松野はざま

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本来の表記は「松野礀」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

松野 礀(まつの はざま、1846年弘化3年)- 1908年明治41年)5月14日[1])は、日本林学者。林学教育者。東京山林学校の初代校長で、日本の山林科学、林学確立のため学校の必要性を訴え学校開設、この分野の発展に尽した。

経歴[編集]

伏見満宮の随員としてドイツにわたり、1872年ベルリン郊外にあるエーベルスワルド官立フォレストアカデミーに入学する。帰国後は内務卿となっていた大久保利通に後の内務省山林局となる地理寮木石課に職を用意してもらい官吏に任命される。

松野はまずは樹木の試験研究機関を開設することにし、東京府北豊島郡西ヶ原村(現北区西ヶ原)を地権者から買い上げて敷地を確保し、山林局樹木試験場を設置した。1881年、内務省山林局が新設の農商務省へ移管され、農商務卿には西郷従道が就任。これを時期とみて松野は山林学校開設を提案し了承された。同年山林局に学務課が設置され、松野は課長に任命された。

こうして1882年、東京山林学校が西ヶ原試験場内に開校して、樹木試験場はその付属となる。宿願を果たした松野は校長・教授に就任する。

その後松野は山林学校合併後の東京農林学校、また帝国大学農科大学で教授職を歴任するが、後に森林行政官に戻り、東京林区暑林務官、長野林区暑林務官などを経て、農商務省林業試験所長を勤める。

松野については直接間接に教えをうけた幾人かがその著書や雑誌「山林」に書き残している。

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本人名大辞典』1781頁。

参考文献[編集]