柳家さん吉

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柳家やなぎや さんきち
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柳家さん吉定紋「かたばみ」
本名 榑井くれい 昌夫まさお
生年月日 (1938-01-18) 1938年1月18日(82歳)
出身地 日本の旗 日本新潟県
師匠 5代目柳家小さん
名跡 1. 柳家小二三(1957年 - 1960年)
2. 柳家小三郎(1960年 - 1962年)
3. 柳家さん吉(1962年 - )
出囃子 南公(おはん)
活動期間 1957年 -
所属 落語協会

柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年1月18日 - )は、落語協会所属の落語家新潟県中蒲原郡村松町(現五泉市)出身。新潟県立村松高等学校卒業。本名は榑井くれい 昌夫まさお

1969年4月から1970年6月まで『笑点』の大喜利メンバーを務め[1]、その後は『アフタヌーンショー』(NET系)、『サントリー出前寄席』(文化放送)、『お助け同心が行く!』(テレビ東京)でもレギュラーを務めた。[1]一方で寄席でも落語を演じることは少なかった。[1]『笑点』出演時代から大の写真好きとして知られていた。[1]

次男は映画評論家のくれい響。

略歴[編集]

  • 1957年(昭和32年)6月 - 5代目柳家小さんに入門し、柳家一二三と名乗る
  • 1960年(昭和35年)11月 - 二つ目昇進し、小三郎に改名
  • 1962年(昭和37年) - さん吉に改名。(※一部の資料では1963年(昭和38年)改名となっている)
  • 1973年(昭和48年)3月 - 10人で真打昇進[注 1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』121ページ