森田幸一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
検索に移動
森田 幸一
大阪ホークスドリーム 投手兼任コーチ #45
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市此花区
生年月日 (1965-09-21) 1965年9月21日(55歳)
身長
体重
173 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト5位
初出場 1991年4月6日
最終出場 1994年5月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

森田 幸一(もりた こういち、1965年9月21日 - )は、大阪府出身の野球選手、元プロ野球選手(投手)。

経歴[編集]

北陽高校から、近畿大学へ進学するが同期に山内嘉弘がいて登板機会は少なかった。

大学卒業後は、住友金属に入社。1989年に行われた阪神タイガースの入団テストで合格したが慰留され会社に残留。

1990年のプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。

プロ入り時に大学時代に結婚していた夫人が「子供の為にも安定した生活を」と懇願し社会人に残留を求めたが、それを振り切ってプロ入りを実現した。

1991年与田剛投手の故障によりルーキーながらストッパーに抜擢され、1年目から50試合に登板し、10勝3敗17セーブを挙げて新人王に輝く。この年にいきなりプロ初打席初本塁打を打つ[1][2]など、ストッパーで打席数が少ない(13打数)にも関わらず初年度に2本のホームランを放っている[1]。2号は7月9日ナゴヤ球場阪神戦で中田良弘から打ったソロ本塁打で、通算でもこの2本塁打だった。

1992年に与田の復帰によりセットアッパーに転向し、開幕戦で2年連続で勝ち投手になり下位に低迷するチームの中6月には3勝を挙げオールスター明けには先発登板しプロ初完投勝利を挙げ次の試合でも先発勝利するなど活躍したがそれ以降は先発としても勝てずリリーフでも失点を重ね、前年の成績を下回った。この年のシーズンオフ、トレードを志願したが、実現しなかった。移籍先に在京球団を希望したと報道されたが、本人はこれを否定している[3]

1993年は二軍キャンプからのスタートとなり、再びストッパーに抜擢されるが結果を残せず、郭源治にその座を追われる。 翌年以降は肘の遊離軟骨の痛みに悩まされ、サイドスローへの転向など様々な試行錯誤をしたものの結果を残せないまま1995年はついに一軍登板がゼロに終わり、この年のオフ復帰した星野仙一(入団当時の監督だった)の戦力構想からも外れて現役を引退した。

引退後の現在は地元の企業で管理職を勤める傍ら、兵庫県野球教室のピッチングコーチも務めている[4]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1991 中日 50 1 0 0 0 10 3 17 -- .769 365 89.0 78 10 26 2 78 0 0 32 30 3.03 1.17
1992 41 6 1 0 1 6 5 4 -- .545 374 91.0 86 10 21 3 58 1 0 48 41 4.05 1.18
1993 22 1 0 0 0 2 3 3 -- .400 130 28.1 36 3 12 0 15 1 0 18 15 4.76 1.69
1994 4 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 38 8.0 8 2 8 2 6 0 0 7 7 7.88 2.00
通算:4年 117 9 1 0 1 18 13 24 -- .581 907 216.1 208 25 67 7 157 2 0 105 93 3.87 1.27

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初打席・初安打・初本塁打・初打点:1991年4月10日、対広島東洋カープ2回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に秋村謙宏から右越ソロ
その他の記録

背番号[編集]

  • 45 (1991年 - 1995年)

関連情報[編集]

関連書籍[編集]

  • 松永多佳倫著『マウンドに散った天才投手』(河出書房新社:2013年1月) ISBN 978-4-309-27384-6

応援歌[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]