板倉勝長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
板倉勝長
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦11年7月25日1761年8月25日
死没 文化12年4月12日1815年5月20日
改名 伊三郎(幼名)、勝長
官位 従五位下内膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
陸奥福島藩
氏族 板倉氏
父母 板倉勝矩
兄弟 勝長、勝幹、内藤頼以、琴ら
脇坂安親
本多康匡養女
勝俊、勝定、演暢院、渡辺輝綱正室
テンプレートを表示

板倉 勝長(いたくら かつなが)は、江戸時代中期から後期にかけての大名陸奥国福島藩8代藩主。官位従五位下内膳正。重昌流板倉家第11代。

生涯[編集]

板倉勝矩の次男。父・勝矩が重昌流板倉家に養子入りする以前、安中藩時代に誕生。幼名は伊三郎。

安永4年(1775年)1月25日、父の死により家督を相続した。安永9年(1780年)11月18日、10代将軍・徳川家治に拝謁した。同年12月18日、従五位下内膳正に叙任する。領内飢饉大坂加番中の大坂城火事により、藩財政が窮乏する。相馬中村藩から野中半宇衛門を招いて財政再建に尽力した。

文化12年(1815年)に死去し、跡を長男・勝俊が継いだ。

系譜[編集]