横浜スカイビル

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株式会社横浜スカイビル
Yokohama Sky Building Co.,Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
220-0011
神奈川県横浜市西区高島二丁目19番12号
設立 1961年9月27日
業種 不動産賃貸業
法人番号 4020001016304
事業内容 スカイビルの運営
代表者 代表取締役社長 風間利彦
資本金 35億9,100万円
決算期 3月
所有者 三菱地所
主要株主 三菱地所 (54.36%)・新菱冷熱工業 (12.0%)・京浜急行電鉄 (11.51%)・IHI (7.62%)・鹿島建設 (3.34%)・三菱重工業 (3.20%)・そごう・西武 (2.65%)
主要子会社 株式会社横浜スイミングセンター・陽光ビルサービス株式会社
関係する人物 竹中治(初代社長)
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横浜スカイビル
Yokohama Sky BLDG
Yokohama-SkyBLDG.JPG
ビル外観(海側)
情報
用途 物販・飲食・事務所・サウナ・駐車場
設計者 三菱地所設計
施工 鹿島建設
建築主 横浜スカイビル・横浜新都市センター
事業主体 横浜スカイビル
管理運営 横浜スカイビル・横浜新都市センター
構造形式 高層棟:鉄骨鉄筋コンクリート造 (B3~B1F)・鉄骨造 (1~30F)、
駐車場棟:鉄骨鉄筋コンクリート造(柱)・鉄骨造(梁)
敷地面積 7,614.09 m²
建築面積 6,321 m² (建蔽率83%)
延床面積 102,072 m² (容積率1341%)
階数 地上30階、地下3階、塔屋1階
高さ 132.54 m
エレベーター数 16台(高層棟)、2台(駐車場棟)
駐車台数 351台(駐車場棟)
着工 1992年9月10日
竣工 1996年9月18日
開館開所 1996年9月20日
所在地 220-0011
神奈川県横浜市西区高島二丁目19番12号
座標 北緯35度27分52.4秒 東経139度37分28.7秒 / 北緯35.464556度 東経139.624639度 / 35.464556; 139.624639座標: 北緯35度27分52.4秒 東経139度37分28.7秒 / 北緯35.464556度 東経139.624639度 / 35.464556; 139.624639
備考 横浜スカイビル・横浜新都市センター・横浜シティ・エア・ターミナル三菱UFJ信託銀行との共同所有。
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マルイシティ横浜
MARUI CITY YOKOHAMA
店舗概要
所在地 220-0011
神奈川県横浜市西区高島二丁目19番12号
開業日 1996年9月20日
正式名称 横浜スカイビル
施設所有者 横浜スカイビル、横浜新都市センター、横浜シティ・エア・ターミナル、三菱UFJ信託銀行
施設管理者 横浜スカイビル・横浜新都市センター
商業施設面積 16,774 m²
最寄駅 横浜駅
外部リンク マルイシティ横浜|店舗のご案内
OIOI
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横浜スカイビル(よこはまスカイビル)は、神奈川県横浜市西区にある超高層ビル、およびそれを運営する企業。現在のビルは1996年に建て替えられた2代目である。横浜駅東口(出島地区)に位置しており、みなとみらい21計画における68街区に該当する。

概要[編集]

初代スカイビルは1961年昭和36年)に設立された横浜駅前振興株式会社(現 株式会社横浜スカイビル)によって建設され、1968年(昭和43年)3月に完成した。最上階はフロア自体が回転するレストランであった[1]。その後、1990年には横浜駅東口の再開発に伴い全面建て替えが行われることになり、建設期間中の1991年より、初代スカイビルに入居していた一部の専門店は近隣にある横浜神谷ビルに移転、スカイビルの仮店舗という名目で「横浜スカイプラザ」として営業を継続していた。

そして1996年平成8年)、現在のスカイビルが完成した。高層棟と駐車場棟に分かれており、横浜新都市ビルそごう横浜店)と直結している。横浜駅から地下街「横浜ポルタ」を通り、地上へ出ることなく地下2階の入り口へ入れる。また、2009年(平成21年)には日産自動車グローバル本社の竣工(8月2日)に合わせて、7月21日、当ビル2階とそごう横浜店2階の間にある公開空地よりみなとみらい中央地区(新高島)方面へ向けてペデストリアンデッキはまみらいウォーク」が設置された。同年8月8日からは、日産本社ビル内の歩行者通路「NISSANウォーク」の利用も可能となり、同地区へのアクセスが容易になっている。 なお隣の横浜新都心ビルに入居しているそごう横浜店が増床を目的として入居する計画があり、それを前提に設計もされていたが計画が中止されたため、丸井が誘致された。

