梁ナン

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本来の表記は「梁妠」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
梁皇后
後漢の皇后
在位 132年 - 144年

全名 梁妠
別称 順烈皇后
出生 元初3年(116年
死去 和平元年(150年
埋葬 憲陵
配偶者 順帝
氏族 安定梁氏
父親 梁商
兄弟 梁冀
姉妹 梁女瑩
立后前身位 貴人
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梁 妠(りょう なん、116年 - 150年)は、中国後漢順帝の皇后。祖父は恭懷皇后(章帝の梁貴人)の弟。父は大将軍梁商。兄弟に梁冀梁女瑩

生涯[編集]

幼い頃から女功に長じて巧みだった。『史書』を好き、9歳で『論語』・『韓詩』を暗記した。

永建3年(128年)、13歳で叔母とともに後宮に入った。順帝から特別待遇を受け、貴人となった。多くの女性を入内させて後嗣を儲けるよう進言したため、順帝に敬重された。陽嘉元年(132年)、皇后に立てられた。

建康元年(144年)、順帝は死去した。順帝と梁皇后との間には皇子がおらず、側室の虞美人所生の劉炳(後の沖帝)は新たな皇帝となった。梁妠が皇太后として臨朝することになった。梁氏は外戚として朝政を掌握した、朝政腐敗と民衆の負担増による不満により九江などで叛乱が発生している。沖帝は翌年も死去し、梁太后は兄の梁冀とともに劉纘(後の質帝)を皇帝として擁立する。しかし、梁冀らの専横を不満に思った質帝は梁冀に「跋扈将軍」と揶揄したために、梁冀により毒殺された。その後、権勢保持のため妹の女瑩の婚約者の劉志(後の桓帝)を擁立した。梁氏は前代同様に専権が続き、梁氏最盛期を現出した。

和平元年(150年)。政治を19歳になった桓帝に返すよう言い残し死去した。順烈皇后の諡号が贈られ、順帝の憲陵に合葬された。

参考文献[編集]

ウィキソースのロゴ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:後漢書/卷10下