森安輝正

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森安輝正
(菅沼輝正)
Terumasa-Moriyasu20091220.jpg
2009年阪神C表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県
生年月日 (1959-03-15) 1959年3月15日(59歳)
身長 170cm
体重 53kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 美浦・稗田敏男(1979 - 1986)
美浦・森安弘昭(1986 - 引退)
初免許年 1979年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 2002年4月30日
重賞勝利 3勝
通算勝利 1801戦112勝
経歴
所属 JRA騎手(1979 - 2002)
堀宣行/調教助手(2003 - )
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森安 輝正(もりやす てるまさ、旧名および現名:菅沼 輝正〈すがぬま てるまさ〉、1959年3月15日 - )は日本中央競馬会 (JRA) の元騎手。2010年現在は堀宣行厩舎所属の調教助手[1]

来歴[編集]

1979年騎手免許取得。同年3月3日中山競馬第3競走スガケヤキで初騎乗(16頭立て4着)、4月22日東京競馬第1競走コクサイイーグルで初勝利を挙げる。

稗田厩舎時代には障害競走にも騎乗。1982年春の東京障害特別重賞初制覇。1984年秋にも東京障害特別を勝って春秋制覇。1981年には自身最多の20勝(うち障害14勝)を挙げる。1986年から森安弘昭厩舎に移籍すると同時に、森安の娘と結婚したことにより改姓した(騎手引退後に菅沼姓へ戻している)。以降1990年カブトヤマ記念ヒダカハヤト平地競走の重賞を制覇するも成績は低迷。2002年に騎手を引退し調教助手に転身した。通算成績は1801戦112勝重賞3勝[1](うち障害274戦39勝重賞2勝)。

騎手としての実績よりも、後述するテレビ朝日の人気番組だった『さんまのナンでもダービー』での活躍がよく知られていた。

ナリタブラリアンの主戦騎手[編集]

1993年から1995年にかけて放送されたさんまのナンでもダービーでは、放送当時に三冠馬となったナリタブライアンにあやかって命名された芦毛のポニーナリタブラリアン」(1990年生まれ)の主戦騎手として活躍[1]。本家同様にシャドーロール(赤い物を使用、本家ブライアンは白い物)を付けた同馬は森安とのコンビで、ポニーのみならず、サラブレッドアラブ種、道産子馬、ロバ、さらには人間、自転車などとの異種混合レースを戦った。

また森安の調教によって競走馬としての実力をつけていき、1995年のG1(ポニー競馬、番組独自のもの)レースでは秋・年末と連覇するなど、最強のポニーと呼ばれるまでに成長した。森安自身にとってもJRAで届かなかったGIのタイトルを獲らせたポニーである。森安はこの活躍によりJRAがイベントとして開催するポニー競馬に呼ばれることが多くなった[1]

森安とナリタブラリアンの対戦相手には東京優駿2着馬スダホーク郷原洋司騎乗)のほか、騎手も小島太的場均加藤和宏中舘英二(以上現調教師)、田中勝春四位洋文藤田伸二イギリスアラン・ムンロなどのメンバーが揃っていた。使用コースも特番では大井競馬場、それもナイター(放送時間の関係上ナイターとなった)を使った時もあった。またG1レースの解説には井崎脩五郎、実況は宇野和男(当時ラジオたんぱ/現在のラジオNIKKEIアナウンサー)、レースリポートは鈴木淑子が務めた。

3連覇が懸かった、第3回明石家優駿さんま記念ではソノダトップガンに敗れて結果は4着となった。

騎手成績[編集]

通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 73 93 86 1527 .048 .109
障害 39 26 29 274 .142 .237
112 119 115 1801 .062 .128
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1979年3月3日 - スガケヤキ - - 4着
初勝利 1979年4月22日 - コクサイイーグル - - 1着
重賞初騎乗 1981年4月5日 中山大障害(春) トウフクシンボル 10頭 10 9着
重賞初勝利 1982年2月6日 東京障害特別(春) イチエイボーイ 7頭 7 1着

おもな騎乗馬[編集]

  • イチエイボーイ(1982年東京障害特別〈春〉)
  • テイオージャ(1984年東京障害特別〈秋〉)
  • ヒダカハヤト(1990年カブトヤマ記念)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 松本岳志 (2010年4月16日). “アリゼオの瞬発力「新幹線だ」/皐月賞” (日本語). 日刊スポーツ. 2013年5月10日閲覧。

関連項目[編集]