栃木師範学校

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栃木師範学校 (とちぎしはんがっこう) は新制宇都宮大学学芸学部 (現・教育学部) の前身の一つとなった師範学校である。

沿革[編集]

栃木県立期[編集]

類似師範学校、旧・栃木師範学校、旧・栃木県師範学校[編集]

  • 1873年(明治6年)
  • 1874年(明治7年)
  • 1875年(明治8年)11月 - 女子師範部を設置。
  • 1876年(明治9年)2月 - 栃木師範学校規則を制定。修業年限が1年となる。女子師範部は栃木県女学校に教育を委託 (1888年(明治21年)4月まで)。
  • 1877年(明治10年)
    • 2月1日 - 都賀郡薗部村鶉島 (現・栃木市入舟町) の栃木県庁前に新築移転。
    • 2月7日 - 附属予備学校を併設。
    • 11月9日 - 女子師範生寮を栃木県庁構内に設置。同月25日に生徒が入舎。
  • 1879年(明治12年)
  • 1880年(明治13年)6月 - 教則が改定され、修業年限が2年となる。
  • 1882年(明治15年)8月 - 規則が改定され、初等科 (修業年限1年)・中等科 (同2年半)・高等科 (同4年) が設置される。
  • 1885年(明治18年)

栃木県尋常師範学校[編集]

栃木県師範学校[編集]

  • 1898年(明治31年)4月1日 - 師範教育令により「栃木県師範学校」と改称(「尋常」が除かれる)。
  • 1900年(明治33年)1月25日 - 附属幼稚園を廃止。
  • 1901年(明治34年)
    • この頃 - 校歌『雲に聳ゆる二荒の』を制定。
    • 3月28日 - 宇都宮市戸祭町松原 (現・宇都宮市松原) に新築移転。
  • 1902年(明治35年)
    • 9月 - 暴風雨で校舎・寄宿舎倒壊、生徒1名死亡。
    • 10月 - 旧二里山校舎に移転。
  • 1903年(明治36年)12月 - 戸祭校舎が復旧。
  • 1908年(明治41年)2月 - 師範学校規程準拠の学則が制定される (栃木県令第14号)。
    • 予備科 (1年制、高小卒対象)・本科第1部 (4年制、予備科修了者対象)・本科第2部 (1年制、中学卒対象)・小学校教員講習科を設置。
  • 1925年(大正14年)4月 - 本科が5年制となる。
  • 1926年(大正15年)4月15日 - 専攻科 (1年制) を設置。
  • 1928年(昭和3年)9月12日 - 河内郡国本村宝木 (現・宇都宮市若草) に移転。
    • 陸軍第十四師団第六十六聯隊跡。
  • 1929年(昭和4年)
  • 1931年(昭和6年)1月 - 本科第2部、2年制となる。
  • 1932年(昭和7年)3月31日 - 宇都宮昭和尋常小学校の代用附属小学校としての使用を終了。
  • 1940年(昭和15年)5月3日 - 本科第2部に特別学級 (大陸科) を設置。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、附属小学校が「附属国民学校」に改称。尋常科が初等科に改組される。

栃木県女子師範学校[編集]

  • 1904年(明治37年)
    • 2月 - 「栃木県女子師範学校」が設置される。
    • 4月11日 - 開校式を挙行。所在地:宇都宮町塙田村二里山。栃木県師範学校の旧二里山校舎に近接。
  • 1906年(明治39年)2月 - 附属小学校と附属幼稚園を設置。
  • 1908年(明治41年)2月 - 予備科・本科第1部・本科第2部を設置。
  • 1909年(明治42年)- 栃木県師範学校の旧二里山校舎に移転。
  • 1915年(大正4年)2月 - 幼稚園を廃止。
  • 1925年(大正14年)4月 - 本科第一部の修業年限を5年とする。
  • 1926年(大正15年)5月 - 専攻科(1年制)を設置。
  • 1928年(昭和3年)
    • 2月 - 本科第2部、2年制となる。
    • 4月 - 栃木県立宇都宮第二高等女学校を併設。
    • 10月 - 栃木県師範学校の旧戸祭校舎に移転 (県立宇都宮第二高女は二里山に残存)。
  • 1930年(昭和5年)3月 - 農業科と英語科を随意科目とする。
  • 1933年(昭和8年)5月 - 県立宇都宮第二高女が戸祭に移転、再び同校を併設。
  • 1936年(昭和11年)4月 - 附属幼稚園を設置(再設置)。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、附属小学校が「附属国民学校」に改称。尋常科が初等科に改組される。

官立期[編集]

栃木師範学校[編集]

  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 栃木県師範学校・栃木県女子師範学校を統合し、官立(国立)「栃木師範学校」が設置される。
    • 旧栃木県師範学校校舎に「男子部」、旧栃木県女子師範学校校舎に「女子部」を設置。
    • 本科 (3年制、中等学校卒業者・予科修了者対象)・予科 (2年制、高等小学校卒業者対象) を設置。
    • それぞれの附属国民学校も「栃木師範学校男子部附属小学校」・「栃木師範学校女子部附属小学校」として存続。
  • 1945年(昭和20年)12月 - このころ、教官糾弾事件発生。
  • 1946年(昭和21年)
    • 3月 - 予科、3年制に延長 (中等学校が5年制に復したため)。
    • 6月 - 食糧不足のため、夏休みを繰上げ延長して農繁期休業に突入。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 附属国民学校の初等科が改組され、「栃木師範学校男子部附属小学校」・「栃木師範学校女子部附属小学校」となる。
    • 附属国民学校の高等科が改組され、新制中学校「栃木師範学校男子部附属中学校」・「栃木師範学校女子部附属中学校」が発足。
  • 1949年(昭和24年)5月31日 - 新制「宇都宮大学」が発足。
    • 栃木青年師範学校と共に学芸学部 (1966年、教育学部と改称) の母体となった。
    • 宇都宮大学栃木師範学校」として包括され、師範学校としての募集は停止。在校生が卒業するまで存続。
    • 男子部附属小学校が「宇都宮大学栃木師範学校附属宝木小学校」、女子部附属小学校が「宇都宮大学杤木師範学校附属松原小学校」に改称。
    • 男子部附属中学校と女子部附属中学校を統合し「宇都宮大学栃木師範学校附属中学校」とする。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 在校生が卒業し、宇都宮大学栃木師範学校が廃止される。

