松平頼純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
 
松平頼純
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永18年1月4日1641年2月13日
死没 正徳元年10月7日1711年11月16日
改名 小松丸(幼名)、頼純
戒名 源性院
官位 従四位下権少将左京大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉家宣
伊予西条藩
氏族 紀州徳川家支流西条松平家
父母 徳川頼宣越智氏
兄弟 徳川光貞、修理、頼純、因幡姫、松姫
正室本多忠義の娘・清性院
側室:観樹院、佐藤氏
渡辺恭綱頼路、頼廉、頼雄頼致、尚峯、頼渡、於留天姫、清姫、与伊、八千、女子、梅、初、四方、嘉奈、女子
テンプレートを表示

松平 頼純(まつだいら よりずみ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名伊予西条藩の初代藩主。官位従四位下権少将左京大夫

略歴[編集]

紀州藩主・徳川頼宣の3男として誕生。初代将軍・徳川家康は祖父。兄は徳川光貞。8代将軍吉宗の叔父、徳川家光徳川光圀の従弟にあたる。

正保2年(1645年)に3代将軍・家光に御目見する。承応3年(1654年)に従四位・少将・左京大夫に叙される。寛文10年(1670年)、伊予西条3万石を与えられ大名に列する。

参勤交代をしない定府大名であった。[1]

正徳元年(1711年)、死去した。享年71(満70歳没)。家督は五男の頼致が継いだ。

系譜[編集]

  • 父:徳川頼宣(1602-1671)
  • 母:越智氏
  • 正室:清性院(?-1673) - 本多忠義の娘
  • 室:観樹院 - 太田氏
  • 室:佐藤氏
    • 六男:三堀尚峯(1697-1716) - 三堀作右衛門の養子
    • 七男:松平頼渡(1706-1738) - 松平頼致の養子
  • 生母不明の子女
    • 長男:渡辺恭綱(1658-1738) - 渡辺直綱の養子
    • 女子:於留天姫(1663-1711) - 渥美勝之正室
    • 三男:松平頼廉(1664-1683)
    • 女子:名不詳(1672)
    • 女子:梅(1678-1683)
    • 女子:初(1684-1688)
    • 女子:四方(1687-1692)
    • 女子:嘉奈(1692-1693)

脚注[編集]

  1. ^ 『別冊歴史読本43 徳川将軍家歴史大事典』新人物往来社 2000年

演じた俳優[編集]

関連項目[編集]