林原グループ

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株式会社 林原
Hayashibara co.ltd
種類 株式会社
略称 林原
本社所在地 日本の旗 日本
〒700-0907
岡山市北区下石井1-1-3 日本生命岡山第二ビル新館5・6階
設立 1932年7月10日
事業内容 食品原料と医薬品原材料と化学原料製品と試薬の研究・製造・販売他
代表者 代表取締役社長 長瀬玲二
資本金 75億円
売上高 281億1,300万円(2010年10月期)[1]
営業利益 45億1,100万円 (2010年10月期)[1]
従業員数 294人
決算期 10月期
主要株主 長瀬産業 100%
外部リンク http://www.hayashibara.co.jp/index.php
特記事項:創業は1883年、2011年3月会社更生手続開始決定。
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株式会社林原(はやしばら、: Hayashibara Co., Ltd.)は、岡山県岡山市に本社を置く食品原料・医薬品原料・化学原料製品や試薬を研究・製造・販売するバイオメーカーである。メセナ事業の一環として美術館や博物館などの運営も行なっている。

2011年会社更生法を申請したのち、大阪市に本社を置く化学専門商社である長瀬産業の完全子会社として再建をすすめている。

目次

概要

1883年明治16年)、林原克太郎が現在の岡山市北区天瀬に麦芽水飴製造業を営む林原商店として創業した。1932年昭和7年)、株式会社林原商店に改組し、林原一郎が3代目社長に就任すると、研究開発や経営の多角化に乗り出した。特に、本業の水飴製造は酸糖化法による製造技術を導入し、「太陽印水飴」として日本本土のみならず大陸方面に販路を拡大した。1943年(昭和18年)に林原株式会社に社名変更。1945年(昭和20年)には、岡山空襲で工場を焼失したが、終戦後すぐに復興を遂げ、水飴生産量日本一を誇った。この頃から不動産事業にも乗り出し、JR岡山駅南に約2万坪の土地を購入。1948年(昭和23年)には同所に本社を移転した。デンプンからの各種糖質開発を事業として特許を多数取得し、そこから得られた莫大な収益でさらに新たな研究を行っている研究開発型の企業へと成長していった。

1961年(昭和36年)に林原健が社長に就任してからは、自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトース、プルランなど生理活性物質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立していった。また、美術館の開館や備中漆の復興事業、古生物学調査(恐竜の発掘調査)、類人猿の研究などメセナ事業を積極的に展開しはじめる。1990年代以降は、甘味料などに使われる糖質トレハロース、抗がん剤に使われるインターフェロンの生産・販売で世界市場に名乗りをあげた。

2011年(平成23年)2月2日、林原と林原生物化学研究所と林原商事のグループ中核3社が会社更生法適用を東京地方裁判所に申請[2]3月7日に更生手続開始が決定した[3]

2012年(平成24年)2月1日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併された。合併後の株式会社林原は、同年2月3日に、100%減資を行って長瀬産業(大阪市)の完全子会社となった。[4]。中核事業は株式会社林原によって事業が継続され、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産に引き継がれた。

