松方弘樹

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まつかた ひろき
松方 弘樹
松方 弘樹
『若君と次男坊』(東映、1961年)
本名 目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)
生年月日 (1942-07-23) 1942年7月23日
没年月日 (2017-01-21) 2017年1月21日(74歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市王子区
(現在の東京都北区
死没地 日本の旗 日本東京都
身長 173 cm
血液型 A型
職業 俳優映画監督映画プロデューサー
ジャンル 映画テレビドラマ時代劇
オリジナルビデオ
活動期間 1960年 - 2016年
活動内容 1960年:デビュー
1965年:『人形佐七捕物帳
1973年:『仁義なき戦い
1974年:『勝海舟
1975年:『徳川三国志
1976年:『沖縄やくざ戦争
1979年:『真田幸村の謀略
1990年:『HOTEL
2009年:『天地人
配偶者 夏子(- 1979年)、仁科亜季子 (1979年 - 1998年)
著名な家族 近衛十四郎(父)
水川八重子(母)
目黒祐樹(弟)
目黒大樹(長男)
仁科克基(次男)
仁科仁美(三女)
事務所 MARE
公式サイト プロフィール
主な作品
映画
『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』
東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯
仁義なき戦いシリーズ』
脱獄広島殺人囚』 / 『暴動島根刑務所
県警対組織暴力』 / 『強盗放火殺人囚
実録外伝 大阪電撃作戦
沖縄やくざ戦争
広島仁義 人質奪回作戦
日本の首領シリーズ
北陸代理戦争』 / 『ドーベルマン刑事
柳生一族の陰謀』 / 『真田幸村の謀略
徳川一族の崩壊』 / 『修羅の群れ
『最後の博徒』 / 『
新 影の軍団シリーズ
『猿飛佐助 闇の軍団シリーズ』
十三人の刺客
『柳生十兵衛〜世直し旅〜』
太秦ライムライト
テレビドラマ
人形佐七捕物帳 (1965年)
徳川三国志』/ 『勝海舟
人形佐七捕物帳 (1977年)
大江戸捜査網』 / 『名奉行 遠山の金さん
徳川家康』 / 『刑事貴族』 / 『HOTEL
家康が最も恐れた男 真田幸村
赤穂浪士』 / 『天地人
ハケンの品格
バラエティ番組
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
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松方 弘樹(まつかた ひろき、1942年7月23日[1] - 2017年1月21日[2])は、日本俳優タレント司会者映画監督映画プロデューサー。本名は目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)[3]東京市王子区(現在の東京都北区)出身[4][5]。身長173cm、血液型はA型[1]左利き[6]個人事務所である株式会社MARE(マーレ)所属[3]明治大学付属中野高等学校卒業[7]

経歴[編集]

役者として[編集]

元々は歌手志望で、作曲家の上原げんとの下で五木ひろしらと席を並べて歌を学んでいたが、五木の歌声を聞いているうちに自信を無くし、父と同じ俳優の道に入った[8][9][10]。17歳で『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年東映)で主演デビュー[11][12][13]。同学年の北大路欣也とはライバル関係で[9][14]、松方は東映専属だった北大路とは違い、企画制作担当重役だった岡田茂の個人預かり(フリー)であった[15][16]。映画『893愚連隊』の主演[17]、「昭和残侠伝シリーズ」の助演、『人形佐七捕物帳』(NHK、1965年)の主演など、主に時代劇ヤクザ映画に出演。中でも佐七は松方の当たり役のひとつになり、1977年に放送された『人形佐七捕物帳』(テレビ朝日、東映)で再び佐七を演じている。

1969年(昭和44年)7月、ライバル北大路に差を付けられ不遇をかこっていた中、大映の看板スターとして勝新太郎と人気を二分した市川雷蔵が37歳で早世。この事態を受け、岡田茂から「大映へ行け。今は勝新しかおらん。大映ならテッペンを取れるで」と大映へレンタル移籍となり[18][19]、雷蔵の穴埋めを期待され、その当たり役である『眠狂四郎』、『若親分』のリメイク作品などで主役を務めた[9][20][21]。大映は松方を移籍させようと画策したが[22]、岡田が「松方は絶対に大映にトレードさせん!」と、これを強く固辞。移籍話は潰れた[22]1970年(昭和45年)春、ダイニチ映配設立反対を表明したことで大映社長の永田雅一の逆鱗に触れ、半年間、映画作品への出演を認められなかった。

