梅 (松型駆逐艦)

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基本情報
建造所 藤永田造船所
運用者  大日本帝国海軍
級名 松型駆逐艦
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1944年1月25日
進水 1944年4月24日
竣工 1944年7月25日
最期 1945年1月31日戦没
除籍 1945年3月10日
要目
基準排水量 1,262t
公試排水量 1,530t
全長 100.00m
最大幅 9.35m
吃水 3.30m
ボイラー ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
燃料 重油370t
航続距離 18ktで3,500海里
乗員 211名/250名[1]
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm三連装機銃 4基
25mm単装機銃 8基
九二式61cm4連装魚雷発射管 1基
(予備魚雷なし)
爆雷投射機 2基 爆雷投下条 2基
二式爆雷×36
レーダー 二号二型(対水上用)
一号三型(対空用)
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(うめ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[2]松型駆逐艦(松型一等駆逐艦)(丁型)の3番艦である[3]。 日本海軍の艦名としては2代目[4](初代は二等駆逐艦樺型」)[5]

概要[編集]

一等駆逐艦(うめ)は、日本海軍が太平洋戦争終盤で運用した駆逐艦[6]。丁型一等駆逐艦第5483号艦として藤永田造船所で建造され[4]1944年(昭和19年)6月28日に竣工した[7]。訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属し[8]7月15日に新編の第43駆逐隊に編入された[9]。 8月20日に第三十一戦隊が編制されると[10]第43駆逐隊も同戦隊に組み込まれた[11]。 10月下旬の「梅」は姉妹艦と共に軽空母2隻(龍鳳海鷹)を護衛して台湾方面輸送作戦に従事し[12]レイテ沖海戦に参加していない[13]

11月上旬、第三十一戦隊は[14][15]第四航空戦隊日向伊勢)と共に内地を出撃[16]新南群島に進出した[17]。 同月中旬、43駆(梅、桐)は内地へ戻る第一遊撃部隊を[18]台湾周辺まで護衛した[14] [注 1]マニラ進出後の12月5日、第43駆逐隊(梅、桃、杉)は第八次多号作戦に参加する[24]7日レイテ島揚陸決行時[25]、空襲により各艦とも小破した[26]。マニラ帰投後の14日に空襲を受け損傷、「梅」は香港で修理をおこなった[7]

1945年(昭和20年)1月中旬、台湾高雄に移動する[7]21日、姉妹艦と対空戦闘をおこなう[27]。 1月下旬より駆逐艦3隻(梅、汐風)でフィリピン方面の航空隊関係者救助作戦に従事する[28]1月31日ルソン島北端アパリ英語版北方のバシー海峡で空襲を受け[29]、「楓」[30]と「汐風」が損傷[31]、「梅」は沈没した[32]

艦歴[編集]

昭和19年の行動[編集]

1943年(昭和18年)12月1日、仮称艦名第5483号艦として、藤永田造船所で起工[33]1944年(昭和19年)1月25日、日本海軍は駆逐艦3隻をそれぞれ『』・『』・『』と命名、他に潜水艦海防艦掃海艇複数隻を命名した[2]。同25日付で駆逐艦3隻(竹、梅、桃)は松型駆逐艦に類別される[3]。「梅」は呉鎮守府在籍と仮定されていたが、4月5日附で横須賀鎮守府仮在籍に改定[34]。4月24日、進水[33]

同年5月16日、藤永田造船所の梅艤装員事務所は、事務を開始する[35]6月8日、日本海軍は前月下旬に沈没した神風型駆逐艦7番艦「朝凪[36]の駆逐艦長大西快治少佐(1943年10月20日[37]~1944年6月1日[38]、海兵61期)を、梅艤装員長に任命する[39]。 6月28日、「梅」は竣工した[33]。横須賀鎮守府籍となる[40]。同28日付で艤装員事務所を撤去した[41]。大西艤装員長は制式に梅駆逐艦長(初代)となる[42]

