松戸サンリオ劇場

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松戸サンリオ劇場
Matsudo Sanrio Theater
地図
情報
正式名称 松戸サンリオ劇場
完成 1980年
開館 1980年10月
閉館 2006年3月31日
設備 DOLBY STEREO
35mm映写機
用途 映画上映
運営 サンリオ
所在地 271-0077
千葉県松戸市根本14番地2号
三井アーバンヒル松戸 1階
最寄駅 松戸駅
特記事項 略歴
1980年10月 開館
1993年 移転・松戸サンリオシアターと改称
2006年3月31日 閉館
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シネマサンシャイン松戸
CINEMA SUNSHINE MATSUDO
地図
情報
正式名称 シネマサンシャイン松戸
旧名称 松戸サンリオシアター
松戸シネマサンシャイン
完成 1993年
開館 1993年3月13日
開館公演フォーエヴァー・ヤング 時を越えた告白』(メル・ギブソン主演)他
閉館 2013年1月31日
最終公演レ・ミゼラブル』(トム・フーパー監督)他
収容人員 (7スクリーン)869人
客席数 1番館:252
2番館:57
3番館:168
4番館:104
5番館:60
6番館:108
7番館:120
設備 ドルビーデジタル5.1ch
用途 映画上映
運営 佐々木興業株式会社
所在地 271-0091
千葉県松戸市本町21番地2号
都市綜合開発第三ビル内
最寄駅 松戸駅
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松戸サンリオ劇場(まつどサンリオげきじょう)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3]。1980年(昭和55年)10月、千葉県松戸市に開館[1]、1993年(平成5年)に移転して松戸サンリオシアター(まつどサンリオシアター)と改称、3スクリーン(のちに4スクリーン)のシネマコンプレックスとなる[4]。2006年(平成18年)3月31日閉館、翌日から松戸シネマサンシャイン(のちのシネマサンシャイン松戸)となった[5]

概要[編集]

1980年(昭和55年)10月、国鉄(現在のJR東日本常磐線および新京成電鉄新京成線松戸駅西口近くの千葉県松戸市根本14番地2号に、三井不動産が開発したショッピングセンター「三井アーバンヒル松戸」が竣工し、同ビル内の1階に松戸サンリオ劇場として開館した[1][6]。同ビルは黒川紀章建築都市設計事務所の設計、間組の施工によるもので、廃業した松戸ボウルの跡地に建てられた[6]。同館はサンリオの直営館であり、初代支配人を柳沢定が務めた[1]

当時同市内の映画館には、戦前からあった同市内最古の映画館である松戸常盤館[7]本町16番地4号)、戦後に建てられた輝竜会館[8](のちの輝竜会館シネマ1松戸1823番地)、パンビ劇場(のちの輝竜会館シネマ2、同)、および成人映画館松戸京葉劇場・松戸弁天劇場(根本461番地)の5館が存在した[1]。松戸市出身のアートディレクター・増田セバスチャン(1970年 - )は開業当初に『くるみ割り人形』(1979年制作、中村武雄監督)を観て以来の常連で[9]、中でも小学6年だった頃の1982年(昭和57年)12月4日に日本公開した『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督)を8回も観たという[10]

1988年(昭和63年)、同ビル内の1階、従来サンリオ直営のレストラン「ナットクラッカー」だった場所を改装して松戸サンリオ劇場2を開館、従来館を松戸サンリオ劇場1とする[2][3]。当時小学3年だった松戸市議会議員・山中啓之(1979年5月28日 - )は、同年4月に封切られた高畑勲監督作『火垂るの墓』をサンリオ劇場で観たという[11]

1993年(平成5年)、近隣の本町21番地2号に竣工した「都市綜合開発第三ビル」に移転して松戸サンリオシアターと改称、3スクリーンをもつシネマコンプレックスになる[4]。のちに4スクリーンになるが、2006年(平成18年)3月31日にサンリオの直営館としては閉館、同館の4スクリーンは、同ビルの3階に入居していた松戸シネマサンシャイン(3スクリーン、経営・佐々木興業)が継承、合計7スクリーンとした[5]

