松田宣浩

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松田 宣浩
福岡ソフトバンクホークス #3
Matsuda-nobuhiro3.jpg
2017年10月29日、福岡 ヤフオク!ドームにて(日本シリーズ第2戦)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県草津市
生年月日 (1983-05-17) 1983年5月17日(35歳)
身長
体重
180 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2005年 希望入団枠
初出場 2006年3月25日
年俸 4億円+出来高(2018年)
※2016年から4年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年2017年
プレミア12 2015年

松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、滋賀県草津市出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。プロ野球滋賀県人会会長。愛称は「マッチ」「熱男(あつお)」など。妻はKBCアナウンサー柴田恵理

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1983年5月17日滋賀県草津市矢橋町で生まれた[2]。双子の兄とともに草津市立老上小学校2年生の時に矢橋レモンズで軟式野球を始めた[2]。中学校では栗東ボーイズに入り、硬式野球に転向した[2]

兄とともに中京高校(現・中京学院大学附属中京高等学校)に進学、主に3番・遊撃手で出場し、高校通算61本塁打を記録した[2]。2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に出場も、対沖縄県立那覇高等学校戦で延長の末、自らの悪送球で決勝点を与え、1対2で初戦敗退した(投手だった兄はこの試合では監督の方針で温存され出場せず)。なお高校在学中に松田兄弟を視察した内田俊雄亜細亜大学硬式野球部監督によれば、「バッティングにしろ、守備にしろ、しなやかさが足らずに硬いところがあった」宣浩より、兄の方が評判は良かったという[3]。高校卒業後、宣浩は亜細亜大学へ進学、兄はトヨタ自動車野球部に所属し、初めて兄とは別のチームに所属することとなる。

亜細亜大学入学後は、先述の甲子園での悪送球を見ていた内田監督の「そもそも細かなフットワークで美しい守備をするというよりは体力に任せたプレーが目立っていたので、守備で神経をすり減らすことなく負担が少ないサードを守った方が良いだろう」という判断で遊撃手から三塁手にコンバートされ[4]、1年春(2002年)から4番を任され東都大学リーグ戦に出場し、同シーズンで3本塁打と力を見せた[2]。同年は第1回世界大学野球選手権日本代表メンバーに選出されて5番を務め、3位に貢献した[2][5]2003年も2年連続で第35回日米大学野球選手権大会日本代表メンバーに選出された。リーグ戦でも秋期だけでシーズン6本塁打を記録、井口忠仁青学大)が持つリーグ通算24本塁打の記録更新も期待されていた。しかし、3年時に部員の不祥事が発覚し、亜細亜大学は半年間の対外試合禁止の処分を受けた。その結果リーグ戦、入替戦は不戦敗扱いとなりリーグ2部へ降格となったため、松田が在籍中の1部復帰は不可能となり記録更新はならなかった[6]。その後、亜細亜大学は主将に就任した松田を中心に2005年秋のリーグ2部で優勝し、1部へ復帰した。1部リーグでは通算76試合出場、275打数62安打、打率.225、15本塁打、41打点でベストナインを1回獲得した。2部リーグでは通算10試合出場、37打数9安打、打率.243、4本塁打、10打点を残した。

プロ入り後[編集]

2005年11月18日に行われた大学生・社会人ドラフト会議にて希望入団枠制度により選択され、12月2日に仮契約を行い福岡ソフトバンクホークスに入団した[7]。12月5日に入団会見を行い、背番号は「5」に決まった[8]。ソフトバンクはチームの若返りを図る方針へ転換し、同年27本塁打を記録した正三塁手トニー・バティスタとの契約を1年残して打ち切り[9]、松田を江川智晃らと競わせるとし、二塁手へのコンバート案も挙げていた[8]

2006年は開幕一軍入りを果たすと、3月25日のパシフィック・リーグ開幕戦でスタメン出場[10]。新人野手が一軍の開幕戦にスタメンで出場したのは、小久保裕紀以来チーム12年振りであった。しかし6月15日に二軍落ちすると、そのままシーズンを終えた[10]

