頁。

参考文献[編集]

  • 平野明夫『三河松平一族』、新人物往来社、2002年5月。ISBN 4-404-02961-6
  • 『新編岡崎市史』第2巻、新編岡崎市史編さん委員会、1989年3月。
  • 三河物語
  • 下中邦彦 『日本歴史地名大系 27 - 京都市の地名 』 平凡社、1979年。