歴代校長[編集]

栃木県師範学校(前身諸校を含む)
  • (教師)金子小七郎:1873年5月 -
  • (学頭)原弘三:1873年6月 -
  • (学頭)林多一郎:1874年6月 -
  • (学頭)古川良輔:1875年7月 -
  • (学頭)藤川為親:1876年5月 -
  • (学頭)小島玄寿:1880年12月 -
  • (心得)久松義典:1881年12月 -
  • 進祥三:1882年4月 -
  • 飯田正宣:1883年4月 -
  • 山内輝民:1890年6月13日 - 1893年6月6日
  • 里村勝次郎:1893年6月6日 - 1898年11月7日
  • 小浜宗介:1898年11月7日 - 1899年6月28日
  • 林吾一:1899年6月28日 - 1900年3月2日
  • 鈴木光愛:1900年3月2日 - 1906年5月22日
  • 安達常正:1906年5月22日 -
  • 稲垣茂一:1921年9月 -
  • 三溝升一:1927年3月 -
  • 田沢次郎:1932年3月 -
  • 山田恒治:1936年3月 -
  • 大野〓毅:1939年9月 - * 〓は 「鹿 + 孝」
栃木県女子師範学校
  • 内藤慶助:1904年5月27日 - 1907年6月14日
  • 秋鹿見橘:1907年6月14日 - 1908年10月14日
  • 東基吉:1908年10月14日 - 1915年4月27日
  • 古市利三郎:1915年4月27日 -
  • 勝山信司:1921年9月 -
  • 鈴木卓苗:1925年3月 -
  • 三溝升一:1926年3月 -
  • 寺内頴:1927年3月 -
  • 山東善之進:1929年4月 -
  • 岩波喜代登:1932年5月 -
  • 吉田政一:1935年11月 -
  • 三木康至 (1942年4月 -
官立栃木師範学校
  • 志水義暲:1943年4月1日[3] -
  • 今井嘉橘:1944年9月 - 1945年11月24日[4]
  • 井東豊彦:1945年11月24日[4] -

校地の変遷と継承[編集]

栃木県師範学校・官立栃木師範学校男子部

源流となった栃木県 「類似師範学校」 は 1873年4月、都賀郡栃木町万町 (現・栃木市万町) 近龍寺境内にあった栃木小学校校内で発足した。翌5月に栃木町若松街に移転、同年8月には栃木町旭町の旧足利藩陣屋郭内官邸に移転した。1877年2月、当時の栃木県庁の隣地、都賀郡薗部村鶉島 (現・栃木市入舟町、栃木第一小学校校地) に新築移転した。

1884年に県庁が宇都宮町に移転したのに伴い、1885年4月に栃木県師範学校も県庁の隣地、宇都宮町塙田村二里山 (現・宇都宮市塙田) に移転した。1902年3月、宇都宮市戸祭町松原 (現・宇都宮市松原、宇都宮大学附属小・中校地) に移転。同年9月、暴風雨で校舎・寄宿舎の一部が倒壊し、旧二里山校舎に撤退したが、1903年12月に戸祭に復帰した。1928年9月、河内郡国本村宝木 (現・宇都宮市若草、栃木県立宇都宮中央女子高等学校校地) の陸軍第十四師団第六十六聯隊跡に移転。宝木校地は、官立栃木師範学校男子部、さらに後身の新制宇都宮大学学芸学部に引き継がれた。新制宇都宮大学の本部は、1949年5月に宇都宮市峰町の旧宇都宮農専本館が全焼したため、宝木校地に置かれた。しかし宝木の旧師範学校本館も1952年2月に火災で焼失し、大学本部は1952年11月に峰町 (農学部キャンパス) に移転した。1955年4月には学芸学部 (1966年から教育学部) も宝木から峰町に統合移転し、現在に至っている。

旧二里山校地は、1909年-1928年の間、女子師範学校に使用された。旧戸祭 (松原) 校地は、1928年から女子師範学校校地となった。旧宝木校地は、現在は栃木県立宇都宮中央女子高等学校 および 宇都宮大学附属養護学校となっている。師範学校校地となる前の陸軍聯隊時代 (明治期) に建設された煉瓦造の倉庫は現在も宇都宮中央女子高校内に残り、登録有形文化財に登録されている。

栃木県女子師範学校・官立栃木師範学校女子部

栃木県女子師範学校は、栃木県師範学校の隣地 (宇都宮町塙田村二里山) で発足。1909年からは、栃木県師範学校の旧二里山校舎に移転。1928年10月、栃木県師範学校の旧戸祭 (松原) 校舎に移転した。戸祭校舎は、官立栃木師範学校女子部に引き継がれた。

旧戸祭 (松原) 校舎は、現在は宇都宮大学附属小学校・中学校の校地となっている。

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 8月13日とも。
  2. ^ 前年の1884年(明治17年)1月、県庁は宇都宮に移転していた。
  3. ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。
  4. ^ a b 『官報』第5664号、昭和20年11月28日。

関連書籍[編集]

関連項目[編集]