沿革

林原グループ旧本社
林原美術館
  • 1883年明治16年) - 林原克太郎が現在の岡山市北区天瀬に林原商店を創業。
  • 1932年昭和7年) - 株式会社林原商店に改組。3代目社長に林原一郎が就任。
  • 1935年(昭和10年) - 酸麦2段糖化による水飴製造法を確立、特許を申請。
  • 1940年(昭和15年) - 製菓(乳菓)部門に進出。
  • 1943年(昭和18年) - 林原株式会社に社名変更。
  • 1945年(昭和20年) - 岡山空襲により、工場を焼失。翌年1月に水飴の製造を再開。
  • 1946年(昭和21年) - 旧日本電気が所有していた岡山駅南の土地を購入。株式会社太陽興産を設立し、不動産事業に参入。
  • 1952年(昭和27年) - 社団法人林原共済会を設立。
  • 1959年(昭和34年) - 酵素糖化法によるブドウ糖製造に成功。
  • 1962年(昭和37年) - 水飴・ブドウ糖の販路拡大のため、林原商事株式会社を設立。
  • 1964年(昭和39年) - 現在の岡山市北区丸の内の岡山城対面所跡に、林原美術館を設立。
  • 1968年(昭和43年) - マルトースの新製造法の開発、マルチトールの開発に成功。
  • 1970年(昭和45年) - 株式会社林原生物化学研究所を設立。
  • 1986年(昭和61年) - マルトースの量産化に成功。
  • 1988年(昭和63年) - 厚生省からインターフェロンの承認を受け、大塚製薬持田製薬から発売開始。
  • 1990年平成2年) - 株式会社林原株式会社林原商事に社名変更。
  • 1993年(平成5年) - モンゴルゴビ砂漠における古生物学調査を開始。
  • 1994年(平成6年) - デンプンからトレハロースを大量に生産する技術を開発。翌年、商品化。
  • 1997年(平成9年) - 株式会社H+Bライフサイエンス、株式会社林原基礎合成研究所、株式会社林原美術ミントの3社を設立。
  • 1998年(平成10年) - チンパンジーの研究を行う「類人猿研究センター」を設立。
  • 2002年(平成14年) - JR岡山駅南の自社所有地を再開発する「ザ ハヤシバラシティ」構想を発表。ザ ハヤシバラシティ株式会社を設立。
  • 2011年(平成23年)2月2日 -東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請。負債総額1300億円超。林原創業家が経営から退く。
    • 12月26日 - 本社をJR岡山駅南の自社所有地から現在地に移転。
    • 12月31日 - 林原モータープールを閉鎖。
  • 2012年(平成24年)1月27日 - 更生計画認可決定が確定。
    • 1月30日 - JR岡山駅南の自社所有地をイオンモールに売却。
    • 2月1日 - 株式会社林原生物化学研究所と株式会社林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併。
    • 2月3日 - 長瀬産業の100%子会社となる。

経営

JR岡山駅南の旧自社所有地
岡山市北区下石井の2万坪の土地は、長年林原グループの本社および有料駐車場として利用された。

創業家による同族経営

創業者の林原一族による同族経営が続けられ、長年に渡り、JR岡山駅南の2万坪の土地など大規模な不動産を所有していた。この自社所有地の持つ含み益と特許が生み出す利益によって資金調達が容易なため上場する必要がないとされ、長期にわたる独自の研究開発を行うためにもあえて上場しないという経営方針がとられていた。また、縁故採用に肯定的な企業であり、社員の公募はせず社員の多くは地元岡山の大学生から採用していた[5]。メセナ活動にも積極的に投資し、2002年(平成14年)には、林原グループ本社や林原自然科学博物館、有料駐車場(林原モータープール)として利用されていたJR岡山駅南の自社所有地を、「ザ ハヤシバラシティ」として再開発する構想を発表した[6]

一方で専ら研究部門の主導で、1970年代からバブル期にかけ豊富な不動産資産を背景として、1700億円にものぼる多額の借入を金融機関から行った。ハムスター法によるインターフェロンの製造法開発などのブレイクスルーを研究投資により行った反面、競合品である遺伝子組み換えインターフェロンの登場により、インターフェロンはビジネスとしてはペイしなかった。当時はトレハロース、AA-2G等の2000年代の主力製品の開発前で、バブル崩壊により岡山駅前に保有する土地の評価額が激減したこともあり、この時点で事実上債務超過に陥っていた。

この頃から、不正経理によって銀行から多額の融資を受ける行為が常態化しており、当時においては中国銀行、住友信託銀行等の主力銀行も事実上の不正経理を知りながら黙認していたとの噂も後のADR申請の際に一部では囁かれた。岡山製紙三星食品などのグループ会社は上場し次々に売却したが、グループ本体は不正経理があったため上場することが長年にわたってできず、間接金融に依存する状態が続いていた。