2007年は前年まで読売ジャイアンツに在籍していた小久保裕紀がチームに復帰したため、シーズン前半は出場機会がなかった。しかし二軍で打率.331、チームトップの9本塁打の好成績を残し、多くの故障者を抱えるチーム事情から6月に一軍に昇格し、そのまま一軍に定着。8月には月間打率3割を記録し、200に満たない打数で7本塁打と長打力の片鱗を見せた。

2008年は三塁手のレギュラーに定着。長期の離脱もなくシーズン通して活躍し、打率や本塁打など前年に比べ確実な成長を見せた。6月1日にマーク・クルーンがプロ野球記録となる球速162km/hを記録した時の打者でもある(結果は空振り三振)。9月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、初回に岩隈久志から本塁打。これは同シーズンに岩隈がパ・リーグの選手から打たれた唯一の本塁打となった。同年10月、九州朝日放送の柴田恵理アナウンサーと結婚。

ビジターユニフォーム姿の松田

2009年秋山幸二新監督体制の目玉の一つとして3番打者に指名されていたが、開幕戦で一塁へ帰塁した際に右手甲を骨折し離脱。6月5日のセ・パ交流戦広島東洋カープ戦で一軍に復帰し、勢いに乗るチームと共に活躍を見せたが、7月18日の千葉ロッテマリーンズ戦で唐川侑己から死球を受けて右手首を骨折。46試合の出場に終わった。

2010年4月18日の楽天戦で9回裏に田中将大からプロ入り初のサヨナラ打を打った。5月4日の対オリックス・バファローズ戦で山本省吾から自身初の満塁本塁打を打った。5月9日に左手首を骨折のため離脱したが、6月22日の日本ハム戦で一軍に復帰、7月10日のロッテ戦では普段守らない左翼手として先発出場した。年間で打率こそ.255だったが、19本塁打、71打点、17盗塁と本塁打、打点、盗塁で自己最高の結果を残し、優勝に貢献した。

2011年4月17日の埼玉西武ライオンズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を含む2本塁打を、20日と21日には2試合連続の本塁打(21日はホセ・オーティズとの2者連続本塁打)を放った。4月はリーグ2位の4本塁打、同2位のOPS1.014を残した。その後も打撃は好調で、松中信彦、小久保、アレックス・カブレラが相次いで離脱した9月25日以降は最終戦まで4番を任された。結果的に自身初めて全試合にフルイニング出場し(他にチーム内では川崎宗則本多雄一も記録。1チーム3人の全試合フルイニング出場は2リーグ制以後、初の記録[11])、いずれも自己最高の打率.282、25本塁打、83打点、27盗塁、OPS.854を記録し、リーグ連覇に大きく貢献した。

西武と戦ったクライマックスシリーズファイナルステージでは、4番にはカブレラが座り松田は5番で出場、第2戦で決勝点となるソロホームランを放ったものの、全3戦で打った安打はこのホームラン1本だけで、13打席10打数1得点1安打1本塁打1打点2四球で打率.100と、レギュラーシーズンと比べると結果は良くなかった。プロ入り後初の出場となる日本シリーズでは、カブレラの不振により第1戦・第2戦では4番・三塁手としてフル出場したものの、この2試合で2安打無打点1盗塁と4番としての役目は果たせなかった。小久保と入れ替わる形で第3戦で5番に打順が下がるとすぐに1安打1打点と、以降第5戦までは5番、松中がDHスタメン出場した第6戦・第7戦では6番で出場して得点にからむ安打・犠打・盗塁及び第5戦での押し出し死球での1打点などは出たものの、7戦通しての成績は28打席25打数2得点4安打2打点3盗塁1犠打1四球1死球5三振で打率.160に終わった。

2012年

2012年は、一時、盗塁数がトップを記録するなど開幕から好調であったが、5月から本塁打数と盗塁数が減少し、徐々に失速。それでも中盤まで首位打者争いで上位につけるなど、高打率を維持していた。しかし8月1日の楽天戦で美馬学から死球を受け、右第4中手骨骨折で全治3ヶ月と診断される。骨折するまで9本塁打、56打点と好調だった[12]。しかし、シーズン終盤の10月5日のオリックス戦から復帰した。シーズン通算では怪我もあって、95試合の出場、9本塁打に終わるも、打率は規定打席未到達ながら3割、盗塁数は16個を記録した。