大映の倒産直前の1971年(昭和46年)春に東映へ復帰し[14]1972年の四カ国合作映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、1973年(昭和48年)の『仁義なき戦いシリーズ』などで敵役悪役で芸域の幅を広げた[11][17][23][24][25][26][27]。『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のソウルロケでは、バスジャックを演じる松方を韓国軍が本物と思い込み、バスに乗り込まれカービン銃を構えられた[28]。「仁義なき戦いシリーズ五部作」では、三役を演じ分ける怪演を見せた[10][14][20][29] [30][31][32]。それまで東映の大量生産の煽りで撮影の連続[5][33]、演技に厳しい父が一度も褒めてくれず、役者を辞めて遠洋のマグロ漁船に乗ろうなどと考えていたとき、本シリーズに巡り合い、演じることの醍醐味を味わい、役者に開眼したと話している[33][34]

1974年(昭和49年)大河ドラマ勝海舟』にて病気降板した渡哲也から主役を引き継ぎ、勝の愛人、お糸役で共演した仁科明子と懇意になり、翌年のテレビ時代劇『けんか安兵衛』では松方の指名で再び共演。これをきっかけに不倫関係となり、マスメディアを賑わせた[35]。同年の映画『脱獄広島殺人囚』は『暴動島根刑務所』『強盗放火殺人囚』と合わせて「世界最強の脱獄アクター」「松方弘樹東映脱獄三部作」と評されている[36][37][38]

ヤクザ映画ポルノ映画を柱とする"東映不良性感度路線"を標榜していた岡田茂[39]、大河ドラマで全国区の知名度を得た松方を、次世代東映の担い手として東映的な「不良性」で染め上げようと画策[39]。自身のブレーンだったスポーツニッポンの映画記者・脇田巧彦と組み1975年(昭和49年)、『週刊ポスト』で連載「松方弘樹の突撃対談」を始めさせた[39]。内容は松方が毎回女性ゲストに酒を勧めて、対談中にともにボトルを1、2本空けて、セクハラ発言を繰り返すもので、松方が連発する「キツーイ一発」というフレーズは1975年に流行語になり、瞬く間にスポーツ新聞、男性女性週刊誌の見出しを席巻した[39]。この連載から抄録したものが『きつい一発 松方弘樹の言いたい放談』(1975年、八曜社)として出版されている。それまではスターが遊ぶのは藝の肥やしと、結婚、離婚のときしかマスコミは黙認して記事にしなかったが[39]、サラリーマン向け週刊誌やスポーツ新聞の部数が伸びてきた1970年代中盤から艶福家ということを記事にし始めた[39]。松方は艶福家として取り上げられるようになった最初のスターの一人で、自身も積極的に乗った[39]

ここから1970年代中盤の東映実録ヤクザ路線作品に数多く出演[40]。『県警対組織暴力』や『暴力金脈』『実録外伝 大阪電撃作戦』『沖縄やくざ戦争』や、現在進行中の抗争事件を映画化し、映画の製作が原因でモデルとなった組長が殺害された『北陸代理戦争[10][41][42][43] などで強烈な個性を発揮し[12][14]、『修羅の群れ』では主演を務めた[13][27][44][45]

1978年(昭和53年)の『柳生一族の陰謀』で時代劇映画に復帰。それ以降は仁侠映画と共に活動の二分となった。

1979年(昭和54年)、前年に最初の妻との離婚が成立したことを受け、関係を続けていた仁科明子と正式に結婚した。結婚と共に仁科は女優を引退した。松方はそれまでの「艶福家」というイメージに、「不倫」「妻子を捨て愛人に走った」といったマイナスイメージが加わったことで、一時バッシングを受け、仕事が激減した。この時には父・近衛十四郎が経営していた釣り堀店の姉妹店が滋賀県にできたことから、店番に明け暮れる日々も経験している。同じ頃、先輩俳優で若手の頃から親交のあった里見浩太朗がテレビ時代劇『大江戸捜査網』の主演を降板するにあたり[注釈 1]、「松方弘樹を使ってほしい」と製作陣に掛け合ったことをきっかけに主演に抜擢され、第306話「悪を斬る料理人 華麗に参上」から第536話(最終話)「隠密同心 暁に去る」まで4年半にわたり、番組を支えるとともに、その後の活躍の礎とした[46]

