楢原省吾

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楢原 省吾
Narahara Syōgo.jpg
生誕 1898年3月31日
高知県高知市水通町
死没 (1944-07-19) 1944年7月19日(46歳没)
サイパン島東方
所属組織 大日本帝国海軍の旗 大日本帝国海軍
軍歴 1921年 - 1944年
最終階級 海軍少将
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楢原 省吾(ならはら しょうご、1898年3月31日 - 1944年7月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将

履歴[編集]

1898年(明治31年)3月、高知県高知市水通町(すいどうちょう)で楢原多吉の息子として生まれた。1915年(大正4年)、県立第一中学校卒を経て、1920年(大正9年)7月、海軍兵学校48期)を卒業。翌年6月に海軍少尉任官。その後、海軍水雷学校海軍砲術学校海軍潜水学校の各普通科を卒業した。

1923年(大正12年)12月、「第22潜水艦」乗組となる。以後、潜水艦乗務が続き、1931年(昭和6年)12月、「呂号第27潜水艦」長に就任。1933年(昭和8年)11月、海軍少佐に昇進し、1934年(昭和9年)3月から7月まで潜水学校甲種学生として学んだ。

1934年7月、「呂号第27潜水艦」長に復帰し、駆逐艦朝風」「帆風」の各艦長、「伊号第54潜水艦」「伊号第71潜水艦」の各艦長、駆逐艦「江風」艦長などを歴任。1938年(昭和13年)11月、海軍中佐に進級。同年12月、「伊号第57潜水艦」艦長となり、「伊号第58潜水艦」「伊号第6潜水艦」の各艦長、「伊号第19潜水艦」艤装員長・艦長を歴任し、太平洋戦争を迎えた。真珠湾攻撃において第一航空艦隊の哨戒隊を務める。

1942年(昭和17年)7月、横須賀鎮守府付となり、同月、第6潜水隊司令に着任し、1943年(昭和18年)5月、海軍大佐に昇進。以後、第33潜水隊司令、第34潜水隊司令、第12潜水隊司令、第7潜水隊司令等を歴任。1944年(昭和19年)7月、内南洋方面で乗艦「伊号第5潜水艦」が戦没。戦死と同時に海軍少将に特進した。

参考資料[編集]

  • 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。