柿 (橘型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
本来の表記は「柹 (橘型駆逐艦)」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
艦歴
計画 1944年(昭和19年)度計画
建造所 横須賀海軍工廠
起工 1944年10月5日
進水 1944年12月11日
就役 1945年3月5日竣工
除籍 1945年10月5日
その後 1947年7月4日米国へ引き渡し、8月19日に標的艦として処分
要目(計画値)
排水量 基準:1,262トン
公試:1,530トン
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000馬力
速力 27.8ノット
航続距離 18ノットで3,500海里
燃料 重油370トン
乗員 211名/326名[1]
兵装 40口径12.7cm高角砲 単装1基、連装1基
25mm機銃 3連装4基、単装12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)
四式水中聴音機

[2](かき)は日本海軍駆逐艦。仮称5517号艦、橘型(改松型)駆逐艦として舞鶴海軍工廠で建造された。

艦名は植物のによる。艦名としては樅型駆逐艦の7番艦「」に続いて2代目。

艦歴[編集]

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。「」とともに3月12日に横須賀を出港して瀬戸内海に回航される[3]。その途中の3月15日に、潮岬沖を航行中に缶管が破裂する事故が起きる[4]。乗員に死傷者は出なかったものの航行不能となったため、「萩」によって大阪藤永田造船所まで曳航された[5]。修理中の3月19日、第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機の攻撃を受け、戦死者2名と駆逐艦長濱崎長太郎少佐を含む負傷者6名を出した[6]。また、機銃掃射により船体に若干の被害を受けた[7]。修理は4月には終わって瀬戸内海に回航される予定だったが[8]、缶管に更なる亀裂が発見され修理は長引いた[9]。修理完了後は瀬戸内海で訓練に従事した。

やがて、第十一水雷戦隊は瀬戸内海への機雷投下を避けて日本海側に移動することとなる。5月27日に舞鶴に到着するも[10]舞鶴鎮守府から「空襲の際に刺激となる」との理由で、舞鶴以外の場所へ移動するよう要請を受ける[11]。そこで、6月に入って小浜湾に移動することとなった[12]。7月15日付で特殊警備艦となって舞鶴鎮守府部隊に編入され[13]、小破のまま終戦を迎えた。10月5日除籍。12月1日特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事。1946年(昭和21年)12月15日、特別保管艦に指定[14]1947年(昭和22年)7月4日、特別輸送艦の定めを解かれ[15]賠償艦として青島米国へ引渡され、8月19日に北緯35度29分 東経123度35分 / 北緯35.483度 東経123.583度 / 35.483; 123.583の地点で標的艦として処分された[16]

歴代艦長[編集]

艤装員長
  1. 濱崎長太郎 少佐:1945年2月5日[17] - 1945年3月5日[18]
駆逐艦長/艦長
  1. 濱崎長太郎 少佐:1945年3月5日[18] - 1945年11月27日[19]
  2. 田中嘉平治 大佐/第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1945年11月27日[20] - 1946年12月30日[21]
  3. (兼)菊地正秋 復員事務官:1947年5月26日[22] - (本職:横須賀管船部勤務)

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128100, pp.8
  2. ^ 昭和19年12月8日付 達第381号。本来の艦名表記は
  3. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.40
  4. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.43
  5. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.43,46
  6. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.47
  7. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.48
  8. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.15
  9. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.19
  10. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.53
  11. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.54
  12. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128100, pp.5
  13. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128100, pp.30
  14. ^ 昭和21年12月15日付 復員庁 復二第459号。
  15. ^ 昭和22年7月4日付 復員庁 復二第466号。
  16. ^ 田村, 149ページ
  17. ^ 昭和20年2月10日付 秘海軍辞令公報 甲 第1718号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103400 
  18. ^ a b 昭和20年3月22日付 秘海軍辞令公報 甲 第1752号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103900 
  19. ^ 昭和20年12月7日付 第二復員省辞令公報 甲 第6号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072157700 。予備役編入に伴う自動解職。
  20. ^ 昭和20年12月12日付 第二復員省辞令公報 甲 第10号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072157700 
  21. ^ 昭和22年1月17日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第121号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072160100 
  22. ^ 昭和22年6月6日付 復員庁第二復員局辞令公報 第37号』 アジア歴史資料センター Ref.C13072160600 

参考文献[編集]

  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年三月一日至昭和二十年三月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127900
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年五月一日至昭和二十年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128000
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年六月一日至昭和二十年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年七月一日至昭和二十年七月十五日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128100
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦』(学習研究社、2003年) ISBN 4-05-603251-3
  • 田村俊夫「米国に引き渡された賠償艦艇の最期について」『歴史群像太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年、ISBN 4-05-604083-4