板倉勝喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
 
板倉勝喜
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和2年10月17日1765年11月29日
死没 天保13年2月17日1842年3月28日
別名 利次郎(字)
戒名 心月院殿廓天源喜大居士
官位 従五下主水佑
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
備中庭瀬藩
氏族 板倉氏
父母 板倉勝興板倉勝志
兄弟 勝志、勝紀、巨勢至親、勝喜
大久保教倫婚約者、永井直諒正室、
板倉勝宦正室
勝並、勝豊、勝氐勝資勝貞
阿部正信正室
テンプレートを表示

板倉 勝喜(いたくら かつよし)は、江戸時代中期から後期にかけての大名備中国庭瀬藩5代藩主。官位従五下主水佑。重宣系板倉家6代。

略歴[編集]

3代藩主板倉勝興の四男として誕生。

天明5年(1785年)4月25日、嗣子なく没した兄勝志末期養子となり、家督を継いだ。同年4月28日、10代将軍徳川家治に拝謁する。同年12月18日、従五位下、主水佑に叙任する。寛政5年(1793年)、陣屋内に清山神社を建て、板倉家中興の祖である板倉重昌重矩の父子を祭祀した。

享和3年(1803年)、家督を三男の勝氐に譲って隠居し、五男の勝貞の治世の天保13年(1842年)に没した。享年78。法名は心月院殿廓天源喜大居士。

系譜[編集]