柚原完蔵

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柚原 完蔵(ゆはら かんぞう、1872年6月20日明治5年5月15日) - 1940年12月6日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

津藩士、衆議院議員・伊東祐賢の二男として生れ、柚原具致の養子となる。陸軍幼年学校を経て、1893年(明治26年)7月、陸軍士官学校(4期)を卒業。1894年(明治27年)3月、歩兵少尉に任官し歩兵第19連隊付となる。同年9月から翌年7月まで日清戦争に出征。陸軍戸山学校教官、歩兵第19連隊中隊長などを経て、1901年(明治34年)11月、陸軍大学校(15期)を卒業。

1902年(明治35年)11月、陸士教官となり、教育総監部参謀に異動し、1904年(明治37年)8月、歩兵少佐に昇進。1905年(明治38年)3月、第12師団参謀に着任し日露戦争に出征。同年9月、清国駐屯軍参謀に就任し、第5師団参謀を経て、1908年(明治41年)12月、歩兵中佐に進級し歩兵第62連隊付となる。1912年(明治45年)3月、徳島連隊区司令官に就任し、1913年(大正2年)1月、歩兵大佐に昇進し歩兵第12連隊長に着任。1914年(大正3年)8月、第10師団参謀長となり、1917年(大正6年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第13旅団長に就任した。

1918年(大正7年)8月から翌年4月までシベリア出兵に出征し満州里において居留民保護に当たる。1920年(大正9年)8月から翌年4月までサガレン州派遣軍に属し北樺太に出征した。1921年(大正10年)4月、第14師団司令部付となり、第8師団留守司令官を経て、1922年(大正11年)8月、陸軍中将に進む。同年11月、第6師団長に親補され、1926年(大正15年)3月、予備役に編入。

親族[編集]

  • 長男 柚原具重(陸軍中佐)
  • 三男 柚原久(陸軍中佐)

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。