その後はテレビ作品にも本格復帰し、現代劇作品と並行して、『名奉行 遠山の金さん』シリーズなどの時代劇作品にも積極的に出演した。三英傑織田信長豊臣秀吉徳川家康)をすべて演じたほか真田幸村を映画・テレビドラマで計2度演じた。2007年にはテレビ朝日・東映製作の連続テレビ時代劇最終作品として企画された『素浪人 月影兵庫』に主演。10年ぶりとなる時代劇主演作品で、父・近衛の当たり役を親子2代で演じた。

バラエティ番組への出演[編集]

俳優業の一方で、1985年(昭和60年)に始まるバラエティ番組天才・たけしの元気が出るテレビ!!』ではそれまでのイメージを覆し、冗談好きで笑い上戸な一面をみせ、以後バラエティ番組にも顔を出すようになる[9][13][14][47]1990年代までは、ドラマ・バラエティともにレイバンの度入りのサングラスをかけながら出演し、それがトレードマークにもなっていたが、2000年以降はレーシック手術で視力が回復したため、ほとんど眼鏡は使用しなくなった。そうした活躍の一方で、2001年、自身の個人事務所「松プロダクション」が映像作品制作、プロデュース進出の失敗から多額の負債を抱え倒産、大手事務所バーニングプロダクションに一時預かりの形で所属した[48][49]。2011年8月に独立し個人事務所「MARE(マーレ)」を設立した。以降は芸能事務所「夢グループ」と提携。テレビ出演本数が減る一方で、オリジナルビデオなどの映像作品出演と並行して、同社関連のコンサートや舞台などが活動の中心となった。

晩年・闘病・死去[編集]

2016年(平成28年)2月に入り、頭痛、手足のしびれなど体調不良を訴え始め、都内の大学病院を受診し入院[50]。同月23日、「脳腫瘍の疑いがあり長期療養を要するため出演予定だった3月1日から6月8日までの歌謡ショーを降板し6月からの舞台も中止する」と発表[51][52]。検査の結果「脳リンパ腫」との確定診断を受けたことが公表された[53]放射線治療抗がん剤の投薬治療を行う[54]も、治療のさなか、脳梗塞を併発し、急激に体力も衰えていった。

2017年(平成29年)1月21日午前11時26分、事実婚関係にあった元女優と3人の事務所関係者に看取られ、脳リンパ腫のために東京都内の病院にて死去。74歳没[14][55][56][57]

2017年(平成29年)1月23日午後6時頃、メディアを通じて、松方の訃報が公式に発表され、その夜に弟の目黒祐樹が涙をこらえながら、闘病生活とその最期の様子、葬儀をごく親しい近親者だけで行ったことを公表すると共に、生前において松方に関わった関係者、所縁のある人たち、応援し続けたファンへ向け、感謝の意を述べた。また、葬儀に参列した梅宮辰夫らが追悼コメントを発表した。松方の葬儀が近親者などによるものであったため、彼を知る友人・知人たちから「最後のお別れを言いたい」と希望する声が寄せられたこともあり、同年6月6日に東京プリンスホテルにてお別れの会を開催することになった[58]

2017年6月6日、東京プリンスホテルで「松方弘樹さんを偲ぶ会」[59]が営まれた。梅宮辰夫里見浩太朗五木ひろし森喜朗高橋英樹中尾彬大和田伸也北島三郎小松政夫白竜デヴィ・スカルノ錦野旦南野陽子モト冬樹山本リンダ千葉真一高橋克典岩城滉一浜田雅功太田光代水谷八重子松本明子徳光和夫テリー伊藤堀田眞三三田佳子十朱幸代らが参列した。

人物[編集]

