植松雅言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
植松雅言
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政9年12月28日1827年1月25日
死没 明治9年(1876年6月30日[1]
主君 仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族 東園家植松家
父母 父:東園基貞、母:芝山国豊娘・国子
養父:植松雅恭
兄弟 東園基敬雅言
藤井行学二女・富子
雅平、雅雄
養子:雅徳
テンプレートを表示

植松 雅言(うえまつ まさこと)は、江戸時代後期の公家明治時代華族参議・東園基貞の二男[2]

経歴[編集]

山城国京都で生まれる。修理権大夫・植松雅恭の養子となる[1][3]天保11年(1840年)昇殿を許された[3]安政5年(1858年廷臣八十八卿列参事件に加わり、元治元年7月19日1864年8月20日)の禁門の変では長州藩士のため画策した[3]慶応2年8月1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる[3]

慶応3年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え、慶応4年2月20日1868年3月13日)参与に任じられた[4]。その後、神祇事務局権判事、同判事加勢、神祇官判事、氷川社遷宮御用掛、神祇権大祐などを歴任し、明治4年1月18日1871年3月8日)免本官となった[3][4]

系譜[編集]

  • 父:東園基貞
  • 母:東園国子 - 芝山国豊の娘[3]
  • 妻:植松富子 - 藤井行学の二女[1]
  • 生母不明の子女
    • 長男:植松雅平(子爵)[1]
    • 男子:植松雅雄
  • 養子
    • 男子:植松雅徳 - 植松雅恭の子

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』上巻、237-238頁。
  2. ^ 『幕末維新大人名事典』上巻、205頁では「三男」。
  3. ^ a b c d e f 『明治維新人名辞典』141-142頁。
  4. ^ a b 『百官履歴 上巻』372-373頁。

参考文献[編集]

  • 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
  • 修史局編『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年。