オフの11月6日に「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された[13]。12月4日には第3回WBC日本代表候補選手34人に選出されている[14]。また2017年からは背番号を5から自身が侍ジャパン強化試合で付けており、かつ尊敬する元巨人長嶋茂雄の付けていた3に変更する。

2013年2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人に選出[15]。主に「9番・三塁手」として活躍。打率.333、5打点を記録し、準決勝進出に貢献した。

この年のシーズンでは、4月11日のオリックス戦ではサヨナラ本塁打を放った[16]。シーズン序盤は打率が2割3分台まで下降するなど低調だったが、交流戦に入ると徐々に調子を上げ、チームの4番に定着。内川聖一長谷川勇也らと強力なクリーンナップを形成し、6月13日のセ・パ交流戦、対ヤクルト戦ではプロ初の1試合5安打をマークするなどチームの交流戦優勝の原動力となった[17]。夏場以降は好不調の波が激しく、柳田悠岐が頭角を現したこともあり、6番を打つこともあったが、最終的にはフルイニング出場を果たし、2年ぶりの20本塁打、打率.279、キャリアハイとなる90打点でシーズンを終えた。同年2年ぶり2度目のゴールデングラブ賞を受賞した。

2014年シーズン最終戦にてサヨナラヒットを打ちリーグ優勝を決める
(2014年10月2日、福岡ヤフオク!ドーム)

2014年から選手会長に就任[18]。レギュラーシーズンでは、5月13日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で、涌井秀章からNPB公式戦通算9万5000本目の本塁打を放った。また、オールスターゲームのファン投票および選手間投票では、パシフィック・リーグの三塁手部門でいずれも1位を獲得している[19]。しかし、7月2日の対ロッテ戦(福岡ヤフオク!ドーム)試合前練習中に、ノックの打球が右手人差し指を直撃。同日の試合には出場したが、翌3日に病院で診察を受け、右人さし指末節骨骨折で全治に6週間を要することが判明した。結局、3日付で出場選手登録抹消。2012年10月5日対オリックス戦からの公式戦連続フルイニング出場記録が218試合で止まった。また、7月4日には、球団を通じてオールスターゲーム出場の辞退を届け出[20](楽天の銀次が代替選手として出場)。結局、一軍復帰は8月26日の対日本ハム戦まで持ち越された[21]。復帰後は、9月10日の同カードで、大学の先輩に当たる木佐貫洋から球団通算8,000号本塁打を記録[22]。レギュラーシーズン最終戦であり、勝てばリーグ優勝、負ければ2位という状況であった10月2日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、1対1で迎えた延長10回裏1死満塁の場面で比嘉幹貴から左中間へサヨナラ安打を放って、チームのパシフィック・リーグ優勝を決めた[23]。この安打は、スカパー!が選ぶドラマティックサヨナラ賞で、同リーグの年間大賞に選ばれている[24]

クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ阪神タイガースとの日本シリーズでは、第3戦まで不振に陥っていた。しかし、10月29日の第4戦では先制2点打[25]、翌30日の第5戦(いずれも福岡ヤフオク!ドーム)ではチームをシリーズ制覇に導く適時打を放っている[26]。その一方で、日本シリーズ後の日米野球2014には、日本代表の一員として出場[27]。11月14日の第2戦(東京ドーム)では、MLB選抜に選ばれていた元チームメイトの和田毅シカゴ・カブス)から、チームの大会第1号本塁打(ソロ本塁打)を放った[28]

2015年2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された[29]。3月10日の第1戦に「6番 三塁手」で先発出場し[30]、3月11日の第2戦には代打で途中起用され、ルーク・ゾマーから三振している[31]