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完少将海軍兵学校41期)に編入される[8]。直ちに呉軍港に移動した[8][43]。7月中旬まで修理をおこなったあと、瀬戸内海で訓練に従事する[44]。 7月15日、日本海軍は第41駆逐隊(霜月冬月)および第43駆逐隊))を編制した[9][45]。第41駆逐隊司令には脇田喜一郎大佐、第43駆逐隊司令には菅間良吉大佐[12](海兵50期)が任命された[46]。2人とも陽炎型駆逐艦の「雪風」駆逐艦長を務めた経歴を持つ。 7月下旬、軽巡「長良」(十一水戦旗艦)、秋月型駆逐艦「冬月」、松型複数隻(梅、竹、桃)で訓練をおこなう[44][47]。このとき十一水戦の軽巡「長良」が南西諸島方面緊急輸送作戦に投入されることになり、高間司令官は7月30日に将旗を扶桑型戦艦「扶桑」に掲げた[48][49]

8月1日、連合艦隊は新たな兵力部署を発令した[50]第五艦隊、第十一水雷戦隊、扶桑型戦艦2隻[注 2]、航空戦艦2隻、第21駆逐隊、第61駆逐隊などで第二遊撃部隊を編成し、機動部隊に編入した[52][53]。 8月3日、高間司令官は十一水戦旗艦を「扶桑」から駆逐艦「」に変更した[54][55][56][注 3]。 この頃、秋月型駆逐艦「涼月」が修理を終えて戦線に復帰、十一水戦と訓練をおこなった[56][60]

8月20日、日本海軍は第三水雷戦隊の残存艦と松型駆逐艦や海防艦を基幹とする対潜機動部隊を新編した[61]。 これが連合艦隊付属の第三十一戦隊[62](司令官江戸兵太郎少将[63]、海兵40期)である[64]。第43駆逐隊も第三十一戦隊隷下となった[注 4]。 編入後も瀬戸内海で訓練を続行した。

10月中旬の台湾沖航空戦台湾第二航空艦隊が大幅に消耗したため、内地所在の瑞鳳型空母「龍鳳」と大鷹型空母「海鷹」が航空機と基地物件や整備員を輸送することになった[13]軽空母2隻は北九州六連を発し、佐世保に移動した[67]。10月25日、松型4隻(梅、)は空母2隻(龍鳳、海鷹)を護衛して佐世保を出撃し、27日台湾北部基隆に到着した[68][69]。輸送任務を終えた後は10月30日に基隆を出港して佐世保を経由し[70]、11月2日に帰投した[71]

「梅」が空母を護衛していた10月27日、連合艦隊はレイテ島決戦に関する基本方針を発令した[72]。第三十一戦隊はフィリピン方面緊急輸送と、同地進出後の南西方面部隊[73](指揮官:南西方面艦隊司令長官)編入を命じられた[注 5]。 第三十一戦隊は旗艦の軽巡洋艦「五十鈴」と、指揮下の駆逐艦6隻(秋月型駆逐艦〈霜月、第41駆逐隊司令〉[75]、松型駆逐艦〈 梅、、桃、、杉 〉)という艦艇で[15][76]、南方に進出する第四航空戦隊(司令官松田千秋少将)の航空戦艦2隻(日向伊勢)を護衛することとなった[17] [注 6] [注 7]。 この輸送部隊を南方輸送部隊H部隊と呼称する[78]11月9日五島列島有川湾を出撃し、澎湖諸島馬公経由で、14日に南沙諸島(新南群島)に到着した[81][注 8]

その頃、ボルネオ島ブルネイ湾に在泊中の第二艦隊(司令長官栗田健男中将・海兵38期)は度重なるB-24 の空襲を受けていた[83]。戦艦3隻(大和長門金剛)と第二水雷戦隊(軽巡洋艦〈矢矧〉、第17駆逐隊浦風浜風雪風磯風〉)を日本本土に回航して整備を行う事となった[18][注 9]。 「梅」と「桐」は連合艦隊から第一遊撃部隊の護衛を命じられた[注 10]

