林家ライス・カレー子

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林家ライス・カレー子(はやしやらいす・かれーこ)は、かつて存在した漫才コンビ(夫婦漫才)。2018年2月に夫のライスが死去したため、同年8月よりカレー子が娘の林家まる子と漫才コンビを結成[1]している。

来歴[編集]

ライス・カレー子は1971年に結婚し1978年8月にコンビ結成。

主に環境漫才、いじめ撲滅漫才等独自の漫才を展開する。漫才協会などの団体に加入していない。基本的に寄席には出演せず[注 1]、営業や出張で全国を周る。

長女はマセキ芸能社所属のタレントの林家まる子、長男は江戸太神楽曲芸師で落語協会所属の翁家勝丸。弟子に漫談の林家らっきょ。

2000年12月30日TBSテレビSAMBA・TV』内で放送された、復刻版『クイズダービー』でコンビ名が答えとなる3択問題[注 2]が出題されたことがある。

2018年2月、31年間コンビを組んでいた夫のライスが死去。周囲の勧めもあり、遺されたカレー子が娘のまる子と漫才コンビを結成し、同年8月31日に浅草演芸ホールで行われた「第三十七回 初代・林家三平 追善興行」で初舞台を踏んだ[2]

メンバー[編集]

林家ライス[編集]

1941年生。神奈川県横浜市出身。本名は沼田志都生。落語家から一時廃業を経て漫才師に転じた。芸名はハヤシライスが好きであった初代林家三平が命名したものである[3]。 当人の人となりと落語家廃業(破門)に至る過程は立川談志著『談志楽屋噺』(文春文庫)に述べられている。

  • 1957年 - 6代目三升家小勝の門下で「三升家勝丸」を名乗り落語家としてスタート。
  • 1961年 - 二つ目昇進。
  • 1963年 - 漫才に転向し「三升小粒」と改名。
  • 1976年 - 初代林家三平の門下で「林家ライス」と改名。
  • 2018年2月24日11時9分 - 視床出血のため、東京都武蔵野市内の病院で死去[4][5]。76歳没。
    娘のまる子が後日明かしたところによれば、死去当日は初めて沖縄へ出張する予定で前日までは元気な様子であった。当日朝、妻のカレー子が起こしに行ったところいびきをかきながら目を覚まさなかったことから病院に救急搬送されたが、既に脳幹への出血も見られ重篤な状態であり、家族・弟子に見守られながら亡くなったとの事である[6]

小勝一門も三平一門もともに桂文楽(8代目)一門である。

林家カレー子[編集]

1949年生。本名は沼田啓子。

  • 1978年 - 初代林家三平の門下で「林家カレー子」を名乗る。
  • 2018年8月 - 娘のまる子と「林家まる子・カレー子」を結成。

林家まる子[編集]

1972年12月14日生。マセキ芸能社所属。来歴については当該記事を参照。

注釈[編集]

  1. ^ 例外として、毎年8月31日に浅草演芸ホールで行われる初代林家三平一門の追善興行には出演していた。
  2. ^ 「漫才やコントグループには、ユニークな名前が多いですね。では次のうち、実際にいるのはどれでしょう?」

参照[編集]