桂文楽 (9代目)
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九代目 | |
本名 | |
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生年月日 | 1938年9月21日(82歳) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 八代目桂文楽 七代目橘家圓蔵 |
弟子 | 桂ひな太郎 |
名跡 | 1. 桂小益(1957年 - 1992年) 2. 九代目桂文楽(1992年 - ) |
出囃子 | 桑名の殿様 |
活動期間 | 1957年 - |
所属 | 落語協会 |
公式サイト | 九代目桂文楽ホームページ |
受賞歴 | |
文化放送賞(1981年) | |
備考 | |
落語協会相談役 | |
九代目 桂 文楽(くだいめ かつら ぶんらく、1938年〈昭和13年〉9月21日 - )は、日本の落語家。落語協会所属、同協会相談役。出囃子は『桑名の殿様』。本名∶武井 弘一。
人物[編集]
東京都台東区浅草出身。タレント活動における過去の所属事務所はハブ・マーシー[1]。先代の文楽が8代目を名乗ったため、当代は9代目を名乗る。
若い時分より「四角い顔」で名を売り、テレビコマーシャルやラジオ番組のリポーター、テレビ朝日『日曜演芸会』のレギュラーなどとして活躍した。
名人であった先代と比較して陽気な芸風であり、先代と区別するために「小益文楽」などと呼ばれることもある。7代目(自称5代目)立川談志などからは「セコ文楽」とも揶揄された[2]。
上述の「四角い顔」を買われ、小益を名乗っていた頃にまるか食品より『四角い容器で焼きそばの新製品を出しますので』と依頼を受けてメーンキャラクターとして「ペヤングソースやきそば」のテレビコマーシャルに起用され、文楽を襲名する1992年まで出演していたため、CM出演終了後から年月を経ても「ペヤング」「ペヤングの人」「ペヤングのおじさん」、或いは「焼きそばの人」と呼ばれる場合もある[3]。
夫人の父は、太神楽の家元2代目海老一海老蔵(海老一染之助・染太郎の師匠)である[4]。
略歴[編集]
- 1957年(昭和32年)4月 - 8代目桂文楽に入門。師匠の本名(並河益義)より一字を取り、桂小益を名乗る。
- 1959年(昭和34年) - 二ツ目昇進。
- 1971年(昭和46年)12月 - 8代目文楽没後、兄弟子7代目橘家圓蔵の預かり弟子となる。
- 1973年(昭和48年)4月 - 10人で真打昇進[注 1]。
- 1975年(昭和50年) - まるか食品「ペヤングソース焼きそば」のコマーシャルに出演開始。その後、1992年まで17年間出演[5]。
- 1981年(昭和56年) - 文化放送賞受賞。
- 1992年(平成4年)9月 - 9代目桂文楽を襲名。落語協会理事に就任。
9代目文楽襲名[編集]
テレビタレントとしても知名度が定着し、師匠の本名(並河益義)から一字を貰ったことへの思いから、入門以来、前座名の「桂小益」を名乗り続けており、名跡襲名は特に意識していなかった。
しかし、大看板と呼ばれる名跡が数多く塩漬け状態となっていることを危惧した席亭や落語協会から文楽襲名話が持ち上がる。兄弟子に6代目三升家小勝や7代目橘家圓蔵がいたが、すでに故人となっていたため、系譜から見て桂文楽を名乗るのに最も近い立場にあった。襲名を打診されてから半年程悩んだ末、1992年9月に「文楽」の名跡を継いだが、一部の落語ファンなどからは「大看板の安易な襲名だ」と批判された。
騒動が起きたことを謝罪するために落語協会会長5代目柳家小さんのもとを訪ねると、5代目小さんからは「これからもっと辛いことがあるというのに、ここで挫けてどうする」と叱咤激励されたという。
出演[編集]
テレビ[編集]
- 末廣演芸会
- やじうま寄席
- 日本の話芸(NHK、2015年11月7日[注 2])
- アナザーストーリーズ 運命の分岐点「落語を救った男たち 天才現る!古今亭志ん朝の衝撃」(NHKBSプレミアム、2017年6月13日)[6]
映画[編集]
CM[編集]
著書[編集]
- 桂文楽の ちょっと粋な話(2007年、有楽出版社)ISBN 9784408592930
- 笑いはクスリ 桂文楽の落語人生相談(2012年、佼成出版社)ISBN 9784333025718
関連項目[編集]
注釈[編集]
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 九代目桂文楽ホームページ - ウェイバックマシン(2003年8月2日アーカイブ分)[リンク切れ]
- 桂文楽 - 落語協会