当時、米軍機動部隊艦上機はマニラを頻繁に攻撃していた[87]。マニラ所在の第一水雷戦隊や輸送船は大損害を受けた[88][89]。南西方面艦隊は第五艦隊司令部と第一水雷戦隊のマニラ脱出、ブルネイ待機を命じた[19]。 第四航空戦隊のブルネイ回航は中止される[90]。四航戦部隊(日向、伊勢、霜月、桐、梅)は新南群島長島錨地に移動した[91]。 11月17日に到着し、マニラから脱出してきた第一水雷戦隊[92](司令官木村昌福少将)指揮下の駆逐艦3隻[93])と合流する[94]。 同日夕刻、松型2隻(梅、桐)は、南シナ海を北上中の第一遊撃部隊(大和、長門、金剛、矢矧、第17駆逐隊)に合流した[95]20日昼頃まで護衛に協力した後[96][注 11]、馬公に帰投した[98][99]。 第43駆逐隊分離後の21日未明[100]、アメリカ軍潜水艦シーライオンⅡ[101]の襲撃により戦艦「金剛」と駆逐艦「浦風」[102]は撃沈された[20][103]

「梅」と「桐」が第一遊撃部隊を護衛していた11月20日付で第一水雷戦隊が解隊され[23][104]、一水戦司令官木村昌福少将が第二水雷戦隊司令官に任命された[注 12]。 同20日付で、第三十一戦隊は第五艦隊に編入された[14][106]。 続いて四航戦をふくむ第二遊撃部隊は、リンガ泊地もしくはシンガポールに移動した[23][107][23]


11月25日、「桃」と共にシンガポールを出発したばかりの第三十一戦隊旗艦「霜月」は[105][108]、米潜水艦カヴァラ(USS Cavalla, SS/SSK/AGSS-244)に撃沈された[101]。 第三十一戦隊司令官江戸兵太郎少将と[109]、第41駆逐隊司令脇田大佐は戦死した[75][110]。第三十一戦隊司令部は全滅した[17]。 後任の三十一戦隊司令官は、戦艦「扶桑」艦長[111][112]等を歴任した鶴岡信道少将であった[113]。新司令部は12月上旬に内地で新編され、空路でマニラに進出した[114][10]。大川内長官は第三十一戦隊司令部/麾下駆逐艦集合地点の台湾高雄移転を命じた[28]

その後、本艦はルソン島マニラに進出して南西方面艦隊の指揮下に入り[115]マニラからレイテ島西岸オルモックへの陸軍兵力輸送作戦「多号作戦」に参加する[116][117]。マニラでは、第七次多号作戦で中破した姉妹艦「」が同じ桟橋に繋留されており、各艦は「竹」の損傷を目の当たりにして厳しい戦いを覚悟したという[118]12月5日午前10時30分[119]、第八次多号作戦輸送部隊[120](駆逐艦3隻〈梅、桃、杉〉、第11号輸送艦、第18号駆潜艇、第38号駆潜艇、輸送船4隻〈赤城山丸、白馬丸、第五真盛丸、日祥丸〉)と[121]SS艇3隻(6号、7号、9号)はマニラを出撃した[118]。 輸送部隊は第43駆逐隊司令が指揮をとり[118]第68旅団(旅団長栗栖猛夫陸軍少将、主力4,000名)など、合計約6900名が各艦に分乗した[24][122]

上陸予定日の12月7日早朝、日本陸軍航空部隊がオルモック南方に大規模船団を発見、上級司令部は多号作戦第八次部隊か判別に迷ったが、やがて敵輸送船団と判明した[123]。日本陸海軍航空部隊は、多号作戦部隊の護衛と、敵上陸船団攻撃の両方を行う羽目になった[124]。アメリカ軍はレイテ島西岸に上陸し、日本軍前線と揚陸地点(オルモック)の連絡を遮断した[125]。 アメリカ軍第77師団のオルモック南方上陸でレイテ島地上戦の状況が一変した[126]。第43駆逐隊司令(「梅」座乗)はオルモック湾への接近を断念し、揚陸地をレイテ島西岸北方のサン・イシドロ英語版に変更した[127][128]。 同7日午前9時、第八次輸送部隊はサン・イシドロに到着して揚陸を開始した[129]。のべ25機の日本海軍戦闘機が船団の上空直掩を実施した[130]。同地には接岸施設がなく、兵員の揚陸は成功したが重火器の揚陸は出来なかった[131]。また揚陸中にタクロバンからの陸軍機と海兵隊機の爆撃を受け、多数の死傷者を出した[132]。船団も「白馬しろうま丸」(日本郵船、2,857トン)[注 13]が撃沈され[127]、残りの輸送船も擱坐して失われた[25]。重装備を失ってレイテ島に上陸した第六十八旅団は、その後の地上戦で「消滅」した[133]。 マニラへの帰投中、空襲を受け僚艦「杉」が損傷した[134]。「桃」も座礁して損傷した[135]。「梅」も小破したと記録されている[127]。「杉」がマニラ帰投した時、ちょうど第九次多号作戦に従事する「桐」が同じ桟橋で出撃準備をしており、損傷艦の惨状が良く見えたという[136]