シーズンでは主に6番打者として、シーズンの序盤から好調を維持していた。レギュラーシーズンの公式戦では、6月9日のセ・パ交流戦、対阪神戦(福岡ヤフオク!ドーム)で公式戦通算1000安打を岩田稔からの2点本塁打で記録する[32]など、自己最多の35本塁打・94打点を記録。7月5日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では公式戦では自身初の1イニング2安打[33]、同月12日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では公式戦通算1000試合出場[34]、8月11日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)では金子千尋から公式戦通算150本塁打を達成した[35]。また、2年振りにオールスターゲームへ出場。レギュラーシーズンの延長戦ではNPB史上3人目(パシフィック・リーグタイ記録)となるシーズン3本のサヨナラ本塁打を記録している[36]。チームの同リーグ連覇・クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、10月24日の第1戦(福岡ヤフオク!ドーム)で先制本塁打を記録。シリーズでは自身の初本塁打であった[37]。本人曰く、このシーズンは「自分にとってとても自信になったシーズン」になったとのことである[38]

この年のオフには第1回WBSCプレミア12の日本代表に選出され[39][40][41]、1次ラウンド第4戦(11月14日)アメリカ戦で7回表2死満塁の打席で満塁本塁打を記録し、チームの決勝トーナメント進出に貢献した。その一方で、6月17日に海外FA権を取得したことを受けて、プレミア12開催中の11月9日にこの権利の行使を宣言。行使の選択肢を「MLB球団への移籍」か「ソフトバンクへの残留」に絞った上で、MLB球団から松田獲得のオファーが出された場合には、同大会の終了後に交渉へ応じる意向を表明した。ソフトバンクでは、球団史上初めて、「宣言後の残留」を松田への特例として容認[42]。11月11日には、NPBから海外フリーエージェント宣言選手として公示された[43]。公示後はMLBの複数球団が松田の獲得への興味を示し、特にサンディエゴ・パドレスとは具体的な交渉へと進めることができたが、三塁以外に複数の守備位置を守るという球団からの条件提示に難色を示して破談に終わった(なお、「2年契約、総額4億円」の条件提示を水面下で受けていたという)[44][45][46]。松田は王貞治ソフトバンク会長からの要請で残留を決断し、12月24日の記者会見で残留を表明。その際、「4年契約、総額16億円+出来高」の契約を結んだ[44]

2016年開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された[47]

レギュラーシーズンでは主に5番(64試合)及び6番(72試合)で出場したが、7月には1番打者を7試合務めた機会があった(チームが28イニング連続で無得点に陥るなど不調の時期であることの起爆剤の意味合いがあったとのことである)[48]。全試合にスタメン出場したが、打率.259、27本塁打、85打点と前年より数字を落とした。特に、8月10日の対オリックス戦では「あと1人」の場面で代走を出されて、これにより「全試合フルイニング出場」を惜しくも逃すこととなってしまった[38][注 1]

クライマックスシリーズ・ファイナルシリーズでチームは日本ハムに敗退したが、球団最多タイの3本塁打を記録した[49]

オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[50]。12月22日、契約更改に臨み、複数年契約のため現状維持の4億円でサイン。同時に、背番号を佐々木誠松中信彦らが使用していた「3」に変更することが発表された[51]

2017年は、「侍ジャパンの開幕戦から、日本シリーズの最後まで、全部出続けたいな、と思います。それができたら本当に最高の1年になりますね」[38]と位置付けてキャンプインした。 侍ジャパンの小久保裕紀監督は2017年のWBCでキャプテンは置かないとしているが、チームのまとめ役に松田を指名している。試合の方では、本大会、日本代表最終打者となった。

WBC終了後の、レギュラーシーズンの開幕戦は7番で迎えた。しかし開幕から不振に苦しみ、シーズンの1号本塁打は、4月30日の対オリックス戦まで待つことになった(シーズンの105打席目だった)[52][注 2]。6月27日の対日本ハム戦では史上101人目となる200号本塁打を達成。同打席では左翼ポール際への打球でビデオ判定が行われたもののファールとなり、その直後の投球で同記録を達成[53]。6月26日、マイナビオールスターゲーム2017にファン投票で選出され、2015年から連続で3度目の出場を果たす[54]。9月8日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)おいて、2ランホームランを放ち、城島健司に並ぶ球団歴代5位の通算211本塁打を記録する[55]

このシーズンでは、6月に1番(2試合)、4番(3試合)での起用があったり、7月下旬からは、内川聖一の負傷離脱の影響もあって、16試合連続で3番に起用され続けたり[56]で、1番から7番のうち、2番を除く全打順で起用されたが、8月中旬からは6番での起用に落ち着いた。最終的には、全試合スタメン出場を達成し、打率.264、24本塁打、71打点の成績でチームの2年振りのリーグ優勝に貢献。

