松生丸事件

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松生丸事件(しょうせいまるじけん)とは、1975年9月2日日本フグ延縄漁船黄海北部において操業中に朝鮮民主主義人民共和国の警備艇による銃撃により2名が殺害され拿捕・連行された事件。

概要[編集]

9月2日、黄海北部において操業中の松生丸(船長ほか乗組8名)は、朝鮮民主主義人民共和国の警備艇より銃撃され、死者2名、負傷者2名を出した。その後、拿捕されて北朝鮮に連行された。

日本政府は、日本赤十字社を通じて松生丸の乗組員・遺体の早期返還要求を行い、9月14日に負傷者2名を除く乗組員が松生丸と共に帰国し、11月14日に負傷者2名は帰国した。

朝鮮民主主義人民共和国政府の主張[編集]

十一月八日の一部夕刊紙は、帰国した二人の乗組員が平壌で記者会見した際に、松生丸は北朝鮮の領海を侵した、再三の停船命令を無視し逃げたので銃撃を受けたと語ったと報じた[1]

日本政府の主張[編集]

元社会党副委員長だった山本政弘が1975年当時、社会党機関紙局長として訪朝した。ちょうどその時に「松生丸事件」が発生して深刻な事態となり、北朝鮮にだ捕された漁船の乗組員帰還をめぐって厳しいやりとりをした。山本は、北朝鮮当局者に対して乗組員を返すように徹底的な交渉を行なったが、当初は強い拒否にあった。会談は決裂して山本らは日本に引き揚げるつもりだった。荷物をまとめて帰ろうとする直前に、一転して「遺体と生存者全員の帰国」を約束させて一人当たり二万ドルの弔慰金を出させた。

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第076回 国会外務委員会第3号,日本 議事録