12月14日第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦上機がマニラを襲撃し、「梅」は対空戦闘で損傷する[137][138](大西艦長によれば、艦首に爆弾1発命中、錨鎖庫損傷)[139]。「梅」と「桃」は香港に向けて脱出する[140]。姉妹艦(杉、榧、樫)は南沙諸島へ向かった。梅乗組員によれば、内地帰投のため「梅」と「桃」がマニラを出発したあと「梅」は香港での修理を命じられて「桃」と分離したという[141]。また「桃」はヘルシップの「鴨緑丸」護衛を命じられていたという[142]12月15日夜、「」は高雄へ避退中[143]、米潜水艦ホークビル (USS Hawkbill, SS-366)に撃沈される[144]。一方「梅」は香港回航への道中、荒天に見舞われて海南島三亜で待機し[145]、天候が回復してから香港に向かった。

昭和20年の行動[編集]

1945年(昭和20年)1月初旬、アメリカ軍の大艦隊がルソン島西岸を北上し、1月6日リンガエン湾集結を果たした[146][注 14]1月9日、上陸作戦を開始した[149]ルソン島の戦い[150]。 同9日、第43駆逐隊司令菅間良吉大佐は舞鶴鎮守府付となる[151]。後任の43駆司令は、夕雲型駆逐艦3番艦「風雲」初代艦長等を歴任した吉田正義大佐であった[151][139]。吉田大佐は43駆司令駆逐艦を本艦に決定した[152][153]。 当時の南西方面艦隊は残余の駆逐艦3隻(梅、樫、杉)のリンガエン湾突入を下令したが、まもなく取り消した[148]10日、南西方面部隊指揮官は水上部隊の任務を変更した[154]。警戒部隊に対しては「警戒部隊ハ指揮官所定ニ依リ台湾海峡及呂栄海峡方面ニ於ケル敵潜水艦掃討ヲ行フト共ニ 台湾、呂栄間ノ作戦輸送ニ任ズベシ(台湾海峡およびルソン海峡方面の敵潜掃蕩、同方面輸送任務)」を命じた[28]

「梅」は1月14日まで香港で修理を行った[155]。修理完了後、15日に出港する[141]南シナ海に進撃していた第38任務部隊は15日から16日にかけて香港に避退中のヒ87船団に大打撃を与えており[156][157]、「梅」も対空戦闘をおこなったという[141]。第38任務部隊の活動が止むまで待機した後、台湾高雄に回航された[158]20日、高雄に到着して姉妹艦(樫、杉)と合流した[148]21日にも空襲を受けて松型3隻(梅、杉、樫)で応戦した[27]。「梅」は戦死者1名を出したのみで船体に被害は無かったが、姉妹艦は若干の被害をうけた[27][159]23日、第三十一戦隊司令部はマニラから高雄に移転した[10]。「梅」は「」とともに基隆に回航されるも[160]、「梅」はフィリピンからの搭乗員救出(パトリナオ輸送作戦)のため高雄に呼び返された[161][139]