楽天とのクライマックスシリーズでは、10月22日の第5戦に2ランホームランを放つなど活躍し、日本シリーズに進出する[57]横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズでは、11月4日の第6戦で、先制ソロホームランを放ち[58]、2年ぶりのチームの日本一奪還に貢献した。シーズンオフの11月9日、5年連続5度目のゴールデングラブ賞を受賞する[59]。12月4日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、4年契約の3年目となる来シーズンを現状維持の4億円プラス出来高(金額は推定)でサインした[60]

選手としての特徴[編集]

攻守走すべてにおいてスピード感あるプレーが持ち味で[61]、強肩を生かしたスローイングと三拍子揃ったプレーが魅力[62]。球界を代表する三塁手の一人と評価されることが多く、2016年のシーズンでは、「規定打席に到達&100試合以上三塁手を務めた」3人の日本人選手のうちの1人であった[63][64][65][注 3]

打撃[編集]

松田の打撃フォーム
(2012年7月16日、福岡Yahoo!Japan ドーム)

フルスイングを信条としており、打撃面での数値的特徴も、この打撃スタイルの影響が少なからず反映されている[66]

松田宣浩の打撃面での特徴(三振率、空振り率など)
2015年[67] 2016年[68] 2017年[69]
三振率(松田宣浩) 22.4% 23.2%
(リーグワースト2位)
22.2%
三振率(リーグ平均値) 18.0% 18.0% 19.5%
空振り率(松田宣浩) 14.8%
(リーグワースト4位)
15.7%
(リーグワースト1位)
15.7%
(リーグワースト1位)
空振り率(リーグ平均値) 9.4% 9.0% 9.8%
初球スイング率(松田宣浩) 33.4% 36.1%
(リーグ4位)
34.4%
(リーグ5位)
初球スイング率(リーグ平均値) 26.5% 26.2% 26.0%
ボール球スイング率(松田宣浩) 36.3%
(リーグワースト3位)
35.9%
(リーグワースト2位)
35.1%
(リーグワースト3位)
ボール球スイング率(リーグ平均値) 29.9% 29.5% 28.7%
四球率(松田宣浩) 10.0% 7.9% 7.5%
四球率(リーグ平均値) 8.5% 8.6% 8.3%
BB/K(松田宣浩) 0.44 0.34
(リーグワースト3位)
0.34
(リーグワースト4位)
IsoP(松田宣浩) 0.246
(リーグ4位)
0.208 0.194
左翼への打球方向(松田宣浩)[注 4] 44% 45% 47%

上記のデータ(数値)から、「プルヒッター」であることが顕著であること(若手時代の2011年の時点では、安打のおよそ60%が左翼方向に飛ぶ傾向が示されていた)[70]長打力に優れる一方で選球眼に乏しく(特に三振が多く、ボール球スイング率が突出して多い)、「フリースインガー」であることが顕著であることが示されている。そのため、2018年シーズンの開幕にあたっての選手名鑑では「いい意味でも悪い意味でも『成熟』という言葉が似合わない選手」と評価されている[69]

強靱なリストを生かした長打力を持ち味とし、かつてはリストの強さが諸刃の剣となり安定感に欠けていたが[71]、打撃コーチの立花義家から指導を受け、さらにリストの強さを生かした体の近くでボールを捉える打撃が2011年から2012年に導入されていた飛ばないボール(基準違反統一球)に合い[72]、多くの選手の本塁打数が減少した中、2011年には25本塁打を記録した。本人は「ボールを前でとらえて手をギュンと押し出す」というこの打撃を、金泰均の名前をもじった前テギュン打法と呼んでいる[73][74]

打席で2ストライクに追い込まれるまでは小指がグリップエンドに触れる位置でバットを握り、追い込まれてからは指2本分短く持ちなおしてミートを重視する打撃にも2011年から取り組んでいる[75]。2012年には激減した三振の数が示すように打撃ではしぶとさと確実性が増した[62]。一方で2009年には打率.185を記録するなど内角に弱い[76]