経営破綻の原因は直接的には、2010年末に金融機関から不正経理を指摘され融資の継続がされなくなったことだが、そもそもの不正経理を行う動機は凄まじい額の研究投資とインターフェロンのビジネスとしての失敗である。 経営破綻時に一部報道で言われた「メセナ活動や不動産投資が経営を圧迫した」というのは誤りである。それらは多く見積もっても年間数億円の出費にしか満たず、借入金利息を毎年返済してもトレハロースやAA2Gの売り上げで年間20億円以上の利益を上げていた90年代以降の林原では大きな問題ではなかった。不動産を扱う太陽殖産はそもそも更生法申請時にも資産超過状態だった。

不正経理の発覚と会社更生法の申請

経営が行き詰まった林原グループは、2011年1月25日私的整理の一つである事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きを申請したことを明らかにした[7]。林原グループは雇用面やメセナ活動から、岡山の地域経済に大きな影響力を持っていたため、林原グループがADRの手続きをした事に対し、岡山市長と岡山県知事が会見を行なった[8]

しかし、20年以上に渡り行われていた不正経理が表面化し、JR岡山駅南の有料駐車場と本社がある土地に岡山の地方銀行である中国銀行が林原美術館に住友信託銀行が抵当権を設定していることが明らかになったことで、金融機関の同意が得られず、同年2月2日の債権者集会の場で事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きを断念。同日、林原・林原生物化学研究所・林原商事の3社は東京地方裁判所に会社更生法に基づく会社更生手続きの開始を申請した[9][10]。負債額は1300億円超と見られ、岡山県内の経営破綻としては過去最大規模の事例となった。 この責任をとって社長の林原健と実弟で専務の林原靖が取締役を辞任し、後任の社長には林原生物化学研究所の常務だった福田恵温が就任、創業以来一貫して林原一族が主導してきた同族経営は幕を閉じた。 中核事業法人のうち、不動産運営の太陽殖産は資産が負債を上回っていたため当初は申請を見送ったものの、更生会社3社の再建計画検討の中で、同社についても3社との同時的・一体的な処理を進めるのが適切と判断され、同年5月25日に改めて東京地裁への会社更生法適用申請を行なった[11]

経営再建へ

再建スポンサーには韓国CJグループ日本たばこ産業など70~80社が名乗りを上げたが、入札を経て2011年8月3日長瀬産業がスポンサーに決定し[12]、12月31日に東京地方裁判所より更生計画案が認可された[13]

JR岡山駅南の自社所有地は、2011年9月21日に入札が行われ、イオンモールに売却されることが決定した[14]。売買契約の決済とイオンモールへの所有地の引き渡しは、2012年1月27日に東京地方裁判所の更生計画案の認可決定が確定したのを受け、同年1月30日付で行われた[15]。これに先だって、株式会社林原・株式会社林原商事・株式会社林原生物化学研究所の3社は、2011年12月26日に本社を移転し[16] 、2011年12月31日には、有料駐車場(林原モータープール)も閉鎖された。[17]

2月1日付で林原商事・林原生物化学研究所の2社は株式会社林原に吸収合併されて消滅し、同年2月3日に林原は100%減資のうえ長瀬産業の完全子会社となった[18]。同時に、社長には長瀬産業から長瀬玲二が就任した。太陽殖産は新生林原に引き継がれなかった資産を含む資産の換価処分を進める。

株主構成

2012年2月3日減増資
2012年1月31日時点
  • 春興社 66%
  • はやしばらエイ・ジィー 17.05%
  • 太陽殖産 16.95%

関連事業

林原はメセナ事業の一環として、林原共済会を通して福祉・文化活動を行っている。また林原美術館、林原自然科学博物館の運営を行っている。

  • 社団法人林原共済会(岡山市北区)
  • 林原自然科学博物館(岡山市北区)
  • 財団法人林原美術館(岡山市北区)
  • 林原類人猿研究センター(岡山県玉野市