当時、ルソン島の日本軍航空兵力は枯渇寸前であり[162]、司令部や残存兵力はフィリピンからの撤退を開始した[32][163]1月31日朝9時[164]、駆逐艦3隻(松型駆逐艦〈 梅、 〉、峯風型駆逐艦汐風 〉)は台湾高雄を出撃[165]ルソン島最北端のアパリ英語版[166]、アパリ防衛のための高雄陸戦隊や燃料、車両、弾薬を乗せて向かう[31][167]。速力24ノットで南下し出撃から2時間後、偵察のB-24 に発見される[168]。対空砲火で追い払ったものの更なる空襲は必至となった。 15時頃、台湾最南端ガランピ岬南方20海里[29][164]において第14航空軍所属のP-38 に護衛された第38爆撃航空団所属のB-25 12機と第35戦闘航空団所属のP-47 4機の空襲を受ける。当初、「梅」は輸送部隊と並行に飛行していたB-25を友軍機と誤認しており、B-25が襲撃行動に移ってから対空戦闘に入ったという[169]。最初の直撃弾で後部の爆雷が誘爆し、艦尾を喪失した[170]。ロケット弾を撃ち込まれ、艦橋上の射撃指揮所および前部砲塔と艦橋間の甲板などに被弾(至近弾を含む)、機関部も損傷して航行不能になる[171]。さらに爆撃の後は機銃掃射を受け、乗員は次々と打ち倒されていった[172]。「楓」も艦首に被弾[173]。「汐風」も至近弾により右舷高低圧タービン損傷により速力が低下する被害を受けていた。吉田司令はタバコをくわえて乗員に落ち着くよう態度で示したが[174]、船体は20度傾斜して浸水を防ぐ手立ても失われた[164]。戦死者は77名、負傷者は36名を数えた[164]。吉田司令や大西駆逐艦長など生存乗員が退艦した後[175]、「梅」は「汐風」の砲撃によって処分された[171]。沈没地点北緯20度30分 東経120度50分 / 北緯20.500度 東経120.833度 / 20.500; 120.833[176]。梅生存者を乗せた駆逐艦2隻(楓、汐風)は作戦の中止により高雄に引き返した[173]

2月24日、大西快治少佐は梅駆逐艦長の任を解かれる[177]。 3月10日、「梅」は帝国駆逐艦籍および松型駆逐艦から除籍[178][179]。第43駆逐隊からも除籍された[180]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』362頁による。

艤装員長[編集]

  1. 大西快治 少佐:1944年6月8日[39] - 1944年6月28日[42]

駆逐艦長[編集]