初代スカイビル[編集]

建物[編集]

  • 名称:駅前振興ビル
  • 愛称:スカイビル(一般公募)
  • 所有者:横浜駅前振興株式会社(現 株式会社横浜スカイビル)
  • 施工:鹿島建設
  • 竣工:1968年(昭和43年)3月
  • 構成:地上11階、地下1階の本棟と、低層棟からなる。

当時としては珍しい多目的商業ビルで、横浜駅周辺で一番高い建物であった。本棟には、宴会場・サウナ結婚式場(当初は直営だった)・医療センター・カルチャーセンター消費生活センターなどが入居していた。10・11階は回転式のラウンジレストラン「ヨコハマ・スカイ・ラウンジ」になっていた。革新派の飛鳥田一雄市長の要求により、本棟の裏側の低層棟には、スカイ体育館(1976年4月にパチンコ店に転換)・スカイ劇場(多目的ホール)・スカイボウル(ボウリング場 1975年1月閉鎖)が入居[2]。スカイ劇場では毎週木曜日に「スカイ木曜寄席」が開かれ、スカイ劇場は毎週第3土・日曜日は横浜アマチュア演劇連盟に優先して貸し出されていた。また隣接する横浜新興倶楽部の裏側[3]には、温水プール「スカイプール」(1967年(昭和42年)7月開業)[4]も建てられた。

ただ1968年5月に東口横断歩道橋が完成するまでは交通量の多い国道1号線を横断しなければならず、また西口と東口を繋ぐ通路が未整備であるなど、横浜駅周辺の開発が不十分であったため、スカイビルの業績は好調とはいえなかった[5]。 1980年11月に横浜駅東口にルミネ横浜店・地下街横浜ポルタが開業するとビルは見劣りするようになり、最盛期は80軒もあった店舗の退店が相次ぎ、これが原因で大株主がジャパンラインから三菱地所に変わることになった。[2]

2代目スカイビル[編集]

1階には横浜シティ・エア・ターミナル (YCAT) が、8・9・10階にそごう連絡口が設置されている。

当初は隣接する横浜新都市ビルに入居するそごう横浜店が増床のために、2代目スカイビルにも入居する計画があった(入居予定の売場面積 約42,900m2)。しかし諸事情で入居を断念したため、設計変更により1992年(平成4年)10月から1993年(平成5年)11月まで建設工事が一時中断された。そこで1994年(平成6年)5月に横浜新都市センターが2代目スカイビルの建設・運営に加わることになり、またそごうの代わりに丸井マルイシティ横浜)が出店することになった。なおビルは、横浜スカイビル・横浜新都市センター・横浜シティ・エア・ターミナル三菱UFJ信託銀行の4社の共同所有になっている[6]

建物[編集]

  • 名称:スカイビル
  • 構造:高層棟:SRC造 (B3F-B1F)・S造 (1F-30F)、駐車場棟:SRC造 S造
  • 運営会社:株式会社横浜スカイビル
  • エレベーター:低層階用、中層階用、高層階用に分かれる。

地下でポルタ・横浜新都市ビルと接続し、低層階に商業施設、高層階に業務施設を配置している。

主な入居施設[編集]

他にも各種の資格学校・企業・飲食店がなどが多数入居している。

フロア案内[編集]

概要 備考
29F レストラン
28F
27F
26F サービス/オフィス
25F サービス
24F
23F
22F
21F
20F
19F
18F サービス/オフィス
17F
16F
15F
14F サービス
13F
12F
11F レストラン
10F そごう連絡口
9F ショップス/サービス
8F マルイシティ横浜
7F 駐車場9F連絡口
6F 駐車場8F連絡口
5F 駐車場7F連絡口
4F 駐車場5F連絡口
3F
2F レストラン そごう/横浜ベイクォーター/はまみらいウォーク連絡口
1F ショップス/サービス/横浜シティ・エア・ターミナル
B1F ショップス/レストラン そごう連絡口
B2F サービス 横浜駅/そごう連絡口