父は時代劇俳優の近衛十四郎。母は女優の水川八重子[9]。松方は長男で、弟は俳優の目黒祐樹[17]。最初の妻で元モデルの夏子(1968年に結婚、1978年に離婚成立)との間に長男の目黒大樹(親権は松方)、長女 七重、次女 なち[29][60]。2度目の妻・仁科亜季子(1979年に結婚、1999年1月に離婚)との間に、次男の仁科克基と三女の仁科仁美(親権は2人とも仁科)[12][17]。愛人関係であった千葉マリアとの間に十枝真沙史(1987年の発覚当時2歳。松方は認知する一方で、パイプカット手術を受けている)[61]。弟・祐樹の妻(義妹)は江夏夕子、祐樹と江夏との間に姪の近衛はながいる。仁科とは1974年の大河ドラマ勝海舟』での共演後に恋仲となったが、松方は当時既婚者で、仁科の父・岩井半四郎が苦々しい表情でインタビューに応じる様子は当時の芸能マスコミでも取上げられた[29][61][62]。その後1991年、仁科が子宮頸がんを発症し、闘病を始めたころ、松方は京都祇園の高級クラブでホステスをしていた当時19歳の女性を見初め、不倫関係が始まる。1995年には「山本万里子」の芸名で、当時出演中だったドラマ『HOTEL』第4シリーズで女優デビューさせている(神崎亜紀 役)。1998年、仁科が週刊誌に暴露するかたちで2人の関係が明るみになり、離婚成立後は松方が死去するまで事実婚の関係にあった[63]

趣味は父の近衛十四郎と同じく釣りである[9]。松方とは盟友の梅宮辰夫は「(松方は)お父さん(近衛十四郎)がヘラブナ釣りが好みだったせいか、本人も池でのヘラブナ釣りが趣味だった」と明かしている[64]。また松方と梅宮が釣りに挑む『松方弘樹・世界を釣る』と題したテレビ番組が放送されたこともある。

山城新伍も盟友である。

また自身は年に何度か山口県萩市見島沖、八里ヶ瀬と呼ばれる海域周辺でマグロの一本釣りを楽しんでおり、見島のある旅館には松方弘樹と名前が書かれた釣り道具が常置されている。マグロ釣り大会の実行委員を務めるほどで、2008年(平成20年)11月23日に行われた大会では約305kgのクロマグロを釣り上げ、195万円の値がついた[9]2009年(平成21年)11月22日に行われた第12回萩クロマグロトーナメントでは、体長2.73m、体重325kgのクロマグロを釣り上げて前年の記録を更新した[9][65]。約437万円の値がついた。

2015年(平成27年)石垣島への釣行で、約6時間半のファイトの末、自己最高記録361kgのクロマグロを釣り上げた。

豪放磊落な人物としても知られた[9][13][29][60][61][66][67]。酒豪で最高記録はウィスキー5本に日本酒1升[5]。飲み比べではほぼ無敵で、千代の富士にも負けなかった。唯一負けたのは天龍源一郎という[5]

出演作品[編集]

映画[編集]

玄海遊侠伝 破れかぶれ(1970年、大映) - 小野田修次

Vシネマ[編集]