  1. 大西快治 少佐:1944年6月28日[42] - 1945年2月24日[177]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 11月16日夕刻にボルネオ島ブルネイ湾を出発した時の第一遊撃部隊編成[19]:戦艦3隻(大和長門金剛)、軽巡洋艦「矢矧」、第17駆逐隊(浦風雪風浜風磯風)であった[20]20日昼頃に「梅」と「桐」は第一遊撃部隊の護衛をやめて台湾にむかった[21]。翌日21日未明、「金剛」と「浦風」は潜水艦シーライオンⅡ[22]に撃沈された[23]
  2. ^ 大本営海軍部は9月10日付で第二戦隊(司令官西村祥治中将:山城扶桑)を新編し、第二艦隊に編入した(9月24日、第一遊撃部隊に編入される)[51]
  3. ^ 8月7日、「長良」は潜水艦クローカーに撃沈され、十一水戦司令官は「桑」に将旗を掲げ続けた[57]。軽巡「名取」を十一水戦旗艦とする予定だったが、8月18日に潜水艦ハードヘッドに撃沈された[58]。8月30日、軽巡「多摩」が編入され、十一水戦旗艦となった[59]
  4. ^ 8月20日新編時の第三十一戦隊は、軽巡洋艦「五十鈴」、第30駆逐隊卯月夕月秋風皐月夕凪)、第43駆逐隊(竹、梅、松、桃)、海防艦(干珠、満珠、笠戸、三宅、第22号海防艦)であった[10]。 このうち「松」は8月4日に撃沈されており[11]スカベンジャー作戦[65]、10月10日付で削除された[66]
  5. ^ 発信 聯合艦隊司令長官 着信 捷号作戦部隊 通報 南方軍総司令官 聯合艦隊機密第二七一七一五番電 聯合艦隊電令作第三九二号[74] 一 敵ハ我累次ニ亙ル猛攻ニ屈セズ「レイテ」島「サマール」島方面ニ橋頭堡ヲ拡大中ナリ/二 聯合艦隊ハ陸軍ト協同 第一、第二十六師団及第六十八旅団ヲ基幹トスル兵力ヲ速ニ「レイテ」島方面ニ輸送 一挙ニ敵ヲ撃滅セントス/三 南西方面部隊ハ所在基地航空兵力ト協同シ 陸軍上陸部隊ノ直接護衛敵空母及輸送船ノ撃滅ニ任ジ 且戦略要点ノ防備強化之ヲ確保スベシ/四 第一遊撃部隊ハ菲島又ハ北部「ボルネオ」方面ヲ根拠トシ 陸軍上陸部隊ノ間接護衛ニ任ジ 南西方面部隊ノ作戦ヲ強力ニ支援スベシ/五 先遣部隊ハ全力ヲ菲島方面ニ集中 敵輸送路ノ遮断及敵機動部隊ノ捕捉撃滅ニ任ズベシ/六 機動部隊本隊ノ一部ハ補給終了後内海西部ニ回航 第四航空戦隊(隼鷹、龍鳳、第六三四航空隊欠)、第三十一戦隊ヲシテ 主トシテ特別攻撃隊兵力ヲ速ニ菲島方面ニ急送セシムベシ 右兵力菲島到着ノ時機ヲ以テ 第四航空戦隊(隼鷹、龍鳳、第六三四航空隊欠)ヲ第一遊撃部隊ニ 第三十一戦隊ヲ南西方面部隊ニ夫々編入ノ予定 
  6. ^ 本来ならば「霜月」と「涼月」で出撃するはずだったが[15]、「涼月」の修理が間に合わなかった[77]。防空駆逐艦2隻(霜月、涼月)参加とする二次資料もある[78]
  7. ^ 一部の二次資料で、H部隊の編成を四航戦(日向、伊勢)、三十一戦隊(五十鈴、霜月、梅、桐、槇、桃、桑、杉)としたり[79]、また「桐」が不在で「槇」加入とする[80]
  8. ^ 竹駆逐艦長に任命されていた宇那木勁少佐は、内地出撃時から馬公までは軽巡「五十鈴」に、馬公から新南群島まで第43司令駆逐艦の「梅」に便乗した。「竹」に着任して間もなく、第五次多号作戦に従事することになった[82]
  9. ^ 第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将が駆逐艦「島風」沈没時に戦死したので[84](11月11日、第三次多号作戦)[85]、矢矧艦長吉村真武大佐が二水戦司令官代理を務めていた[86]
  10. ^ (昭和19年11月15日12時43分、GF電令作第419号)[20] 一 第一遊撃部隊〔 大和、第三戦隊(長門、金剛)、矢矧、駆逐艦四(損傷艦ヲ含ム)〕ハ燃料満載ノ上内地ニ回航夫々所属軍港ニ於テ急速整備ヲ実施スベシ/二 第三十一戦隊ノ駆逐艦二隻ハ第一遊撃部隊指揮官ノ指揮ヲ受ケ基隆附近迄之ガ護衛ニ従事スベシ/三 第一遊撃部隊指揮官「ブルネイ」発以後第一項以外ノ南西方面所在第一遊撃部隊兵力(高雄妙高ヲ含ム)ヲ南西方面部隊指揮官ノ作戦指揮下ニ入ル 〕
  11. ^ 『戦藻録』(昭和19年11月20日記事)[97](十一月廿日 月曜日 半晴 強風)〔 強風三日、支那の高氣壓は東漸せるにかゝわらず一向に収まらず驅逐艦桐、梅分離馬公に向ふ。此の附近敵潜の出現少し。潮流の大なるも一の理由なるべし。〕
  12. ^ (第二水雷戦隊、昭和19年11月~12月、経過概要)[105]〔 (二)經過(1)十一月二十日「リンガ」回航中第一水雷戰隊解隊同隊所属駆逐艦ノ第二水雷戰隊編入ト共ニ本職第二水雷戰隊司令官ニ補職セラレ多號作戰部隊第一警戒部隊指揮官トシテ支援部隊ニ属シ當方面所在二水戰ヲ直接指揮スルコトトナリ二十二日「リンガ」着岸波ヲ合同ス 同日四十一駆(霜月)第二警戒部隊ニ編入ノ令ニ接シ同夜之ヲ分離昭南ニ回航三十一戰隊ニ合同セシム(31Sハ二十四日同艦ニ将旗移揚昭南発「ブル子ー」回航中二十五日〇四四八 二度八分北一〇七度二〇分東ニ於テ敵潜攻撃ヲ受ケ沈没)二十三日七駆()ヲ二十六日朝霜ヲ夫々修理ノ爲昭南ニ回航セシム 〕
  13. ^ 読みは「はくばまる」ではない(『日本郵船戦時船史 下』65ページ)
  14. ^ 当時、マニラにいた第52駆逐隊はアメリカ軍輸送船団攻撃のため出動、1月5日夜に「」が撃沈された[147]1月7日夜、「」が撃沈された[148]