松戸サンリオ劇場がかつて入居した「三井アーバンヒル松戸」は取り壊され、2001年(平成13年)11月、跡地に地上22階建の高層マンション「パークスカイタワー松戸」が建った[12]。同館を継承したシネマサンシャイン松戸は、2013年(平成25年)1月31日をもって、全館閉館して撤退[13][14]、同市内の従来型映画館はすべて消滅したが、2019年令和元年)10月25日テラスモール松戸内に「ユナイテッド・シネマ テラスモール松戸」がグランドオープンし、実質6年10ヵ月ぶりに松戸市内に映画の灯がともった[11][注 1]

沿革[編集]

  • 1980年10月 - 松戸サンリオ劇場を開館[1]
  • 1988年 - 松戸サンリオ劇場2を開館、従来館を松戸サンリオ劇場1とする[2][3]
  • 1993年 - 移転、松戸サンリオシアターと改称[4]
  • 2006年3月31日 - 閉館、4スクリーンはシネマサンシャイン(佐々木興業)が継承[5]
  • 2013年1月31日 - 継承館のシネマサンシャイン松戸が全館閉館[13][14]

データ[編集]

松戸サンリオ劇場[編集]

松戸サンリオシアター[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ その間同年8月23日より週3回の上映スペース「MAD Cinema」(本町20番地10号 ルシーナビル7階)が開館したことが報じられた[15]が、わずか1年で活動休止状態となっている[16]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 名簿[1981], p.46.
  2. ^ a b c 名簿[1988], p.45.
  3. ^ a b c 名簿[1989], p.44.
  4. ^ a b c d e f 名簿[1994], p.26.
  5. ^ a b c 松戸サンリオシアターインターネットアーカイブ、2006年4月8日付、2013年9月3日閲覧。
  6. ^ a b c d アーバンヒル松戸、建築作品データベース、2013年9月3日閲覧。
  7. ^ 年鑑[1925], p.467.
  8. ^ 沿革松戸公産、2013年9月3日閲覧。
  9. ^ CINRA.NET (2014年11月25日). 増田セバスチャンが「カワイイ」で取り戻す、大人が忘却したもの. インタビュアー:阿部美香. 株式会社シンラ.. https://www.cinra.net/interview/201411-masudasebastian 2019年10月26日閲覧。 
  10. ^ sebastea (2012年2月15日). “千葉の松戸にはサンリオ劇場という映画館があった。小学生の頃そこでE.T.を8回見た懐かしい場所。”. 増田セバスチャン. Twitter. 2015年10月20日閲覧。
  11. ^ a b 映画の継承者”. 松下政経塾出身、山中啓之の松戸市を考える「けいじの政治」 (2019年10月24日). 2019年10月26日閲覧。
  12. ^ パークスカイタワー松戸SUUMO物件ライブラリーリクルート、2013年9月3日閲覧。
  13. ^ a b シネマサンシャイン、公式ウェブサイト、2013年2月1日付、2013年9月3日閲覧。
  14. ^ a b c d e f シネマサンシャイン松戸、インターネット・アーカイブ、2013年1月18日付、2013年9月3日閲覧。
  15. ^ 松戸駅前に、DIYで作られたミニシアタースペースが誕生”. まちづクリエイティブ (2013年8月12日). 2019年10月26日閲覧。
  16. ^ MAD Cinema6月上映「産土」”. MAD City. まちづクリエイティブ (2014年6月27日). 2019年10月26日閲覧。
  17. ^ 当院の特色”. 東葛クリニックみらい. 2019年10月26日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『日本映画年鑑 大正十三・四年』、アサヒグラフ編輯局東京朝日新聞発行所、1925年発行
  • 『映画年鑑 1981 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1981年
  • 『映画年鑑 1988 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1988年
  • 『映画年鑑 1989 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1989年
  • 『映画年鑑 1994 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1994年
画像外部リンク
松戸サンリオ劇場
1984年7月撮影
松戸サンリオシアター
インターネットアーカイブ(2006年1月17日付)