  • 強奪(2000年) - 主演・内閣情報調査室 捜査官
  • 殺し屋PAZUZU(2000年) - 主演・冨樫(レストランオーナー、元殺し屋) <兼 製作>
  • 餓狼の群れ(2000年) - 主演・唐木(元刑事)
  • 修羅のみち(2001年 - 2005年) - 関西山王組 黒田組組長 黒田虎男
  • 実録・安藤組外伝 地獄道(2001年、監修:安藤昇) - 練道会二代目会長 日野勝政
  • 実録・極東マフィア戦争 暗黒牙狼街 BOSS(2002年) - 麻薬捜査官 金村 ※特別出演
  • 実録 柳川組 シリーズ(2002年 2003年) - 三代目山賀組組長 田代正雄
    • 実録 柳川組 大阪戦争百人斬り(2002年7月)
    • 実録 柳川組2(2002年10月)
    • 実録 柳川組3 柳川次郎伝説 -完結-(2003年3月)
  • 実録 最後の愚連隊(2002年) - 稲川総裁 ※特別出演
  • 梁山泊 ファミリー(2003年)
    • 六本木錬金の帝王 カポネ(2003年)
    • フレンズ(2004年) - 名古屋共生会会長 中山
  • 実録 山陽道やくざ戦争 覇道 完結編(2003年) - 波谷組組長 波谷守之
  • 実録・広島四代目(2004年) - 波谷組組長 波谷守之
  • 極道甲子園(2004年) - 黒田錬太郎(伝説の親分)
  • 総長賭博(2004年) - 親分
  • 最後の神農 (2004年) - 城東組関山一家田畑組組長 田畑梅五郎
  • 修羅の血(2004年) - 主演・山川(極道)
  • 新・日本の首領 シリーズ(2004年 - 2006年)全9作 - 主演・辰野会 上村修
  • 桜の代紋 血の報酬(2005年、東映ビデオ) - 主演・県警本部捜査四課刑事 黒部一郎
  • ドッグファイター「ごろつき刑事」(2005年) - 主演・私立探偵 鞍馬真一
  • 不退の松葉 完結編(2005年) - 主演・中村益大(四代目松葉会総務会長→五代目松葉会会長)
  • 修羅の軍団(2006年) - 主演・村雨一家総長 村雨格太郎
    • 新・修羅の軍団(2010年) - 主演・村雨一家総長 村雨格太郎
  • 実録 東声会 初代 町井久之 暗黒の首領(2006年) - 南野一家総長 南野清治 ※特別出演
  • 最後の侠客(2006年) - 主演・花村銀次
  • 首領の一族(2007年) - 主演・青雲会会長 三島修司
  • 極道な月(2007年) - 彫り師
  • 新宿暴力街(2007年) - 主演・大畔組代行 弓削
  • 哀愁のヒットマン(2008年) - 主演・高岡(殺し屋)
  • 横浜暗黒街(2008年) - 主演・藤堂組組長 藤堂隆一
  • 暗黒街の帝王〜カポネと呼ばれた男〜(2008年) - 主演・一瀬
  • 松方弘樹の名奉行金さん2009(2009年) - 主演・遠山金四郎
  • 修羅の統一(2009年)全2作 - 銀城会谷川一家総長 谷川修(→銀城会理事長)
  • 大強盗 ギャングな奴ら(2010年)
  • ザ・ボディガード(2010年) - 主演・黒沢(元SP)
  • 殺しの挽歌(2010年) - 両角組若頭補佐 猪谷組組長 猪谷誠
  • ギャングコネクション(2010年) - 主演・元 梁山会若頭 日向
  • 武闘派の道(2015年) - 主演・二代目龍仁一家舎弟 橘鉄也
    • 武闘派の道2(2015年)
  • 裏社会の男たち(2015年) - 総合商社W・R・C会長 立花
  • 列島分裂-東西10年戦争-(2016年4月) - 主演・誠心会舎弟頭 荒井貴浩
    • 列島分裂-東西10年戦争- 第2章(2016年5月)

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

  • 蓮如物語(1998年) - 蓮如 ※エグゼクティブプロデューサーも兼任
  • 十五少年漂流記〜海賊島DE!大冒険〜(2013年)- アニオン[69]

吹き替え[編集]

ゲーム[編集]

バラエティ[編集]

結果は5度とも「三流芸能人」となったが、現在は『永遠の一流芸能人』。

ドキュメンタリー[編集]

  • 松方弘樹・世界を釣る!(NTV)
  • 世界お魚成金の旅inアラスカ 大金釣っちゃうぞ! SP(NTV)
  • 完全密着! 松方弘樹 VS 325キロ巨大マグロ…洋上激突ドキュメント 怪物と死闘(TX)
  • 日曜ビッグバラエティ 巨大マグロ戦争(TX)
  • UZUMASAの火花 〜映画村、京都・太秦に異国の風吹く〜(2014年1月9日、NHK BSプレミアム

トーク番組[編集]

CM[編集]

音楽[編集]

シングル[編集]