出典[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.7
  2. ^ a b #達昭和19年1月(2) pp.31-33〔 達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ検図 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ) 〕
  3. ^ a b #内令昭和19年1月(5) pp.17-18〔 内令第二百號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「松」ノ下ニ「、竹、梅、桃」ヲ加フ|潜水艦、一等伊十型ノ項中「伊號第十四」ノ下ニ「、伊號第十五」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號三百六十六」ノ下ニ「、伊號三百六十八、伊號三百六十九」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「笠戸」ノ下ニ「、日振、鵜来」ヲ、同三御藏型ノ項中「倉橋」ノ下ニ「、屋代」ヲ、同第一號型ノ項中「第十一號」ノ下ニ「、第十三號、第十五號、第十七號、第十九號」ヲ加フ|掃海艇、第十九號型ノ項中「第三十三號」ノ下ニ「、第三十四號」ヲ加フ|驅潜艇、第十四號型ノ項中「第六十一號」ノ下ニ「、第六十三號」ヲ加フ 〕
  4. ^ a b 福井静夫、日本駆逐艦物語 1993, p. 291(I 一等駆逐艦つづき)梅(Ⅱ)Ume
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  8. ^ a b c #S1906十一水戦日誌(1) p.45(作戦経過概要、昭和19年6月)(28日)〔 梅一六〇〇大阪発呉ニ回航(略)梅11Sdニ編入 〕(29日)〔 梅一〇〇〇呉9着(以下略) 〕
  9. ^ a b #内令昭和19年7月 p.21〔 内令第八六五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年七月十五日 海軍大臣|第三十二驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ |第四十一驅逐隊|霜月、冬月| |第四十三驅逐隊|梅、竹、松、桃| 〕
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  15. ^ a b c #S19.07十戦隊日誌(3) p.42〔 1KdF機密第〇二一四一八番電 第四航空戰隊(日向伊勢)第四十一駆逐隊(霜月)凉月 第三十一戰隊(五十鈴 桑 桐 梅 桃 杉)ハ十一月八日槇 冬月十八日頃内地出撃可能ノ見込 〕(涼月は浸水事故のため不参加)
  16. ^ #S19.07十戦隊日誌(3) p.35〔 (2)霜月 内海西部方面ニアリテ警戒待機中ノ所 第四航空戰隊 第三十一戰隊ト共ニ八日出撃「ブルネイ」ニ回航中 〕
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  27. ^ a b c 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和20年1月 」 アジア歴史資料センター Ref.C16120660400  p.10(昭和20年1月)〔 21|1100|杉、樫、梅ハ高雄ニ於テ敵艦上機約50ト交戰其ノ6(飛行機)ヲ撃墜 春風ハ馬公ニ於テ4(飛行機)ト交戰 杉、樫、春風ハ若干ノ被害ヲ受ク 〕
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  29. ^ a b 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和20年1月 」 アジア歴史資料センター Ref.C16120660400  p.12(昭和20年1月)〔 31|1520|比島要員転進作戰部隊d×3(梅、楓、汐風)鵝鑾鼻ノ南方20浬ニテ敵艦上機十數機ト交戰 梅 沈没 楓 中破 潮風 軽微ナル損傷 〕