2014年まではライナー性の打球を持ち味としていたが、2015年には福岡ドームにホームランテラスが新設されたことで「常に外野フライを打つイメージ」とテラス対策に取り組んだ。自身初のシーズン30本塁打に到達し[77]、最終的に35本塁打を放ったが、うち12本がホームランテラスへの本塁打だった[78]

埼玉西武ライオンズ十亀剣を得意としており、通算打率は2018年5月9日時点で.618、本塁打は7本。特に2018年は開幕から3戦連続で本塁打を放った[79][80]

守備・走塁・その他[編集]

プロ入り前は50メートル走のタイムが6.1秒、遠投110メートルを記録する身体能力だった[81][2]。特に三塁到達までは11.59秒とトップスピードが速く、2008年には両リーグトップの三塁打を記録している[71]

守備では主に三塁手として起用されるが、一塁手で起用されたこともあり、2010年には左翼手に就いたこともあった。三塁守備では2008年に17失策を記録するなど不安定さが目立っていたが、バントの処理を向上させた2010年には得点換算やUZRで平均を上回る数値を残している[82]。2016年シーズン終了時点で、通算5回のゴールデングラブ賞を受賞しているが、遊撃手の今宮健太とは、鉄壁の守備を築いて、共に2013年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞し続けていることもあり、2016年のシーズンオフには、今宮とのコンビを「黄金の三遊間」と称する記事が登場したほどである[64]。三塁線の打球を例え倒れ込んで捕球しても起き上がってから十分にアウトにできる肩の強さが最大の武器[83]。当初は守備に不安があったが「打球の予測や飛んでくる前の準備などの大事さを教わり、練習では取れない打球が試合で取れるようになった」と内野守備走塁コーチの鳥越裕介に感謝していた[84]

ネクストサークルで素振りをした後、右足で片足跳びを数回行うことをルーティンとし、「あれが僕の調子のバロメーターなんですよ。上半身と下半身、そして体の左右のバランスがバッチリな時は、ケンケンがキマるんです。体のバランスが悪い時はうまく力を逃がしてやれず、ケンケンができない。下半身がグチャッと崩れてしまう感覚になるんです」という[85]

遊撃手・今宮健太との同一チームの三遊間での5年連続のゴールデングラブ受賞は、2000年から2002年まで3年連続受賞の遊撃手・宮本慎也、三塁手・岩村明憲ヤクルトスワローズ)を凌ぎ、歴代最長記録を更新している[59]

人物[編集]

愛称は「マッチ[注 5]、「まばたきマッチ[注 6]。また、2016年シーズン以後は、「熱男」が、松田の愛称の一つとして呼ばれるようになった(元来は、2016年のチームスローガンとして使われた言葉であった)[38][86]

大学時代は最上級生になるまで誰より先に日課をこなしてグラウンド整備も最後まで残り、活動停止期間も早朝練習を1日も欠かさなかった事などから、亜細亜大学の桑原務部長は「背中で周りを引っ張るタイプ。今の時代、口だけの人が多いが、松田は率先して自分から行動を起こす。」とリーダーシップを評価していた[2]。2006年2月当時の小川一夫スカウト部長は「他人に言われなくても、自分を追い込んで練習できる。」と述べた[87]

2015年までのチームメイトであった松中信彦とは、家に招かれ会食するなど懇意な間柄で、例年オフにグアムで行う自主トレにもよく帯同している[88]。松中の引退後は、古澤勝吾(滋賀県出身としての後輩)、宮崎祐樹(亜細亜大学の後輩)と共に、シーズンオフのグアムでの自主トレに取り組んでいるとのことである[38]

MLB球団への移籍については、2012年のシーズン終了後に、「日本人プレーヤーの待遇も(一時期とは)変わった。自分の評価を下げてまで行こうとは思わない。世界とはWBCでも戦える」と述べていた[89]。2015年に海外FA権の行使を宣言した際には、ソフトバンク球団を通じて、「『短い野球人生。悔いのない決断をするために自分の評価が聞きたい』との思いから、あえて海外FA権を行使しようと決意した。メジャーでのプレーの可能性があるのかを探ってみたい」というコメントを出している[42]

