松浦寅三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松浦 寅三郎
Torasaburo Matsuura, chancellor of the Gakushuin Girls' School.jpg
生誕 1866年9月12日
日本の旗 日本 肥前国(現・長崎県
死没 (1947-01-15) 1947年1月15日(80歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学法科大学法律学科英法科卒業
職業 愛知県尋常中学時習館校長
山形県立荘内中学校校長
山口高等商業学校教授
第五高等学校校長
神宮皇學館館長
皇太子傅育官長
女子学習院
宮中顧問官
父:松浦縮蔵

松浦 寅三郎(まつうら とらさぶろう、1886年9月12日慶応2年8月4日) - 1947年昭和22年)1月15日)は、日本教育者女子学習院初代院長

来歴・人物[編集]

肥前国(現・長崎県)生まれ。士族松浦縮蔵の子。東京府尋常中学校第一高等学校を経て、1895年明治28年)東京帝國大學法科大学法律学科英法科を卒業1896年明治29年)5月愛知県尋常中学時習館(現・愛知県立時習館高等学校校長1899年(明治32年)7月山形県立荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)校長を歴任。

以後、山口高等商業学校教授第五高等学校校長を経て、1918年大正7年)5月に神宮皇學館館長に就任。翌年2月、皇太子傅育官長となる。1923年(大正12年)8月女子学習院の初代院長を兼務。1925年(大正14年)からは同院長の職務を専任。1932年昭和7年)8月から1945年(昭和20年)11月まで宮中顧問官を務めた。

参考文献[編集]

公職
先代:
三好愛吉
日本の旗 皇子傅育官長
1919年 - 1925年
次代:
(廃止)