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  48. ^ #S1906十一水戦日誌(2) pp.3-4(昭和19年7月、十一水戦軍隊区分)、同部隊戦時日誌 p.57〔 三十日一三〇三(司令官)11Sd|三十日一五〇〇(GF長官)(ツ)11Sd 61dg 21dg 扶桑 山城|機密第三〇一三〇三番電 将旗ヲ一時扶桑ニ移揚ス|無電 〕
  49. ^ #S1906十一水戦日誌(2) p.66(作戦経過概要、昭和19年7月)(30日、天候略)〔 〇六三〇長良呉ニ向ケ八島着 一〇〇〇呉着 一九〇〇長良佐世保ニ向ケ呉発|一三〇〇将旗ヲ一時長良ヨリ扶桑ニ移揚 〕(31日、天候略)〔 一七三〇長良佐世保着|長良佐鎭長官ノ指揮下ニ入リ南西方面諸島緊急輸送任務ニ從事|長良佐鎭長官ノ指揮下ニ入ル 〕
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  54. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.8〔 二日(司令官)11Sd|二日〇八三〇扶桑、桑〔呉鎭〕|11Sd信令第二〇號 一.明三日一三〇〇将旗ヲ桑ニ移揚ス/二.本職桑ヲ率ヰ一三一五出港桂島ニ回航ノ豫定|信號 〕、同部隊戦時日誌 p.11〔 三日一三〇五(司令官)11Sd(宛略)機密第〇三一三〇五番電 将旗ヲ桑ニ移揚セリ|無電 〕
  55. ^ #S19.06十一水戦日誌(3) p.12〔 三日(司令官)11Sd|三日一五一五 43dg 桑 涼月|11Sd信令第二一號 43dg及涼月ハ左ニ依リ対潜訓練ヲ實施スベシ 一.實施期日八月四日 竹涼月 五日梅桃/二.作業海面廣島湾崎田島附近 協力(参加)部隊呉潜戰(三航戰)|信号 〕〔 四日(司令官)11Sd(宛略)43dg司令ハ当分ノ間涼月及桑ノ訓練ヲ統制スベシ|信號 〕
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  67. ^ #S18.12呉防備戦隊(9) pp.29-30〔 二一日一〇二九(宛略)呉防戰機密第二一〇二九番電 電令作第五二二號 0700/22日 海鷹 龍鳳 駆逐艦一隻 六連発佐世保ニ囘航ス 下関防備部隊指揮官ハ全力ヲ擧ゲテ之ガ対潜警戒ニ任ズベシ|無電 〕
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  91. ^ #S19.09一水戦日誌(2) p.52〔 十六日一九一五(指揮官)2YB(宛略)第二遊撃部隊電令第一號 支援部隊(足柄 榛名 羽黒 大淀 朝霜 初霜)一七日〇四〇〇ブルネイ発 干里堆ニテ第四航空戰隊 第一水雷戰隊 竹ヲ合同「リンガ」泊地ニ回航ス 〕
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  179. ^ #秘海軍公報昭和20年1月(3) pp.40-41〔 内令第二〇九號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年三月十日 海軍大臣|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、旗風」ヲ、同|白露型|時雨|ヲ、同松型ノ項中「、梅」「、樅」ヲ、同二等粟型ノ項中「、栂」ヲ削ル(以下略) 〕
  180. ^ #秘海軍公報昭和20年3月(2) p.15〔 内令第二二一號 驅逐隊編制中左ノ通リ改定セラル|昭和二十年三月十日 海軍大臣|第七驅逐隊ノ項中「、霞」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初霜、時雨、朝霜」ヲ「初霜、朝霜、霞」ニ改ム|第四十三驅逐隊ノ項中「梅、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「樅、」ヲ削ル 〕

参考文献[編集]

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    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
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関連項目[編集]