2011年の終盤からヒーローインタビューを「1、2、3、マッチ!」という掛け声で締めることが恒例となっている[90][91][92]

2015年と2016年は、ホームランを放つたびに、当時のスローガンであった「熱男〜!!」ポーズを披露することが恒例だった。当初は熱男ポーズを披露しなかったが、徐々に形成されていった[93]。2017年は、スローガンが「1(ワン)ダホー!」に変更されたことに伴い、「1ダホー!」ポーズに変更することとなったが、このポーズを披露したのは1回限りで、2号本塁打を放って以降は、これまで通りの「熱男~!!」ポーズに戻した。

本人曰く、「全試合フルイニング出場」に強いこだわりがあるとのことであり、「僕の究極の目標であり続けている」と述べている[38][86]。理由として、「打って走れて守れる(=走攻守三拍子揃う)選手の証明であるから」とのことである[38]。そのため、2016年シーズンにおいて、「あと1球」で代走を出されてフルイニング出場を逃したことは「とても悔しかった」とのことである[38]

2016年のシーズンオフに、背番号を「5」から「3」へと変更したが、本人曰く、下記のことを理由として述べている。

  • 2015年のプレミア12における野球日本代表において、背番号「3」を着用したが、その際、もともと憧れの人物であった長嶋茂雄の背番号を実際に代表で着用できたことがとても嬉しくて、そして「かっこいい、所属チームでもいつか着用できれば」と思うようになったから[38]
  • (2016年に3連覇を逃したので)「王座奪還」への意気込みを示すため[38]
  • (2016年シーズンにおいて)わずか「1球」で「全試合フルイニング出場」を逃した悔しさから[38]
  • 個人として、キャリアハイを追い求め続ける思いを込めて[38]
  • チームも個人も成長し続けるために、チームリーダー役である自分自身にプレッシャーを掛けるため[38]

先述のように、2016年シーズン以後、「熱男」が、自身の愛称の一つとして呼ばれるようになっているが、本人曰く、「『熱男』という愛称で呼んでもらうこと、あるいはそのように認識して頂けることがとても嬉しい。自分の中では野球選手をしていく上で本当にいい言葉をもらったと思っていて、本当に気に入っているんですよ」「熱い気持ちで野球ができなくなったら、ユニフォームを脱がないといけないな、と思っているんで。これを周りが評価してくれているから、松田宣浩って選手がいる」と述べており、「熱男」という愛称がとても気に入っているとのことである[38][86]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 ソフトバンク 62 220 204 17 43 8 3 3 66 18 0 0 3 0 11 0 2 53 2 .211 .258 .324 .582
2007 74 221 193 28 49 13 2 7 87 22 3 0 6 2 17 0 3 35 5 .254 .321 .451 .772
2008 142 595 551 68 154 33 10 17 258 63 12 6 8 1 28 1 7 115 11 .279 .322 .468 .790
2009 46 175 160 21 45 13 2 8 86 24 1 0 7 0 7 0 1 32 1 .281 .315 .537 .853
2010 113 458 424 61 108 20 3 19 191 71 17 3 8 6 14 2 6 90 7 .255 .284 .450 .735
2011 144 582 525 77 148 31 7 25 268 83 27 9 3 3 41 3 10 128 11 .282 .344 .510 .854
2012 95 390 360 41 108 28 7 9 177 56 16 10 0 2 27 5 1 63 7 .300 .349 .492 .840
2013 144 626 584 86 163 26 5 20 259 90 13 7 2 7 27 1 6 124 11 .279 .314 .443 .758
2014 101 423 392 54 118 20 3 18 198 56 12 6 1 4 24 0 2 80 13 .301 .341 .505 .846
2015 143 603 533 91 153 22 2 35 284 94 8 10 0 8 60 3 2 135 17 .287 .357 .533 .889
2016 143 609 548 79 142 23 5 27 256 85 6 6 0 5 48 2 8 141 14 .259 .325 .467 .792
2017 143 577 531 64 140 19 6 24 243 71 5 2 0 2 43 2 1 128 16 .264 .319 .458 .777
NPB:12年 1350 5749 5005 687 1371 256 55 212 2373 733 120 59 38 40 347 19 49 1124 115 .274 .325 .474 .799
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績[編集]

















