かつてのグループ会社

2012年の林原グループ合併時点のグループ会社
  • 中核事業法人
    • 株式会社林原生物化学研究所(岡山市北区:食品・医薬品原料の研究開発及び感光色素の研究・合成)- 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。
    • 株式会社林原商事(岡山市北区:各種食品原料の販売) - 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。
    • 太陽殖産株式会社(岡山市北区:グループの不動産管理)
林原グループ合併以前のグループ会社
  • 株式会社昭和倉庫(岡山市北区)
  • 株式会社H+Bライフサイエンス(岡山市北区)
2011年6月21日にハーバー研究所の完全子会社となった[19]
2011年7月25日に同社株式の99.72%を京阪電気鉄道が取得し、同社の子会社となった[20]。その後、同年10月13日に株式交換により、完全子会社となった。
  • 関連会社
    • ザ ハヤシバラシティ株式会社(岡山市北区)
    • 株式会社アメニティ ルネサンス(岡山市北区) - 林原グループの事業所の清掃・緑化業務、林原モータープールと林原自然科学博物館の管理運営を行っていた。2011年末で事業停止し、事業は売却された。

テレビCM

スポンサー番組

過去

トレハ星人

2004年4月から、林原グループの提供番組では、トレハロースの知名度を上げるために、「トレハ星人」なる宇宙人のようなキャラクターを用いた個性的なCMが流されていた。父は赤い一つ目に長い横ヒゲ。娘2人は銀髪の長い頭と横ヒゲが特徴である。トレハロースを紹介する自社Webサイトでは、トレハロースを使用した商品を撮影して送れば、トレハ星人(父)のストラップが当選するキャンペーンを展開した。Webサイト内では、地球の男性と娘が結婚に至った経緯を紹介する紙芝居や宇宙人親子の写真集なども掲載されている。

脚注

  1. ^ a b 本日の報道について(2) 林原グループプレスリリース 2011年1月26日
  2. ^ 会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について 林原グループプレスリリース 2011年2月2日
  3. ^ 会社更生手続開始決定のお知らせ 林原グループプレスリリース 2011年3月7日
  4. ^ 東京地裁が林原の更生計画案認可 再建本格化へ:2011/12/31 16:38 【共同通信】
  5. ^ “企業活動とメセナ 林原社長・林原健氏に聞く”. 中国新聞. (2002年5月30日). http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In02053001.html 2010年12月2日閲覧。 
  6. ^ ザ ハヤシバラ シティ ホームページ”. 2010年12月2日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ 本日の報道について(1) 林原グループプレスリリース 2011年1月25日
  8. ^ 林原:私的整理申請 県政財界に衝撃 「再生」願う声、「不透明」指摘も/岡山 毎日新聞2011年1月17日 2011年2月2日閲覧
  9. ^ 会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について 林原プレスリリース 2011年2月2日
  10. ^ 株式会社林原など3社 帝国データバンク大型倒産速報 2011年2月2日
  11. ^ 不動産賃貸 太陽殖産株式会社 会社更生法の適用を申請 負債417億5800万円 帝国データバンク大型倒産速報 2011年5月26日
  12. ^ スポンサー契約の締結について 林原グループプレスリリース2011年8月3日
  13. ^ 更生計画認可決定のお知らせ 林原グループプレスリリース2011年12月31日
  14. ^ 駅前不動産の売却について 林原グループプレスリリース2011年9月21日
  15. ^ 更生計画認可決定確定のお知らせ 林原グループプレスリリース2012年1月30日
  16. ^ 本社移転のお知らせ 林原グループお知らせ2011年12月12日
  17. ^ 林原モータープールは観光バスがよく使用していたことから、2012年3月末までは8台分を使用することで岡山県バス協会とイオンモールが合意した。「バス発着場利用で協定 イオンと県協会」山陽新聞2012年2月2日ウェブサイト
  18. ^ 更生会社株式会社林原等の更生計画認可決定の確定、株式取得(完全子会社化)に関するお知らせ長瀬産業プレスリリース2012年1月31日
  19. ^ 株式会社エイチプラスビイ・ライフサイエンスの株式の取得(子会社化)に関するお知らせ (PDF) 日経会社情報 2011年6月21日
  20. ^ 株式会社京都センチュリーホテルの株式取得(子会社化)に関するお知らせ (PDF) 京阪電気鉄道報道発表資料 2011年7月25日

関連項目


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