植村家壷

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植村 家壷
Uemura Iehiro.jpg
時代 江戸時代後期(幕末) - 大正時代
生誕 弘化4年10月15日1847年11月22日
死没 大正9年(1920年6月29日
改名 釧八郎(幼名)、家壷
戒名 瑞光慈照聖寿院
墓所 奈良県高市郡高取町上子島の宗泉寺
官位 従五位下、出羽守、従二位
幕府 江戸幕府
大和国高取藩
氏族 本多氏植村氏
父母 父:本多忠鄰、養父:植村家保
兄弟 本多忠明有馬道純本多忠肇家壷
本多忠禎
正室:生子植村家貴の娘・南部信順の養女)
家朝、家完、家治、宜子

植村 家壷(うえむら いえひろ)は、大和高取藩の第14代(最後)の藩主。

弘化4年(1847年)10月15日、播磨山崎藩主・本多忠鄰の六男として生まれる。慶応3年(1867年)12月5日、第13代高取藩主・植村家保の養子となる。明治元年(1868年)閏4月14日、家保の隠居にともない家督を継いだ。明治2年(1869年)2月から藩政改革に着手する。6月17日に版籍奉還により、植村藩知事に任じられる。明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免職され、9月に東京へ移った。明治17年(1884年)7月8日、華族令により子爵となる。明治25年(1892年)9月、御陵墓守長となる。

大正9年(1920年)6月29日に死去した。享年74。

血縁[編集]

植村氏の女系子孫である。

植村氏義―本多忠高室―本多忠勝本多忠政国姫有馬直純室)―有馬康純有馬清純有馬一準有馬孝純本多忠可本多忠居本多忠鄰―植村家壺

関連項目[編集]


日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
高取植村家初代
1884年 - 1920年
次代:
植村家治