桐島聡

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桐島 聡
生誕 (1954-01-09) 1954年1月9日(65歳)
日本の旗 日本広島県
罪名 爆発物取締罰則違反
犯罪者現況 指名手配中

桐島 聡(きりしま さとし、1954年1月9日 - )[1]は、広島県出身のアナーキズム新左翼活動家。過激派東アジア反日武装戦線のメンバー[2]連続企業爆破事件犯人として指名手配されている[1]

人物・来歴[編集]

広島県立尾道北高等学校卒業後、1972年4月に明治学院大学法学部に進学。明治学院大学在学中に黒川芳正宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、連続企業爆破事件の複数の事件に関与した[2]。身長は160cm位で強度の近視、足が細い、広島弁、顔にニキビの跡がある、唇が厚いなどの特徴を持つ[1][3][4]

1975年4月18日、東京銀座の韓国産業経済研究所の入口に手製の時限信管付爆弾を仕掛け、翌日に爆発させた[3][5]。これによってビルの一部が損壊した[4]警視庁は本事件を中央区内連続企業爆破事件とも呼んでいる[1]爆弾は、同グループが出版した腹腹時計に掲載したもので、同グループで薬剤師資格を持つ大道寺あや子が勤務先から横領した薬品などを使って製造したものが使用された[6]

1975年5月19日に東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人が逮捕されたのを契機に逃亡。直後に黒川が所持していた桐島の家の鍵からまだ警察が把握していなかった桐島の存在が明らかとなり、桐島は警視庁に爆発物取締罰則違反で指名手配された[5]。1989年と1990年、警視庁は過激派の爆弾犯、誘拐犯ら10人を指定の公開手配とした中の1人に桐島を挙げた[3]。1987年だけで警視庁は桐島を含めた10名を掲載した手配チラシを700万枚印刷し、全国に配布した[3]

現在も生死も行方もわかっておらず、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で一度も逮捕されていない唯一のメンバーである[2][5][7]起訴後にダッカ日航機ハイジャック事件により国外逃亡した大道寺あや子と共犯の事件(三班が合同で起こした間組爆破事件など)に関しては刑事訴訟法254条2項の規定により共犯者の公判中という形で公訴時効が停止しているが、大道寺あや子と共犯ではない事件に関しては公訴時効が成立している。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈・出典[編集]

  1. ^ a b c d [1]。警視庁 公開捜査一覧 中央区内連続企業爆破事件] 2018年6月18日
  2. ^ a b c 【プリズム】連続企業爆破事件発生から25年 遺族の心痛よそになお闘争を主張 1999.08.30 産経新聞 東京朝刊 27頁 第1社会 写有 (全2,814字)
  3. ^ a b c d 警察庁が過激派の爆弾犯、誘拐犯ら10人を公開手配 1987.11.01 毎日新聞 東京朝刊 22頁 社会 写図有 (全1,320字)
  4. ^ a b 警視庁、容疑者9人を公開手配 過激派などの重要事件 1990年10月01日 朝日新聞 東京朝刊 30頁 2社 (全982字)
  5. ^ a b c 連続企業爆破 2被告の死刑確定 殺意あったと認定 最高裁が上告棄却 1987年03月24日 読売新聞 東京夕刊 1頁 写有 (全1,962字)
  6. ^ 26歳女の正体 東京を襲った爆破テロ 2015.05.22 フジテレビ みんなのニュース 報道/ニュース/報道特集 テレビ番組放送データ 富士ソフト株式会社
  7. ^ 49年の連続企業爆破事件 宇賀神被告の控訴棄却。一審通り懲役18年-東京高裁が判決 1988年08月26日 北海道新聞朝刊全道 27頁 朝社 (全918字)