運営会社[編集]

横浜駅東口の戦後復興を目的に、1956年に崎陽軒の野並茂吉などの地元の実業家によって結成された「横浜駅前復興促進会」により、世界の名産品を販売・料理を提供する10∼20階建てのビルを建てる、ワールドセンター構想が発表された。また屋上にヘリポートを作り、モノレールを建設するという計画もあったが、ワールドセンター構想が具体化することはなかった。その後、横浜市議会議長の津村峯男が中心となって、1961年に横浜駅前復興促進会を前身とする「東口対策審議会」が設立され、これにより横浜駅東口の開発計画が進められることになった。日東商船(のちのジャパンライン)の竹中治を社長に迎え、1961年9月27日に地元の崎陽軒・共栄社・京浜急行電鉄横浜ステーシヨンビルと、日東商船の取引先である石川島播磨重工業三菱重工業日商の出資で「横浜駅前振興株式会社」を設立[7][8]。横浜市全員協議会が策定した「横浜駅東口総合開発計画」における、出島地区[9]みなとみらい21 68街区)と東口地下街の開発を開始した。

1967年7月にはスカイプール[10]の開業、1968年3月には初代スカイビルを竣工したものの業績が伸び悩んだ。また横浜市議会の権力闘争に巻き込まれて横浜市警察庁舎・横浜市営バス西営業所跡地の払い下げ価格が予想以上に嵩んで支払いが困難になったり、市長が革新派の飛鳥田一雄市長に交代したことによる横浜駅東口総合計画の見直し、市長が再三にわたりスカイビルの設計変更を要求したため設計者の創和設計と建設会社の大成建設が建設計画から降りるなどの影響もあり、なんとかスカイビルの竣工にこぎつけたものの、出島地区の北側(現在の横浜新都市ビルの敷地)・東口地下街の開発が困難になってしまった[11][12]1978年に市長が元横浜駅東口開発公社理事長の細郷道一に変わったこともあり「横浜駅東口総合開発計画」は、1971年10月に設立された第三セクターの財団法人横浜駅東口開発公社が行うことになり、紆余曲折あって出島地区の開発は「横浜市臨海部総合整備計画(みなとみらい21計画)」に組み込まれ、1980年12月に設立された第三セクターの横浜新都市センター株式会社が行うことになった。なお横浜新都市センターの設立にあたっては、横浜スカイビルも出資を行っている[13]

ビルの開業に伴い、1968年5月28日に「株式会社横浜スカイビル」に商号変更。1982年3月11日には株式譲渡により筆頭株主がジャパンラインから三菱地所に交代した。

なお横浜新都市センター横浜新都市ビルそごう横浜店)建設にあたっては、当社所有地(スカイプールがあった場所)を使用することから、大株主の三菱地所の意向で単独でのビル建設を主張して横浜新都市センターと対立したが、当社が単独でビルを建設する資金力がなかったため、横浜新都市センターとの共同事業・共同所有にすることを条件に当社所有地を貸すことになり、1985年9月に横浜新都市ビルが竣工した[14]

脚注[編集]

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  1. ^ 横浜機関区の終焉(レールメカの巣)
  2. ^ a b 神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』 日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、33-35・63-67ページ
  3. ^ 現在の横浜新都市ビルの中心付近。
  4. ^ 1975年9月23日に株式会社横浜スイミングセンター(YSCスポーツクラブ横浜)が子会社として設立され、1982年10月に平沼一丁目40番12号に移転。
  5. ^ 「横浜新都市センター30年史」43-44ページ
  6. ^ 「横浜新都市センター30年史」99-100ページ
  7. ^ 「横浜新都市センター30年史」42ページ
  8. ^ 神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』 日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、9-16ページ
  9. ^ 横浜駅東口総合開発計画における名称。かつて出島があったことに由来。
  10. ^ 温水プール。横浜新興倶楽部の裏側、旧 横浜市営バス西営業所。現在の横浜新都市ビルの中心部付近にあった。
  11. ^ 「横浜新都市センター30年史」42-44ページ
  12. ^ 神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』 日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、17-35ページ
  13. ^ 「横浜新都市センター30年史」61ページ
  14. ^ 「横浜新都市センター30年史」63-65ページ

参考文献[編集]

  • 『横浜新都市センター30年史』 横浜新都市センター、2010年12月

関連項目[編集]