森肇 (愛媛県の政治家)

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森肇
娘の森律子と

森 肇(もり はじめ、1864年7月10日元治元年6月7日[1]) - 1927年昭和2年)1月23日)は、日本ジャーナリスト政治家衆議院議員中央倶楽部、当選3回)[2]弁護士[3][4][5]。族籍は愛媛県士族[1][6]

経歴[編集]

現在の愛媛県松山市柳井町で生まれた(原籍は同県温泉郡朝美村[3]。伊予国松山藩士である[5]。小学校を卒業して松山中学校に通学したが1881年、同校を中退して大阪、東京に出て法律学を専攻した[3]英吉利法律学校(のち東京法学院、現・中央大学)で学び[1]、法政二科を修めた[2]

1884年代言人試験に合格した[3]。いったん帰国したが1887年[5]、1888年に[3]、ふたたび東京に出て代言事務を開業した[3]。また、自由党員になった[3]。後「感ずる所」あって同党を退き、内地雑居尚早会を起し、更に大日本協会が起ると共にその党員に列し拡張に尽瘁する所があった[5]日清戦役後各党の有志と謀り同志会である新政社を組織し幹事になった[3]

猟友雑誌主幹、伊予日日新聞(同社は現存せず)社長、日本赤十字社正社員となった[2]1902年第7回衆議院議員総選挙で当選。以来3期務めた。厳正中立を守った[4]1927年死去。

家族・親族[編集]

森家

愛媛県松山市、東京市京橋区采女町[1][4]、同区築地[6]

  • 妻・よし(愛媛、二神貞七の長女)[6]
1868年 -1926年[7]
1888年 -
1890年 - 1961年
1895年 - 1916年
親戚
  • 岩谷松平(岩谷銀行頭取)[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『人事興信録 初版』も之部1119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月8日閲覧。
  2. ^ a b c 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』435頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『明治弁護士列伝 肖像入』235-239頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月8日閲覧。
  4. ^ a b c 『新選代議士列伝』271頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 『大正名家録』モの部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月2日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 『人事興信録 第2版』も1387頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月25日閲覧。
  7. ^ 森律子『女優生活廿年』
  8. ^ a b 『人事興信録 第4版』い81頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月1日閲覧。
  9. ^ 岩谷松平(男性)『人事興信録』データベース第4版、1915(大正4)年1月。2018年11月25日閲覧。
  10. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』624頁。
  11. ^ 轢死せし森房吉氏と其の自署、読売新聞、1916年5月5日。
  12. ^ 『日本古書通信』第56巻、1991年、12頁。

参考文献[編集]

  • 東恵仁編『明治弁護士列伝 肖像入』周弘社、1898年。
  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1903-1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年11月。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056