2013 日本 7 23 21 5 7 2 0 1 12 5 0 0 0 0 2 0 0 6 0 .333 .429 .571
2017 7 25 24 8 8 1 0 1 12 7 1 0 0 1 0 0 0 6 1 .333 .320 .500

年度別守備成績[編集]



一塁 三塁 外野




































2006 ソフトバンク - 58 30 104 9 9 .937 -
2007 22 170 11 1 14 .995 47 17 81 4 7 .961 -
2008 - 142 85 238 17 27 .950 -
2009 - 45 27 66 5 6 .949 -
2010 2 30 1 0 5 1.000 108 41 187 8 11 .966 13 11 0 0 0 1.000
2011 - 144 97 296 13 26 .968 -
2012 - 95 49 189 6 12 .975 -
2013 - 144 76 269 11 20 .969 -
2014 - 101 50 166 7 10 .969 -
2015 - 143 76 256 8 19 .976 -
2016 - 143 84 264 12 27 .967 -
2017[94] - 143 83 210 10 19 .967 -
通算 24 200 12 1 19 .995 1313 715 2326 110 193 .965 13 11 0 0 0 1.000

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2013年8月1日、対オリックス・バファローズ14回戦(京セラドーム大阪)、8回表に近藤一樹から右越3ラン ※史上269人目
  • 1000本安打:2015年6月9日、対阪神タイガース1回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、3回裏に岩田稔から左越2ラン ※史上280人目
  • 150本塁打:2015年8月11日、対オリックス・バファローズ17回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、2回裏に金子千尋から中越ソロ ※史上161人目
  • 1000三振:2017年4月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(koboパーク宮城) 、2回裏に則本昂大から
  • 200本塁打:2017年6月27日、対北海道日本ハムファイターズ10回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、4回裏に高梨裕稔から中越3ラン ※史上101人目[95]
その他記録
  • サヨナラ振り逃げ:2014年5月6日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、9回裏に増井浩俊から ※史上2人目
  • 日本プロ野球通算95000号本塁打:2014年5月13日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(QVCマリンフィールド)、2回表に涌井秀章から中越2ラン [96]
  • オールスターゲーム出場:6回(2011年 - 2013年、2015年 - 2017年) ※2014年はファン投票選出されるも出場辞退

背番号[編集]

  • 5 (2006年 - 2016年)
  • 3 (2017年 - )

現在の登場曲[編集]

過去の登場曲[編集]

代表歴[編集]

関連情報[編集]

著書[編集]

  • 松田宣浩 メッセージBOOK マッチアップ(2013年10月、廣済堂

出演[編集]

CM[編集]

広告[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この試合は、「6番・三塁手」としてスタメン出場。9回二死から四球により出塁したが、直後に代走として城所龍磨を送られて途中交代となり、次打者である吉村裕基が1球目を三ゴロで試合終了となった。そのため本人は、「あと1球で逃して悔しかった」ことを、2017年1月のインタビューにて繰り返し言及している。
  2. ^ この日は「KANSAI CLASSIC 2017」として、オリックスが近鉄バファローズ、ソフトバンクが南海ホークスの復刻ユニフォームをそれぞれ着用して試合に臨んだ。
  3. ^ 他の2人とは、村田修一(巨人)、川端慎吾(ヤクルト)である。このため松田は、2016年シーズンにて、パリーグの日本人選手としては「規定打席に到達&100試合以上三塁手を務めた」唯一の選手であったことになる。
  4. ^ いわゆる「引っ張り打球割合」。松田の場合、右打者であるため、左翼への打球方向が「引っ張り打球」になる。この「引っ張り打球」の割合が40%を上回るシーズンが複数続くと「引っ張り傾向の強い打者(プルヒッター)」とみなされることの目安になる。
  5. ^ 2017年2月現在、自身のツイッターのアカウントに、「マッチ(match)」という言葉が含まれている。
  6. ^ こまめに瞬きをする癖があるため名付けられた。

出典[編集]

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  17. ^ 【ソフトB】松田初5安打で交流戦Vに花 - 日刊スポーツ
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関連項目[編集]