松谷秀幸

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松谷 秀幸
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市鶴見区
生年月日 (1982-10-16) 1982年10月16日(36歳)
身長
体重
181 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト3位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松谷 秀幸(まつたに ひでゆき、1982年10月16日 - )は、大阪府大阪市鶴見区出身の元プロ野球選手投手)。

現在は日本競輪選手会神奈川支部所属の競輪選手日本競輪学校第96期卒業。

来歴・人物[編集]

野球選手時代[編集]

興南高等学校では2年からエースを務めた。最速149km/hの速球とカーブのコンビネーションで3年夏の大会では緒戦を完封するなどの活躍を見せた。甲子園出場はならなかったが、2000年ドラフト3位でヤクルトスワローズから指名を受け、入団した。高校の1学年下の後輩に上原厚治郎がおり、社会人を経由して2004年ドラフトで指名された上原と、再び同じチームで野球をしている。

プロ入り1年目の2001年には、高卒ルーキーでありながらファームで15試合に登板し、先発も経験。綺麗なフォームから伸びのある速球を投じ、次代のエース候補として長く期待を受ける存在であった。しかし6年間でを3回手術するなど怪我に泣くことになる。2003年2004年はほぼリハビリに費やすこととなったが、地道な努力により克服。

2005年には自己最多の34試合に登板し、2006年の飛躍が期待されていたが、再び故障を発症。一軍登板がないままオフに戦力外通告を受けた。

競輪転向[編集]

退団後は千葉中央ヤクルト販売株式会社に就職したが、サラリーマン生活が肌に合わないと感じたこともあって、横浜ベイスターズ野村弘樹投手コーチと親交がある競輪選手・佐々木龍也を頼って弟子入りした。

2007年11月、日本競輪学校第96期生を受験[1]。またこの時、元広島東洋カープ兵動秀治も受験した[2]2008年1月に合格が発表され、再びプロスポーツの世界に足を踏み入れることとなった。競輪学校の同期にはアイスホッケーU20日本代表経験者の杉本正隆などもおり、その中での在校競走成績は9勝で17位だった。

2009年4月10日に同校を卒業し5月1日付で競輪選手登録。デビュー戦は同年7月4日松戸競輪場となり、初戦で初勝利を上げた。

2011年6月13日、S級に特別昇級。

2013年6月9日小田原競輪場で行われた、「花月園メモリアルin小田原」(GIII)で優勝。プロ野球出身の競輪選手がGIIIを制したのはこれがはじめて[3]

2017年9月19日武雄競輪場で行われた第33回共同通信社杯競輪にて初めてGIIの決勝レースに出走。結果は4着(5着入線だったが繰り上がり)。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 48 (2001年 - 2002年)
  • 68 (2003年 - 2006年)

脚注[編集]

  1. ^ 2006年から導入された「他競技において優秀な成績を収めた者」を対象にした一次試験が免除される「適性の特別枠」から。
  2. ^ 兵動は一次試験から受験しているが、二次試験で不合格だった。その後2008年に合格した。
  3. ^ 元ヤクルト松谷秀幸がG3初V/小田原 - 日刊スポーツ 2013年6月9日

関連項目[編集]