柳田秀一

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柳田 秀一(やなぎた ひでかず、1905年5月 - 1978年4月4日)は、日本の医師、政治家衆議院議員舞鶴市長。

来歴・人物[編集]

京都府出身。京都一中旧制六高を経て京都帝国大学医学部を卒業し、医師を開業。1947年に舞鶴市長に当選し1950年まで務める。

1952年の総選挙左派社会党公認で京都2区から出馬し、初当選。1955年に再統一した日本社会党にも引き続き所属し、この間1966年1月に佐々木更三勝間田清一両委員長の下で、国会対策委員長を務める。また日本体育協会でも理事を務め、東京オリンピックでも組織委員となった。

1972年の総選挙で地盤を京都府副知事だった山田芳治に譲り引退、1978年4月4日に府知事選に立候補した山田の政談演説会の直後に脳梗塞で倒れ死去。享年72。

党職
先代:
横路節雄
山花秀雄
日本社会党国会対策委員長
第7代 : 1966年
第9代 : 1967年 - 1970年
次代:
山花秀雄
楯兼次郎