  • 赤い夕日の三度笠/旅でござんす(1961年5月、日本コロムビア SA-636)※『花笠ふたり若衆』主題歌
  • 同期の桜/あいつの消えた雲の果(日本コロムビア SAS-911)
  • 露営の歌若鷲の歌(1968年、日本コロムビア SAS-1072)
  • 東京摩天楼/求愛(1968年、日本コロムビア SAS-1137)
  • 同期の桜/ラバウル小唄(テイチク SN-1100)
  • 眠狂四郎の歌/円月殺法の歌(1969年、大映レコード D-101)※映画『眠狂四郎・円月殺法』主題歌
  • 同期の桜/ラバウル小唄(1970年、大映レコード D-106)
  • 花の風雲児/お縫恋唄(1970年、大映レコード D-110)
  • 勝負/ああ関東流れ者(1970年、大映レコード G-8)
  • 男の詩/人生うら返し(アモンレコード AMON-1007)
  • 時計を見ないで(1986年1月21日、リバスター 7RC-0057)※「松方弘樹・安倍里葎子」名義
  • I'll Be Back Again...いつかは(1986年4月21日、ビクター SV-9087)※「TAKESHI&HIROKI」名義。『天才たけしの元気が出るテレビ!!』イメージソング
  • 華のうちに(1993年12月21日、徳間ジャパン TKDA-70257/TKSA-20352)※『名奉行遠山の金さん』主題歌
  • 想い出ワルツ/長崎物語(2004年11月25日、日本コロムビア COCA-15704/COSA-1799)

アルバム[編集]

  • 男ごころ 歌う松方弘樹(1978年、キングレコード SKS-18)※カバーアルバム
  • 想い出ワルツ/松方弘樹〜男の世界〜(2004年11月25日、日本コロムビア COCP-32975)

書籍[編集]

  • 『きつい一発 松方弘樹の言いたい放談』 八曜社 1975年
  • 『松方弘樹の泣いた笑った メチャクチャ愛した』 日之出出版 1989年
  • 『松方弘樹の世界を釣った日々 釣りバカ弘樹のこれぞ人生!』 宝島社 2016年
  • 松方弘樹、伊藤彰彦『無冠の男 松方弘樹伝』講談社、2017年2月。ISBN 978-4-06-220544-3。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ テレビ朝日系『長七郎天下ご免!』への出演が決まったため。
  2. ^ 実写の松方が写り込んだフィッシングゲームだが、海釣りの難易度が高く、中々当たりが来ないリアル志向のゲーム。[要出典]退屈にも思えるゲーム性から、ゲームライターの中には「メインは(松方と一緒に写り込んだ)水着の女性」と述べる者もいる[70]

出典[編集]

  1. ^ a b 松方弘樹”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年1月12日閲覧。
  2. ^ “松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫、「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年1月23日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/23/kiji/20170123s00041000210000c.html 2017年1月23日閲覧。 
  3. ^ a b プロフィール”. 株式会社マーレ. 2017年1月12日閲覧。
  4. ^ 松方弘樹 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2017年1月12日閲覧。
  5. ^ a b c d 【追悼】松方弘樹「気がついたら青春映画の主演やっていました」〜役者一族の人間力”. 日刊大衆. 双葉社 (2017年1月23日). 2019年7月4日閲覧。
  6. ^ 松方弘樹、「立ち回りができなかった」新人時代「だからこそ必死になれた」”. ORICON NEWS. オリコン (2015年4月21日). 2019年7月4日閲覧。
  7. ^ 『読売年鑑』2016年版、読売新聞東京本社、2016年、559頁。ISBN 978-4643160017。
  8. ^ “松方弘樹さん、16歳で歌手を目指すも五木ひろしに圧倒され断念”. スポーツ報知. (2017年1月24日). オリジナルの2017年1月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170124044755/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170124-OHT1T50029.html 2019年7月5日閲覧。 
  9. ^ a b c d e f g h i “松方弘樹さん、映画利益“2億円”豪快に使い切った”. 日刊スポーツ. (2017年1月24日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1769386.html 2019年7月5日閲覧。 
  10. ^ a b c “今はちょっと切ないです”松方弘樹の映画への思い”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2015年2月27日). 2019年7月5日閲覧。
  11. ^ a b “俳優 松方弘樹さんが死去”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2017年1月23日). オリジナルの2017年1月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170123093330/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170123/k10010849971000.html 2017年1月24日閲覧。 
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参考文献[編集]

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