松阪市立仁柿小学校

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松阪市立仁柿小学校
過去の名称 上仁柿学校
仁柿学校
柿野第二尋常小学校
柿野町第二国民学校
柿野町立柿野第二小学校
飯南町立仁柿小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 松阪市
併合学校 下仁柿小学校
飯南町立仁柿小学校峠分校
設立年月日 1874年9月19日
閉校年月日 2010年3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 515-1304
三重県松阪市飯南町上仁柿194
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松阪市立仁柿小学校(まつさかしりつ にがきしょうがっこう)は三重県松阪市市立小学校

2010年4月1日松阪市立柿野小学校へ統合され、休校扱いとなっている。

概要[編集]

校歌は西村芳男の作詞、野呂淳次の作曲による[1]。3番まであり、各番とも「母校よ 仁柿小学校」で終わる[1]

1975年(昭和50年)には5学級68人が在籍していたが、少子化が進み、2009年(平成21年)には3学級16人まで減少した[2]。最後の卒業生は6名だった[3]

  • 校舎面積:1,222m2
  • 屋内運動場面積:266m2

沿革[編集]

  • 1874年(明治7年)
    • 9月19日 - 公立の第二大学区第四〇中学区第四九番小学区上仁柿学校が開校[4]
    • 11月 - 私立の第二大学区第四〇中学区第四八番小学区下仁柿学校が開校[4]
  • 1876年(明治9年)10月3日 - 公立の下仁柿小学校が開校[4]
  • 1879年(明治12年)2月 - 下仁柿小学校が新校舎に移転[5]
  • 1882年(明治15年)9月 - 上仁柿小学校と下仁柿小学校が統合し、仁柿小学校となる[5]。本校と分校は旧上仁柿小と旧下仁柿小の間で1年おきに入れ替えることに決めるが、実際には統合前と同じように運用された[5]
  • 1883年(明治16年) - 初等科(3年)・中等科(3年)を設置[5]
  • 1885年(明治18年)1月 - 上仁柿校舎を移転[6]
  • 1887年(明治20年)4月1日 - 学区改正により、粥見簡易科授業所の分校となる[6]
  • 1888年(明治21年)1月 - 下仁柿校舎の3年生以上の児童を上仁柿校舎への通学とする[6]。上仁柿が本校、下仁柿が分校となる[6]
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制により柿野村が成立、柿野第二尋常小学校に改称[6]
  • 1890年(明治23年)11月 - 小学校令改正により、1日から4年制となる。15日に3年制の補習科を設置[7]
  • 1898年(明治31年)5月4日 - 柿野高等小学校(現在の松阪市立柿野小学校)設置により、補習科を廃止[7]
  • 1908年(明治41年)3月30日 - 新校舎の工事が竣工[7]。翌日より児童を収容[7]
  • 1923年(大正12年)9月 - 運動場を拡張[7]
  • 1924年(大正13年)4月 - 高等科を併設し、柿野第二尋常高等小学校に改称[7]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 柿野町第二国民学校に改称[7]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、柿野町立柿野第二小学校に改称、新制の柿野中学校第二校舎を併設[7]
  • 1948年(昭和23年)4月 - 峠分校を設置[8]
  • 1950年(昭和25年)9月3日 - ジェーン台風により校舎1棟が倒壊するが、日曜日だったため、人的被害はなかった[8]
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 新校舎を運動場に建設し、旧校舎跡を運動場とする[8]
  • 1954年(昭和28年)1月6日 - 柿野中学校が分離[8]
  • 1956年(昭和31年)8月1日 - 飯南町発足により、飯南町立仁柿小学校に改称[8]
  • 1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風の被害を受ける[8]
  • 1960年(昭和35年)8月29日 - 台風16号の被害を受ける[8]
  • 1961年(昭和36年)
  • 1965年(昭和40年)3月 - 鉄筋コンクリート3階建の新校舎が落成、旧校舎跡を運動場とする[8]
  • 1970年(昭和45年)7月25日 - プール竣工[8]
  • 1971年(昭和46年)5月7日 - 峠分校を廃校[1]
  • 1985年(昭和60年) - 「仁柿っ子カレンダー」の作成を開始[9]
  • 2005年(平成17年)1月1日 - 市町村合併に伴い、松阪市立仁柿小学校に改称。
  • 2009年(平成21年)6月7日 - 春季運動会で34年ぶりに鼓笛隊を復活[10]
  • 2010年(平成22年)
    • 1月26日 - 松阪市立柿野小学校の3年生と仁柿小3年生が合同で伝統工芸「深野和紙」の紙すきを体験[11]
    • 3月19日 - 最後の卒業式を挙行[3]
    • 3月24日 - 修了式と閉校式を挙行[3]
    • 3月31日 - 閉校。翌日から休校扱いとなる。

旧校区[編集]

飯南町下仁柿、飯南町上仁柿

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 飯南町史編さん委員会 編(1984):1167ページ
  2. ^ 松阪市(2010):39ページ
  3. ^ a b c 夕刊三重"最後の卒業式、歴史に幕/6年生6人ずつを送り出す"日本地域紙協議会、2010年3月20日(2011年5月11日閲覧。)
  4. ^ a b c 飯南町史編さん委員会 編(1984):1162ページ
  5. ^ a b c d 飯南町史編さん委員会 編(1984):1163ページ
  6. ^ a b c d e 飯南町史編さん委員会 編(1984):1164ページ
  7. ^ a b c d e f g h 飯南町史編さん委員会 編(1984):1165ページ
  8. ^ a b c d e f g h i j k 飯南町史編さん委員会 編(1984):1166ページ
  9. ^ 伊勢新聞 (2005年12月14日). “最新ホットニュース70/手作りカレンダー完成!”. TAKI town Local information network. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。 “Archive.isによる2012年7月14日時点のアーカイブページ。”
  10. ^ 夕刊三重新聞社 (2009年6月9日). “息ぴったり鼓笛隊/最後の運動会で披露”. ローカルゴーゴー. 日本地域紙協議会. 2012年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。
  11. ^ 夕刊三重新聞社 (2010年1月28日). “地元の伝統、紙すき体験/柿野、仁柿の2小が一緒に”. ローカルゴーゴー. 日本地域紙協議会. 2012年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。 “Archive.isによる2012年7月11日時点のアーカイブページ。”

参考文献[編集]

関連項目[編集]